「運がいいとディズニーランドの花火も見えるんです」

東京都・日の出桟橋から東京湾を遊覧する人気の御座船「安宅丸(あたけまる)」にて、“演出”を担当する森健太郎氏はこう語る。都会の喧騒を忘れて東京湾を優雅に航行することのできるこのクルーズ船は、江戸時代に日本一の帆船と言われた「安宅丸」をモチーフに開発され、現代に蘇った。

  • 日の出桟橋に着港する御座船「安宅丸」

    日の出桟橋に着港する御座船「安宅丸」

忘年会や新年会など、さまざまなイベントで引っ張りだこなこの船を盛り上げるのが、森氏が演出を手掛ける、飲食と演劇が合わさった「宴」だ。驚いたことに、同氏は元々「劇団四季」の俳優だったそう。俳優の憧れの舞台を離れ、今こうして安宅丸のプロデュースをするに至ったのは何故なのか。実際に船に乗り、その魅力を味わいながら話を聞いた。

  • 森健太郎氏。劇団四季出身、ライオンキングやアイーダなどに出演する。2012年退団後、アートカンパニーピエロを設立。2013年に株式会社オフィスピエロを設立し、代表取締役に就任。東京湾御座船安宅丸の演出を担当している

    森健太郎氏。劇団四季出身、ライオンキングやアイーダなどに出演する。2012年退団後、アートカンパニーピエロを設立。2013年に株式会社オフィスピエロを設立し、代表取締役に就任。東京湾御座船安宅丸の演出を担当している

元劇団四季の俳優が「宴」をプロデュースするに至るまで

――今日はよろしくお願いします。非常に豪華な船ですね

森健太郎氏(以下、森):ありがとうございます。安宅丸での「宴」を楽しんでください。

  • 乗船すると、「千と千尋の神隠し」の「油屋」のような光景が広がる

    乗船すると、「千と千尋の神隠し」の「油屋」のような光景が広がる

――森さんは以前、劇団四季の俳優だったと聞きました

森:はい。2005年から2012年まで在団していました。退団後、独立をして企画制作の仕事を行う中で、偶然出会ったこの船の演出を手掛けるようになったんです。

――劇団四季から独立したのはなぜですか?

森:色々と理由はありますが、「俳優が活躍できる新たなマーケットを作りたい」と思ったのが大きな理由の一つです。

演劇のマーケットは他のマーケットと比べると小さいんです。そのため、俳優がステージに出ながら食べていくということは難しく、技術や想いがあってもなかなか活躍の場がありません。

そこで、どうすれば俳優が活躍できる場所を作れるか考えました。劇場で勝負しても、すでにある市場を食い合うだけで俳優の救済にはつながらないので、それならばと「大衆が演劇に触れる機会を増やす新しい方法」を考えました。その一つが、この「宴」というわけです。

――俳優にとっては新たな活躍できる場所ができ、普段劇場に足を運ばない人にとっては、クルージングをして食事を楽しみながら、気軽に演劇に触れられる場所になる――、win-winな形ですね

  • 安宅丸では、「WAGAKU」と呼ばれる役者が宴を盛り上げる。毎回3人の役者が出演し、中には劇団四季を退団後この船に携わる人もいるそうだ

    安宅丸では、「WAGAKU」と呼ばれる役者が宴を盛り上げる。毎回3人の役者が出演し、中には劇団四季を退団後この船に携わる人もいるそうだ

多額の借金から始まった、安宅丸の厳しい船出

――安宅丸のプロデュースを始めたのはいつからですか?

森:2014年からです。初めて安宅丸に出会ったのは2013年のことで、この船に出会ったときには一目惚れしましたね。「ここなら俳優を使った新たなマーケットを作れる! 」と。その後、船の運営会社(両備ホールディングス)と何度も交渉を重ね、今のような運営形態をとることになりました。

交渉を重ねる中で、船の会社にイメージを伝えるためにプレゼン公演という形で、単発イベントも行いました。もちろん知名度も何もないので、最初は小劇団のように、知り合いに声をかけて来てもらうところから始まったのですが、そのイベントを好評で終えることができ、手ごたえを感じました。

――では、初めから順風満帆だったのでしょうか?

森:いえ、現在で運営開始から4年が経過しているのですが、初めはとにかく大変でした。プロデュースを始めて3カ月が経ったころには、1000万円ほどの借金を背負ってしまいました。

――!!! 1000万円ですか……

森:起業をする上で1000万円という額はそこまで驚かれないかもしれませんが、演劇というビジネスを行う中では驚きでした。当時は苦労しましたね(笑)。

左が両備グループ代表 兼 CEO 小嶋光信氏、右が水戸岡鋭治氏(画像は内装リニューアル後に行われたメディア向けクルーズ体験時のもの)

左が両備グループ代表 兼 CEO 小嶋光信氏、右が水戸岡鋭治氏(画像は内装リニューアル後に行われたメディア向けクルーズ体験時のもの)

でもそれから、少しずつサービスの改良を重ね、徐々にお客さんも増やすことができました。元々、この船の内装も今のものとは全然違ったんですよ。今の内装は2017年に作られたもので、JR九州の「ななつ星」をデザインした、インダストリアルデザイナーの水戸岡鋭治さんに手掛けて頂いたものです。

ほかにも、かつてシャッター街同様だった場所をプロデュースし「恵比寿横丁」として復活させた、浜倉的商店製作所ともタッグを組みました。そういった多くの人たちの協力もあり、徐々に多くのお客様に足を運んでいただけるようになりました。

――乗船客はどういった方が多いのでしょうか?

森:日本人と外国の方で、半々くらいといった感じです。さらに人気を爆発させるには、インバウンドの取り込みがもっと必要になるかと思っています。また、企業が懇親会のために利用する、というパターンも多いですね。メインのステージの部屋が108席、別室にはビップ席も用意していて、総席数は188席あります。リピーターになってくれる人も増えてきて、中には1年間で100回以上乗ってくれた方もいらっしゃいました。

  • 船の外に出ると、東京湾の夜景が広がる。日の出桟橋から出航してしばらくすると、レインボーブリッジや東京タワーも見ることができる

    船の外に出ると、東京湾の夜景が広がる。日の出桟橋から出航してしばらくすると、レインボーブリッジや東京タワーも見ることができる

演出の根幹は「ディズニーと茶室」

――安宅丸に一目惚れしたのはなぜですか?

森:元々、時間と空間の演出をしたいと思っていて、例えるならば、『ディズニーランド』のような空間を作りたかったんです。駅を降りたところから夢の国が広がる――。そういう、“入り口から出口まで一貫した世界観”を演出したいと考えていた中で、初めて安宅丸を見たときにこの船で『千と千尋の神隠し』のような世界を作りたいと思ったんです。「ここなら、自分の描く時間と空間の演出ができるぞ! 」と確信した瞬間でした。

――確かに、船に入った瞬間から、乗船する前と見える景色、周りの雰囲気が一気に変わったのが印象的でした

森:安宅丸では、お出迎えの瞬間から演出された空間が広がるように努めています。役者もホールスタッフも巻き込み、もちろん「飲食」にも力を入れて、乗船した瞬間から日常とは異なる体験をしてもらえるようにしています。

森:今は、スマートフォンさえあれば、無料で気軽にいろいろなサービスを受けられる時代です。当然、スマートフォンの利用者は多く、アプリ・サービスを開発している企業も多い。そこにはとても大きなマーケットが形成されています。一方、僕たちが提供しているものは、「人のコミュニケーション」によって生まれる価値です。

当然、ITの世界と比較するとマーケットは小さいです。無料でさまざまなサービスを受けられる時代、モノに溢れている時代に、たった1.5時間~2時間という短い時間で、お客様を満足させる必要があるからこそ、パフォーマンスのみならず「時間と空間の演出」が重要なんです。この考え方に至るには、ディズニーランドのほかに、「茶室」に影響を受けました。

――茶室?

森:茶室は「非現実」の空間を作るために、さまざまな工夫を凝らしているんです。待合室に入り、そこから造りこまれた庭を通って、躙口(にじりぐち)と呼ばれる、低い入り口から茶室へと入る――。茶室に入るまでの行動を演出することで、緩やかに日常から、非日常へと誘うのです。

限られた時間の中で、食事や演劇をただ楽しんでもらうだけではなく、その前後の時間も演出することによって、より満足度を高めたい。朝起きたときからワクワクして、駅を降りたところから楽しめるような世界を作りたい。そんな演出を実現するために、ディズニーと茶室のエッセンスを取り入れたんです。

  • 森さんオススメのシャッターチャンスは東京ゲートブリッジを抜け、船が折り返したこの瞬間。恐竜が向かい合っているような特異な形状をしている事から「恐竜橋」とも呼ばれるこの橋の全景を見ることができるスポットだ

    森さんオススメのシャッターチャンスは東京ゲートブリッジを抜け、船が折り返したこの瞬間。恐竜が向かい合っているような特異な形状をしている事から「恐竜橋」とも呼ばれるこの橋の全景を見ることができるスポットだ

「生産性の先」にある感動を目指して

――人気が右肩上がりの安宅丸ですが、今後はどういったことに取り組んでいく予定なのでしょうか?

森:例えるならば、「サグラダファミリア」のようなものを作り続けていきたい、と思っています。まだ足りぬ 踊り踊りて あの世まで――、とは、歌舞伎役者の六代目 尾上菊五郎さんの言葉ですが、これが僕には非常に印象的でして。「芸」に終わりはなく、一つ課題を乗り越えると、さらに違うものが見えてくるもの。それを一つずつ超えた先により大きな感動が生まれ、その取り組みの精神性そのものもまた、新たな感動を生むと思っています。

安宅丸にはまだまだ伸びしろがあります。段階を踏みながら、少しずつサービスの質を上げていき、より多くの人を感動させられるような空間を作っていきたいですね。

――また時間をおいて、安宅丸に乗船するのが楽しみです。貴重な話をありがとうございました

  • クルージングの最後は、WAGAKUによる歌や舞を楽しめる

    クルージングの最後は、WAGAKUによる歌や舞を楽しめる

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数百年の時を越えて現代に蘇った「安宅丸」。森氏の話を聞き、その人気の秘訣は「生産性の先に生まれる感動」にあると感じた。

「僕らの業界は生産性が非常に低いと思っています。ビジネスの仕組みという意味では生産効率を上げる努力はしなくてはいけません。一方で生産性を越えたところに大きな価値が生まれ、そこに人は感動すると思うんです。終わりのない非生産的な探求。そこを追い続けていきたいですね」(森氏)

一瞬で世界中の人々とコミュニケーションをとれるITの世界と比べると、クローズなコミュニケーションが求められる演劇や飲食というマーケットは必然的に小さくなる。しかし、そこには単なる「効率の良さ」や「生産性の高さ」では測れない、血の通った人間だからこそ生み出すことのできる感動がある。

そこに価値を見出し、多くの人を魅了するコンテンツを創り上げるのは、「元俳優」という経験を持つ森氏だからこそできることだろう。同氏が「空間演出」を手掛けるのは、安宅丸に限らない。今後の安宅丸の動向はもちろん、森氏が仕掛ける、次の一手にも期待が膨らむ。