新生日本代表の初陣は、本田圭佑がキャプテンを務めた

1分け1敗の結果とともに、4年後のワールドカップ・ロシア大会へ船出した新生日本代表。ハビエル・アギーレ新監督からキャプテンに指名されたFW本田圭佑(ACミラン)の動向と発言から、ブラジルの地で喫した惨敗からの捲土(けんど)重来を期す28歳の現在位置を探る。

本田圭佑が試合前日に必ず沈黙を貫く理由

アスリートならば、誰でも試合に臨む過程で行うルーティーンがある。ハビエル・アギーレ新監督に率いられる新生日本代表のキャプテン・本田が、4年前のワールドカップ南アフリカ大会の前後から実践してきたそれは、試合前日はメディアに対して沈黙を貫くことだ。

集中力を高めるための儀式なのか。本田はルーティーンの意図をこう明かす。

「自分自身のパッションを、僕は大事にしているので」。

0対2の完敗を喫した9月5日のウルグアイ代表との初陣(札幌ドーム)を前に、アギーレ監督から大役を任された。「肩書なし」だった同4日はルーティーンを守った本田だが、ベネズエラ代表戦(横浜国際総合競技場)の前日となる同8日は状況が大きく異なる。

キャプテンになったからには、さすがに考え方を改めるのではないか。しかしながら、追いすがるメディアの期待を鮮やかに裏切りながら、本田は足早に取材エリアを通過していった。

アギーレ監督のキャプテン指名への拒絶反応

長くキャプテンを務めてきたMF長谷部誠(フランクフルト)が、ウルグアイ戦前日に左ひざの違和感を訴えて離日した。そうした経緯も踏まえて、ウルグアイ戦後の本田は苦笑いしながら、キャプテンに対してやんわりと拒絶反応を示している。

「マコ(長谷部)がいればマコが(キャプテンマークを)巻いていたのかなと。キャプテンなのにこの場でしゃべらへんかったら皆さんにも言われるしね。本当に面倒くさいというか、割と自由にいきたいのに、義務みたいなものも発生しちゃうじゃないですか。パッションを押し殺しながら、マコみたいに毎回キャプテンらしい振る舞いができる保証がないので」。

ベネズエラ戦前日に貫いた無言には、本田の矜持(きょうじ)が凝縮されていたのかもしれない。だからと言って「オレ流」を押し通すわけでも、55歳のメキシコ人指揮官に反旗を翻しているわけでもない。新体制での初勝利を目指して。ベネズエラ戦における本田の一挙手一投足からは、ほとばしるパッション(情熱)が十分に伝わってきた。

不動のトップ下から守備にも奔走する右ワイドへ

キックオフからわずか13秒で、利き足の左足から強烈なミドルシュートを見舞った。ポジションは3トップの右ワイド。アルベルト・ザッケローニ前監督時代に不動の地位を築き、「自分の家」とまで言い切ったトップ下とは、見える光景もシステム上の役割もすべてが異なる。

本田自身、初陣だったウルグアイ戦後には偽らざる本音を打ち明けている。

「ボールにどんどん触りたいという気持ちを抑えながら前線にいましたけど、体が覚えているので、頭の中を常に整理しておかないと。どうしてもボールを回しに参加しようとする自分がいるので」。

アギーレ監督が掲げる「4‐3‐3システム」では、中盤にスペースが生じた場合、左右のワイドに守備のタスクも求められる。最終ラインにまで戻って体を張ることも少なくなかった本田は、一方で長い距離を走って相手ゴールに迫ることも、自らの判断で持ち場を離れてプレーすることもあった。

だからこそ、2戦を通じてゴールもアシストも記録できず、チーム自体も1敗1分けに終わった結果が悔しくてたまらない。

「個人としては結果という形でチームに貢献したかった。同時に責任あるポジションを任されて、チームのために何ができるのかということを自分なりに考えながらプレーしました」。

「王様」から変化させるためのキャプテンマーク

あえてビッグマウスを演じ、成長していくための糧とするサッカー人生を歩んできた。しかし、「ワールドカップ優勝」宣言はチームの総意として独り歩きして、ワールドカップ惨敗を境に激しいバッシングへと様変わりした。本田自身も「批判は大会後に」とメディアを通じて要望しながら、ザックジャパンの中でブラジルからただ一人、帰国しなかったことも騒動に拍車をかけた。

だからこそ、アギーレジャパンに選出され、帰国した際に受けたサポーターの大声援がうれしかった。

「ミラノではひとつでも下手なプレーをすればとんでもないことになるので、その意味では勇気をもらいましたし、感謝しています」。

本田をキャプテンに指名した理由について、アギーレ監督は経験値の高さとチームへの影響力の大きさを挙げている。ザックジャパン時代は「王様」として、アンタッチャブル的な空気すら漂わせていた本田の立ち位置を変化させることに指揮官の真意がある、と見るのは考えすぎだろうか。

実際、キャプテンに対する本田の舌鋒(ぜっぽう)は、ベネズエラ戦後には明らかにトーンダウンしている。

「その話は誤解も生じますし、どんどんメンバーも変わっていくでしょうから。皆さんも様子見でいいんじゃないですかね」。

ベネズエラ戦が行われた横浜からそのまま羽田空港へ向かった本田は、深夜発の便でセリエAの戦場へと戻っていった。

「当然ですけど、僕はさらに伸びようとしていますから」。

10月に2試合が行われる次回の代表戦へ。わずか2カ月半前にブラジルの地でどん底を味わわされた28歳は、貪欲な素顔を見せることも忘れなかった。

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筆者プロフィール : 藤江直人(ふじえ なおと)

日本代表やJリーグなどのサッカーをメインとして、各種スポーツを鋭意取材中のフリーランスのノンフィクションライター。1964年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒。スポーツ新聞記者時代は日本リーグ時代からカバーしたサッカーをはじめ、バルセロナ、アトランタの両夏季五輪、米ニューヨーク駐在員としてMLBを中心とするアメリカスポーツを幅広く取材。スポーツ雑誌編集などを経て2007年に独立し、現在に至る。Twitterのアカウントは「@GammoGooGoo」。