「1日に8回ぐらい仕事やめようって思ってた。実際、2回も逃げたし」。そんなダメな新入社員のようなことを言うのは、今年3月に開催された「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2019」にて、初の監督長編作『いつくしみふかき』が観客賞のグランプリを受賞した、新進気鋭の映画監督・大山晃一郎さん。昨年の受賞作が、あの『カメラを止めるな』とあって、いま彼に注目している映画関係者も多いことだろう。

  • ゆうばり映画祭で観客賞受賞の新人監督が語る"泥臭い働き方"の美学とは

    今年3月に開催された「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2019」にて、初の監督長編作『いつくしみふかき』が観客賞のグランプリを受賞した、新進気鋭の映画監督・大山晃一郎さん。

彼いわく、ほんの数年前まで「日本で5本の指に入るくらい仕事ができない助監督だった」そうだ。現場で何をしたらいいかわからず、上司から怒られる日々。「お前なんか一生、上にあがれねぇよ!」と罵倒されることも一度や二度じゃなかった。そんなダメな映画マンが、なぜ国際映画祭で栄えある賞を手にすることができたのか? ――それには、彼がこだわり続けてきた"泥臭い働き方"に答えがあった。

筆者と大山監督のくされ縁

先ほどから"大山さん"と呼んでいるが、むず痒いのでやめさせてほしい。インタビューに入る前に、少し昔話をさせてもらおう。

「先生、隣の中納くんがカンニングしてます」。小学一年生だった僕は、周囲から冷ややかな目線を浴びながら先生にこっぴどく叱られた。このとき僕をチクった男こそ大山であり、これが彼との最初の思い出。それから、なぜか一緒にバンドを組んだり、旅行に行ったり、朝まで飲み明かしたり……かれこれ付き合いは25年以上になる。ガキの頃から、いつもリーダシップ全開で頑固でバカでうるさくて、困ったことに30歳すぎのオッサンになった今も何ら変わっていない。

だから彼が、映画の道を志したときも、大学をやめて上京したときも、撮影現場から逃げ帰ってきたときも、僕はよく覚えているし、当然だが彼のことはよく知っている、つもりだった。でも、今回初めてインタビューしてわかったのは、僕が知っていたのは"友人の大山"であり、"監督の大山"ではなかったということ。

僕もこの仕事を十年以上やっているので、それなりに人を見る目はあるつもりだ。そんな自分が贔屓目なしに、話を聞いていて「コイツ、面白いやつだな」と純粋に感心してしまった。きっとビジネスマンの皆さんにも、心に響く話がちらほらあると思うので、ぜひ参考にしてみてほしい。

「なんでこんなに遠回りしてるんやろ」って思ったこともあった

――え、なんで服同じなの?(服装が国際映画祭の授賞式と同じだったので)
『いつくしみふかき』のロケ地として協力してもらった遠山郷(長野県・飯田市)のプロモーション映像を作ったんだけど、それが「日本国際観光映像祭」にノミネートして、北海道の夕張から直接、大阪の授賞式に行ってたから、ぜんぜん家に帰ってない。もう蝶ネクタイがちょっと臭いもん……(笑)。

――汚ね(笑)。じゃあ、さっそくですが、どうですか? 初めて大きい賞をもらえた気持ちは。
いやぁ、それは興奮するよ。5年前にこの映画を作り始めたときから、映画祭のグランプリを目指してはいたけど、実際に選ばれたら「え、何が起こった?」って感じ。壇上に呼ばれて歩いてるとき「これ、もしかして夕張に向かう飛行機が墜落して、おれは病院のベッドで夢見てるんじゃないか……」ってマジで考えてたから(笑)。

  • 「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2019」にて観客賞グランプリを受賞した『いつくしみふかき』

――壇上でめちゃくちゃ泣いたらしいね。
だって、おれの映画の公開時間が初っ端の朝10時~とラストの夜22時前~やったからな。フツ―に考えて絶対に人が集まりにくいでしょ? 裏で大物役者さんが来るイベントとも被ってたし。でも、いざ始まったら会場がお客さんで満席になってて……それを見た瞬間に嬉しくて涙が止まらんかった。

――そうやってお客さんたちが評価してくれて観客賞のグランプリに選ばれたわけだけど、その要因は何だったと思ってる?
やっぱり「これ自主映画なの!?」っていう驚きが大きかったんじゃないかな。主演の渡辺いっけいさんをはじめ、塚本高史さんとか佐藤隆太さんとか、有名な役者さんにも大勢出演してもらえたし、撮影も長期間かけてじっくり撮れたから"自主制作とは思えないようなクオリティの高い映画"が作れたんだよね。

今はスマホでも映画が撮れるような時代だし、おれみたいに助監督として下積みしながら映画監督を目指すって人は少なくなってきてる。みんな、もっと若いうちからガンガン自主映画を撮って、って感じの流れなんだよね。ぶっちゃけ自分でも「おれ、なんでこんなに遠回りしてるんやろ」って思ったこともあったけど、今回の作品は"遠回りしてきたから"こそ作れたもの。10代からずっと現場で働いてきて、役者さんやスタッフとも関係が築けて、色んな経験も積めて……その全部が作品に生かされた結果だと思ってるよ。

――にしても、お金なかったでしょ? それでよくこんな大がかりな映画が撮れたよね。
お金は全然なかった。でも、それって業界全体にも言えることで、昔は2週間以上かけて撮影してた作品が、今は制作費の関係で1週間程度しかかけれないって感じになってるんだよね。そうなると、本当はもっとこだわりたいカットも妥協しないとダメになってくる。作り手としてはそれがすごく歯痒い。だから、自分の作品では思う存分にこだわりたかった。……でも、お金がない。

ぶっちゃけた話をすると、予算は1週間ぐらいの撮影しかできない金額だったんだけど、おれはどうしても3週間かけたかったんだよね。それで、最初にスタッフたちとめちゃくちゃ揉めた、絶対ムリだって言われて(笑)。

――そりゃムリだよね。でも譲れなかった?
そう。だから、お金をかけずに撮影するためにはどうすればいいかって考えて、「よし、みんなに協力してもらうしかない」って思った。そこで、ものすごくお世話になったのはロケ地の遠山郷の人たち。映画を撮るって決めてから、自分たちがやりたいことを理解してもらうために、何度も現地に通ったんだよね。いろんな方と話をすることはもちろん、地元の祭で焼きそばを焼いたこともあったし、もう東京に帰らず現地に住むスタッフもいたし(笑)。

――そうやって地元の人たちに信頼してもらうことで、映画に協力してもらえたの?
金銭面で協賛してもらうんじゃなくて、エキストラとして大勢ボランティアで出演してもらったり、スタッフの宿泊場所を提供してもらったり、婦人会のお姉さま方に食事を作ってもらったり……遠山の人たちの協力がなかったら、絶対この映画は完成しなかったと思う。ちなみにさ、ロケ弁って東京の値段だと1つ880円が相場なんだけど、うちの現場では1つ18円だったからね(笑)。それも地元の方々が食材を提供してくれたから。本当にありがたかった。

他にも、昔から「映画撮るときは出てください!」ってお願いしてて実際に引き受けてくれた役者さんたちがいたり、「お前の頼みなら行ってやるよ」って言って無償で手伝ってくれるスタッフたちもいたり、そうやって色んな人たちの協力のおかげでお金を工面できて、みっちり3週間の撮影ができた。

日本で5本の指に入るくらい仕事ができない助監督だった

――昔から人を巻き込むのが得意だよね。そもそも映画業界に入れたきっかけも、人を集めたことがきっかけじゃなかったっけ?
大学1年の夏休みに映画製作の現場を手伝わせてもらえることになって、その助監督さんが「明後日までに100人のエキストラを集めないといけないのに、まだ8人しかいない……」って青ざめてたんだよね。だから「おれ、100人だったら集められます!」って言って、それから友達とか後輩に「人を連れてこれるだけ連れて来てくれ!」って電話しまくって、実際に当日100人以上を集められた。

それから、その映画のスタッフさんに「映画監督になりたいなら東京に来い」って言われて、「行きます!」って即答して大学辞めて上京したって経緯だね。

  • 中学生の頃に『バッファロー66』(ヴィンセント・ギャロ監督)を観て、「おれもこんな映画を作りたい」と思い立ち、映画監督を志したのがきっかけ

――上京してから、すぐ有名な映画とかドラマの助監督をやってたでしょ。なかなか順風満帆だったんじゃない?
いやいや、おれ仕事が全然できなかったから。ほんと「日本で5本の指に入るくらい仕事ができない助監督だった」って自信もって言えるもん(笑)。現場に到着してロケバス降りたら、もう何をしたらいいかわからない。やることはいっぱいあるはずなのに。動きは悪いし、ミスもするしで上司から毎日怒られてた。マジで1日8回ぐらいやめようって思ってたから。実際、2回も撮影現場から逃げたことだってあるし。ずっと「お前なんか一生、上にあがれねぇよ!」って言われてたよ。

――それは知らなかったわ。なんか転機とかあったの?
2011年に短編の自主映画『ほるもん』を撮ったことが大きかった。それまでは助監督として自分の管轄の仕事のことしか見てなかったけど、自主映画で一から十まで自分で作ってみると、今まで見えてなかった映画づくりの全体像が見えたんだよね。あと「チキンハート」っていう劇団の脚本と演出を長年担当させてもらったこともいい経験。それまでエキストラの演技指導しかやったことがなかったけど、若い役者たちと触れ合うことで学ぶことが多かった。

助監督のくせにそんな幅広く手を出してるヤツなんてなかなかいないと思うんだけど、そうやって本業とは離れたところで、映画や演技に向き合った経験はすごく為になったよ。

――自分のやるべきことが見えたって感じ?
そうだね。あと昔の現場で、次のカットにレール(撮影用機材)を使うから、ちょうど手が空いてたし走って取りに行ったんだよ。じゃあ、そのときの監督に「お前、何やってんだ!」ってめっちゃ怒られた。「こっちは気を利かせたのになんで怒られるねん」って心の中で思ったんだけど、監督から「お前は演出だろ、他の仕事を手伝う余裕があるなら、その時間は全部、どうやったら作品が面白くなるかを考える時間に使え!」って言われたんだよね。そのとき「あーたしかに」って妙にしっくりきて。

どんな仕事でも言えることだと思うけど、「人にできることじゃなく、自分ができることを見つける」っていうのは、いつも意識してる。結果的には、それがいい作品だったり、会社員ならいい業績に繋がったりするんじゃないかな。