災害時に寄せられたメッセージとSNS上での"自主規制"

2016年の8月30日、岩泉町に観測史上初の台風が上陸し、町内の幹線道路である国道455号の傍らを流れる小本(おもと)川が氾濫。水と土砂に道路と町の中心部がのまれ、甚大な被害を受けた。川の氾濫は数メートルの橋の上を超えるほどの水かさとなり、比較的下流に位置していた同店をはじめ、岩泉ヨーグルトを生産する岩泉乳業の工場、死者9人を出した「グループホーム楽ん楽ん(らんらん)」などが大量の水と土砂をかぶった。道の駅いわいずみは1階部分がほぼ完全に浸水してしまい、堆積物で営業再開できる状態ではなかった。

泥が入り込んでしまった店内。茂木さんらスタッフはこの光景にしばし呆然とするも、この後、数か月にわたり泥だしなどの復旧作業に追われることになる(撮影・茂木和人氏)

台風後、初めて店内に足を踏み入れた茂木さんは、真っ先にタペストリーを救出。下部が数センチ泥に浸かったものの(この時の泥の跡は、現在もタペストリーの膝部分に刻まれている)奇跡的にほぼ無傷で残っており、さらに交流ノートは机が水に浮いていたおかげで流されることなく残っていたという。

この時の様子を伝えるFacebookの投稿には、作品ファン(以下ファン)からたくさんのいいねやメッセージが寄せられた。

さらに同じく岩手県内で、『ハイキュー!!』の聖地として積極的に巡礼者の受け入れと案内を行う「軽米町を勝手に応援する会@KMKOSK」の呼びかけをきっかけに、ツイッター上で岩泉町の検索に対する自主的な配慮も広がっていった。

当時の岩泉町はインフラ、ライフラインが寸断されていたため、町内の情報取得にツイッターを活用することで急場をしのいでいた。そんな中、キャラクター名をそのままつぶやいてしまうと町内の検索や情報発信の邪魔になってしまうのではという懸念から、一時検索をよける工夫がファンの間で行われていた。筆者も当時ツイッター上で情報を見ていたが、岩泉を心配するファンの声が多数飛び交い、自主規制のみならずファン同士による義援金窓口の周知や募金が行われていたのを覚えている。

中にはファン個人で物資を送ってくれる人たちもおり、道の駅をはじめとする岩泉町の人々にとってそういったファンの応援・支援は非常にうれしく、勇気づけられるものであったという。また、著者の古舘氏からも岩泉町を応援する色紙が贈られ、ファンと岩泉をつなぐ新たな絆となった。

著者の古舘春一氏から贈られた応援のイラスト。店内に飾られている