クライマックスを迎えている春ドラマ。その中で、“満足度”という点で注目なのが、ディーン・フジオカ演じる主人公が、自らを陥れた過去の友人たちに復讐を仕掛けていく『モンテ・クリスト伯―華麗なる復讐―』(フジテレビ系、毎週木曜22:00~)だ。

データニュース社が行っている「テレビウォッチャー」の満足度調査によると、第7話(5月31日放送)までの平均満足度は3.80(5段階評価)と高満足度の基準の3.7を上回り、4月スタートのゴールデン・プライム帯(19~23時)ドラマ第4位という高位置。そして、初回3.44だった満足度は第6話と第7話で最高の3.96を記録しており、満足度の上昇幅(0.52ポイント)は、今期暫定トップの盛り上がりだ。

このドラマのメイン演出を務めているのは、『白い巨塔』『ガリレオ』『任侠ヘルパー』『昼顔』といったヒット作を多く手掛けてきた西谷弘監督。昨年の秋クールに放送された浅野忠信主演『刑事ゆがみ』では、満足度平均3.85と期間4位(GP帯)の高評価を得るなど、常に質の高い作品を生み出し続けている。

そこで、「テレビウォッチャー」の研究員であり、自称・テレビドラマの作り手に精通している超ドラママニアが、作品にかける監督のこだわりを、細かく!しつこく!マニアックなところまで!!直接質問をぶつけてきた。

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    第1話撮影中のディーン・フジオカ(左)と西谷弘監督 (C)フジテレビ

いきなりミュージカルの理由

――西谷監督はこれまで連続ドラマの場合、作品のスパンが比較的長かった気がするので、『刑事ゆがみ』から2クール(半年)という期間でドラマを担当するのは珍しいと思います。前作の『刑事ゆがみ』が評判良かったから…というのはあるんですか?

それはどうでしょう? なんとも言えないんですが(笑)、やはり評判が悪いより、いい方が仕事は続くんでしょうけど(笑)。ただスパンは短かったですね。

――ドラマ本編について伺う前に、西谷監督作品に関する細かい質問からなのですが…。監督の作品はどれもサウンドトラックが印象的です。例えば『任侠ヘルパー』や前作『刑事ゆがみ』など、最近の作品はどれも“英語歌詞”“ボーカル”付きで、この『モンテ・クリスト伯』もそんなサウンドトラックでとても素敵です。毎回指定されているんですか?

指定はしています。僕はそういうリクエストが多いですね。英詞に関しては日本語だと、そっちに耳が行き過ぎてしまうというのが一番にあって、インスト(インストゥルメンタル)だけでは出ない強さが、ボーカル付きのサントラにはあると思っています。今回はスパンが短かったこともあって何も考えずに入ったんですが、このドラマのプロデューサーである太田大さんが、まさに同じようなことを言ってきて、僕がいつも作っている劇伴、ボーカル付き、歌入りのスタイルでできないかということでそうなりました。

今回はいつもタッグを組んでいる菅野祐悟さんではないんですが、同じスタイルや材料だけど違う音楽家に調理してもらうことで、これまでを超えるものができれば面白いなと思いました。期待も不安も大きかったんですが、そこはすごくうまくいったかなと思っています。

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    第1話オープニングのミュージカルシーン (C)フジテレビ

――前回『刑事ゆがみ』での監督インタビューの際、ファーストカットが面白いドラマは面白くなるというようなことをおっしゃっていました。なので今回のファーストカットもどんな感じなんだろうとすごく楽しみにしていたのですが、それがすごく素晴らしくて!! まず自分の感想から言わせてください(笑)。普段のテレビ画面が16:9だけど、それが4:3の映像から始まったことに驚き、最初に登場するすみれ演じる山本美月さんがドラマではありえないカメラ目線になることに驚き、さらに聞き覚えのあるインスト(KAN「愛は勝つ」)が流れて驚くという、あのミュージカルシーン。これまでにない驚きの連続でとても素晴らしいオープニングでした。これは監督のアイデアですか?

いやー、素晴らしいですね、良く見ていただいて(笑)。どういう入りにしようかってどのドラマでも考えていて、今回は結構悩みました。今回のファーストカット(劇中の登場人物が撮影した結婚式用映像という設定)は、結婚式用DVDの映像だし、時間軸で考えると15年前だから、その時代は地デジサイズの16:9じゃなくて4:3になるだろうとか、そういう時代の特性が見えてきたのでそこから膨らませていった感じですね。ただ、どうするかはすごく悩みました。画面が違うって苦情がくるかもしれないし(笑)。でもよくシネスコサイズ(映画のスクリーン比で2.35:1、テレビでは画面の上下を黒く切って映画風に見せる)でやる手法があって、それはテレビの中を映画っぽくしているだけなので、それではなく逆に4:3にしたら新鮮だなと思ったんですね。

あと最初に思ったのは、『モンテ・クリスト伯』の原作『巌窟王』を知ってる人、知らない人にとって、このドラマをどう思うんだろうということ。復讐劇という触れ込みはドラマが始まる前にされるだろうから、その復讐っぽさから一番遠いところから入りたいなというのがあって、そこが一番強く思ったところですね。普通だったら復讐を開始させる第3話の部分から物語が始まって、そこから回想するという作りをすると思うんですけど、あえて復讐とかそういう雰囲気が全くない田舎町の片隅で仲の良い青春群像劇みたいな感じで始まる、意外なところからスタートさせたかった。それで、どれだけ視聴者の方が「え?復讐劇じゃないの!?」っていう肩透かし、いい裏切りになればいいなと思ったんです。

――通常のドラマであれば、復讐を開始するかっこいいディーンさんから始まって、振り返るという構成にするのが定石だと思うんですが、逆にああいう意外な始まり方だったからこそ余計に見たくなりました。

そう言って見てもらうっていうのが一番うれしいですね。このドラマは170年も前の原作を基にしていて、設定が強引だったり、荒唐無稽さも多かったりする原作で、それは海外の作品で時代物だと許せるけど、それを現代に置き換えて、ましてやそれが日本の設定でとなると、なかなか難しいものがあるかなと思って最初不安だったんです。だから最初に、(視聴者に共感してもらいやすい)群像劇っぽいものでアプローチしていこうかなって思いました。

あと、やっぱり主演がディーンさんって聞かされた時に“モンテ・クリスト伯”になった3話以降のディーンさんって言うのは自分の中で見えるというか計算できるし、今の時代だったら彼にしかできないと思うほど、適役、ハマり役だなって思ったんです。でも、それはみんなが予想できるディーンさんだなって思ったので、最初にどれだけギャップをつけるかというか、まだ見たことのないディーンさんにしたいと思いました。また3話以降のモンテ・クリスト伯は“洋”のディーンさんだから、逆に“和”の“フジオカさん”の部分を前半でどれだけ描けるかを意識しました。

人間は他人のことを覚えてない

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  • ディーン・フジオカ演じる獄中の柴門暖(左)と、生まれ変わったモンテ・クリスト・真海 (C)フジテレビ

――このドラマの視聴者で最も気になっている部分が、数年たった後のディーンさんに気づかないなんておかしいだろ!という部分だと思います(笑)。でも逆に誰も気付いてくれないからこそ復讐に至る。一方山本美月さん演じるすみれさんは気付いている…だから復讐できない、というそんな演出の意図を感じましたがどうでしょうか?

その部分は、整形したのかとか昔はすごく太っていたのかとか、それを特殊メイクでやろうとかそういうのをいろいろ考えました。だけど、それも全部小手先だし、見る人にとっては同じ役者さんだってわかってるわけだし、そこは堂々といけばいいと思いました。もちろんそういう気付いてくれないからという意図もありますが、意外と人間って他人のこと覚えてないなと思ってて、そういうところもあるのかなとも考えました。

第2話の最後、葬儀のシーンで暖(ディーン・フジオカ)がみんなと再会することになります。最初、暖はサングラスをしていて顔が見えない、誰だか分からない感じにしてるんですが、神楽(新井浩文)と南条(大倉忠義)の目の前に現れた時に、気付くに決まってるっていうのを逆手にとってやろうと思って、そこであえてサングラスを外して、なるだけ近くに顔を接近させる芝居をつけたんですね、それでも向こうがわからない、こんなに近くに行っても気づかない、だから復讐してやろうと思う。それは、存在を忘れられたというか、存在が完全に消されてしまったんだという、そのむなしさというか。だから、彼が脱獄して帰ってきて、村にウェルカムで迎えられたら、たぶん復讐しなかったと思う。だけど、一番悔しいのは死んだという情報があったにせよ、ただ十何年いなかっただけで存在が消されてしまうんだという、そういうところに復讐の一番の原点があるという風にしました。

だけど、その時すみれだけはニアミスですれ違わせてるんですね。たかがボートがすれ違うだけの部分、暖の背中を見せるだけなのに何かを感じとるすみれという演出にしました。特に第2話は、いろんなことが集約された回になってると思います。