エボラ出血熱の感染拡大を防ごうとした医師・ウマル・カーン氏とは

NHKは2月6日、「史上最悪の感染拡大 エボラ闘いの記録」と題したNHKスペシャルを放映した。西アフリカ3カ国を中心に1万人以上もの死者を出したエボラ出血熱は、2016年1月にWHOによって終息宣言が出され、事実上の流行の終わりを見せた。

同番組は、その大流行の最前線の地で自らの命も顧みずに患者を救おうとしたある医師にスポットを当てていた。医師の名はウマル・カーン氏。国際社会を巻き込み、エボラと闘おうとしたその生きざまが、多くの視聴者の反響を呼んでいた。

届かなかった道路封鎖の願い

エボラウイルスによって引き起こされるエボラ出血熱は、高熱や頭痛、嘔吐(おうと)などの症状が出る。患者の血液などに触れた際に、傷口や粘膜などからウイルスが入って感染。場合によっては、致死率は90%に達するとも言われている。2014年3月からギニア、リベリア、シエラレオネの西アフリカを中心に感染が拡大し、WHOによると死者は1万人以上にものぼったという。

西アフリカでの流行の初期、同国唯一の専門病院であったケネマ国立病院にて感染拡大の防波堤の役割をになった医師がカーン氏だ。

番組によると、今回の大流行の始まりは2014年5月だった。同病院を訪れたある女性からエボラウイルスが発見されたため、カーン氏はすぐにその女性を隔離。調査チームを携えて女性が住む町を訪れたところ、その町の診療所には高熱や下痢などの症状を訴えている人が複数いた。検査の結果、13名のウイルス感染が確認され、うち2名はすでに死亡していた。

シエラレオネの首都は、ヨーロッパまでの直行便があり、人口は100万人を超える大都市だ。カーン氏は、交通の要衝である都市・ケネマで感染を食い止めるため、感染が確認された地域とケネマの道路を封鎖し、感染地域ごと隔離するように政府に訴えた。だが、その時点での死者数は、政府の思い腰をあげさせるまでには至らなかった。