筆者は6月上旬から中旬にかけて、バルト3国のひとつ、ラトビアを訪れた。ラトビアの鉄道は、歴史的経緯からロシアと同じ広軌(軌間1,520mm)を採用している。ラトビアでは旧ソ連時代から数多くの鉄道車両が製造されてきた。今回は旧ソ連時代に活躍した車両に出会えるラトビア鉄道歴史博物館をレポートする。
ラトビア鉄道歴史博物館のレポートに入る前に、簡単にラトビアの国と鉄道の概要について確認しておきたい。ラトビアはバルト海に面した美しい国だ。面積は約6.5万平方キロメートル(北海道の面積の約60%)、人口は約200万人とされる。主要民族はラトビア人だが、旧ソ連時代に流入したロシア人も多い。
ラトビアはロシア革命後の1918年に独立を宣言したが、1940年にソビエト連邦に編入された。1991年に旧ソ連から独立。2004年にEU・NATOに加盟し、2014年に統一通貨ユーロを導入したが、鉄道についてはいまなおロシアの影響を強く受けている。かつては軌間1,520mmの他に軌間750mmの軽便鉄道も存在したが、大部分が廃止された。
現在、ラトビアの鉄道は首都リーガを中心とする国内線と、リーガからロシアのモスクワやサンクトペテルブルク、ベラルーシのミンスクへの国際線が運行されている。リーガには旧ソ連時代に最大の鉄道車両工場といわれた「RVR(Rigas Vagonbuves Rupnica)」がある。いまも旧ソ連諸国に行くと、「RVR」のマークを掲げた車両に出会える。
ラトビア鉄道歴史博物館も首都リーガにあり、屋内展示・屋外展示を見学できる。屋内展示では写真や模型、映像を通じ、ラトビアの鉄道の歴史やしくみが紹介されていた。
ラトビアに初めて鉄道が敷かれたのは帝政ロシア時代、1860年のことだという。その後は順調に路線を伸ばし、1920年代には現在とほぼ同じ姿になった。
個人的に興味深かったのが、旧ソ連時代の1970年に撮影されたリーガ駅の写真だった。駅の看板がラトビア語とロシア語で書かれていることがわかる。1970年代のラトビアはソビエト連邦の支配を受けていたので、ロシア語も広く使われていた。現在のリーガ駅では、ロシア語は見られない。
旧ソ連時代に使われた機器にも、当時のロシア語優位が顕著に現れている。機器の表示を見ても、ラトビア語はいっさい使われていない。ラトビアの鉄道がロシアとともに成長したことがわかる資料といえるだろう。