伊集院光が、19日深夜に放送されたニッポン放送『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』に生出演した。

伊集院光

伊集院は1988年~1990年の期間、『伊集院光のオールナイトニッポン』で、オールナイトニッポン2部(27:00~)を担当していたが、現在はTBSラジオで『伊集院光とらじおと』『深夜の馬鹿力』のパーソナリティを務めている。

佐久間氏は伊集院の登場前、「ラジオ界の覇王がオールナイトニッポンに帰ってきます。王の帰還。『ラジオ・オブ・ザ・リング』」と呼びかけ、「今日、ニッポン放送に入ったときから、ちょっとテンションが違うんだよな(笑)」と明かした。

その後、登場した伊集院は「覇王が来ましたよ」と言いつつ、「でも、『ロード・オブ・ザ・リング』見たことないから、どうやって例えられているかあんまり分かっていない(笑)」とも。

そして、「ニッポン放送とお互い喧嘩別れだったから、お台場に移るときに、歴代パーソナリティがリレーで有楽町からお台場に行くというセレモニーがあったんだけど、俺の前のパーソナリティから次のパーソナリティに渡ったからね(笑)。いなかったことになってる。依頼もなかったんだから(笑)」と振り返った。

伊集院は『オールナイトニッポン』パーソナリティに抜てきされた理由について、「オーディションに勝ったのは勝ったんですよ。ただ、そのときに面と向かって言われたのは、当時の『オールナイトニッポン』2部はアーティストが多くて、みんなそれなりに有名になってきたと。『オールナイトニッポン』2部は得体の知れないヤツがいなきゃいけないのに、あまりに少ないからって」と説明した。

現在の『オールナイトニッポン』については、「今の『オールナイトニッポン』はなるべく聴かないようにしている。嫉妬するから」とのことで、「お世辞ではなくて、悔しいことでもあるんだけど、深夜放送というテーマのショートコントやるときに、TBSラジオの方が数字が上の週がいっぱいあっても、結局パロディでかかる曲はビタースウィート・サンバ。そういうときに、悔しいもあり、なんか勝てないなみたいな。何年頑張ったら、そこの常識が変わるんだよというのはある」と心境を語った。

佐久間氏が「ラジオやっていて、ちょっとつらい時期はあったんですか」と質問すると、伊集院は「若いころは辞めたいとか、もっと言えば、『伊集院光に殺される』と思った時期があって。ラジオでウケるためにやりたくないことをいっぱいやっていた。でも、あるときにモードが急に変わった。この間も山里(亮太)くんと話したんだけど、もともと行きたい旅行をラジオのために行く、という考え方に変わって、急にスランプがなくなった」と明かした。

また、ニッポン放送からTBSラジオへと引き抜かれた経緯を、「TBSのテレビでやっていて、『ニッポン放送と上手くいってない。ストレスたまってる』という話をしてたら、ある日、(当時の担当者が)ニッポン放送に来て、『伊集院光のOh!デカナイト』のCM中に『俺、ラジオやることになったから、TBSラジオ来いよ』って。今だったら局同士の大問題になっている。引き抜くにしたって、やり方あるだろうっていう(笑)」と振り返っていた。

そして、番組ラストでビタースウィート・サンバが流れると、「『伊集院光のオールナイトニッポン!』からのビタースウィート・サンバは1部の特権だから、1回もやったことない。同じビタースウィート・サンバに乗ってしゃべっていても、自分のどなりから流れるのと、途中から入ってくるのとは全然違うよね。俺も三四郎(のオールナイトニッポン)の後狙おうかな」とも。

続けて「楽しかったです。こんなに何も考えないで挑んだのも本当に久しぶりだし、それでしゃべったのもすげえ楽しかったです。これを何もなかったことにして、TBSの朝番組(『伊集院光とらじおと』)に出ます」と話していた。