米国高級車市場に挑戦した日本勢

トヨタがレクサスブランドを米国でスタートさせた当時、米国市場ではトヨタ車をはじめとする日本車が性能・品質・価格で一定の評価を受けていたが、ジャンルとしては小型車分野が中心だった。

このため、日本車メーカーは米国の高級車市場に食い込むための新たなブランド展開を進めた。トヨタに先立ち、本田技研工業が1986年から「アキュラ」ブランドを立ち上げ、1989年にはトヨタが「レクサス」、日産自動車が「インフィニティ」をスタートさせたのである。これらの新ブランドで日本勢は、米国車ブランドの「キャデラック」や「リンカーン」などに対抗し、ドイツ車の「メルセデス・ベンツ」や「BMW」をライバルとして高級車ブランドの浸透を図ったのだ。

米国市場でのレクサスは、品質や顧客満足度を前面に押し出すブランド戦略を徹底的に進めた。その結果、レクサスは1999年から2010年まで、北米における高級車ブランド別販売で11年連続トップとなり、成功を収めたのだ。J.D.パワー(国際的な顧客満足度調査の専門機関)の米国自動車耐久品質調査では、2017年2月に結果が公表された直近の調査まで6年連続でトップを獲得。コンシューマーレポートではブランド別信頼度1位に選ばれるなど、ブランド戦略が奏功していることを物語る調査結果もある。

筆者は、北米レクサス戦略を展開した石坂芳男トヨタ元副社長から米国でのレクサス成功の秘訣を聞いたことがあるが、「レクサスというブランドをトヨタから切り離したこと」というのがその回答だった。実際、筆者が2000年代前半に米国で取材した折、現地で「レクサスってトヨタだったんですか」という一般ユーザーからの声を聞いたことがある。

北米のブランド戦略で成功を収めたレクサス

日本では2005年から「レクサス店」がスタート

北米の高級車マーケットで一定の地位を築き上げたレクサスブランドの成功は、日本市場への導入に結びついた。トヨタは2005年にレクサス店を全国でセットアップし、レクサス販売網を展開した。

ホンダと日産も、一時はアキュラ、インフィニティの日本導入を進めていたが、日本の高級車市場の難しさから断念したいきさつもある。

日本へのレクサスブランド導入に際しては、小笠原流礼法を基礎にした「おもてなし」の顧客対応の導入が話題を呼んだ。全国のレクサス店は、各地のトヨタ店・トヨペット店の地場ディーラーが出資する形で展開されたが、大都市部主体の高級車需要から、地方部のレクサス店では厳しい経営を強いられている状況もある。

日本での高級車ブランドは、ベンツ、BMW、アウディ、ポルシェなどのドイツ車が圧倒的な存在感を示しており、1970年代頃に強かった米国車はフォードが撤退し、GM車も元気がない。レクサスのライバルは、必然的にベンツやBMWということになる。

日本市場では当初、「LS」は「セルシオ」、「GS」は「アリスト」といったようにトヨタブランドと同一であったし、販売店もトヨタディーラーののれん分けというイメージが強く、独立ブランドとしての展開が難しかった状況もある。だが、ここへきてレクサスの車種をトヨタブランドから別にし、バリエーションも増やした結果、2016年のレクサス国内販売は、前年比8%増の5万台超えを達成した。