――20歳の頃にレゲエと出会ったとおっしゃっていましたが、どのようなきっかけだったのでしょうか。

その頃ヒップホップをやっていて、結構ハードな現場だったんですよ。クラブに行っては歌い、歌っては帰るを繰り返している中で、男社会がきついと感じるような心が疲れた時期があって。そんな時に、自分がやっていることをまずは認めてそこから考えようとする音楽があることを知って、まずはそれに衝撃を受けたんです。しかも歌詞のほとんどが日本語。ジャパニーズレゲエは日本語をすごく大事にしています。

――特定のアーティストから影響を受けたわけではないんですね。

みんな好きでした。東京と横浜のクラブも行っていたので、FIRE BALLや湘南乃風は当時から人気もありましたし、好きでした。

――それは早稲田大学に通っていた頃ですか。

レゲエにすっごくハマったのは卒業してからですね。

――卒業後、ニューヨークとトロントに半年間在住。そこも影響していますか。

ニューヨークで仲良くなった人はヒップホップの人が多かったんですけど、トロントはジャマイカからの移民が多くて。ジャマイカの移民街にクラブがあったりして、そこに集まるとみんなで自然とセッションがはじまります。そこで出会ったカナダの人からもレゲエの魅力を教えてもらいました。当時の私はまだヒップホップをやっていて、どうしたらうまくラップをできるかを必死に考えていました。そんな時に彼から「自分や周囲に対して怖さと不安が伝わってくる」と言われて、もう少し肩の力を抜いた方がいいと。ヒップホップの人との空気が真逆だったんですよね。それがきっかけでどんどんレゲエに引き込まれていきました。

――いつから音楽活動を?

音楽活動というと中学3年の頃からです。当時流行っていたんですよね。『東京ストリートニュース! 』という雑誌が出てた時で、みんなDJ門田祥穂くんとかEAST END×YURIさんとかに憧れていました。当時はパーティーも流行っていて、さすがに深夜は無理なので、5時から9時ぐらいまでクラブを借りて私はそこでDJをやっていました。音楽活動といってもいいのか分からないレベルなんですけど(笑)。レコードにはインストゥルメンタルとアカペラが入っていて、全然違う曲のインストとアカペラを合わせるとすごく発見があって、それが高じて自分で曲を作るようになりました。その後、大学受験も無事に終えて本格的に音楽活動がスタートします。最初は曲を作る裏方を希望していたんですが、仮歌を入れることは自分でしなきゃいけないので、まずはボイトレに通いはじめました。

――そこからどのようにメジャーデビューを。

そこで知り合った友達とか、その友達を介して知り合うクラブで歌っている人たち…KICK THE CAN CREWとか。池袋のBEDというクラブだったんですけど、そこで出会う人たちがある時からどんどんデビューしはじめるわけですよ。遊びの延長で楽しくやっていたはずが、私の前から羽ばたいていく(笑)。本当にそういう人が多かったので、自分もそれでやる気になっちゃって。それが24、5の時ですね。今から11年ぐらい前。

――その時に「lecca」が誕生するわけですね。

アメリカから帰ってきた時は「烈火」でした。友達のラッパーの女の子と「フライヤーに載ったときに目立つ名前がいいよね」って話していて、「烈火の如く」からとった名前です。FIRE BALLもすごく好きだったので「火」の一族になろうという思いもありました(笑)。

――この経歴を聞いていると、大学受験とは縁遠い気もしますが。

おばあちゃんっ子だったんですが、おばあちゃんから勉強したくてもできなかった戦時中の話をいつもされていて(笑)。親からも大学は絶対に行ってくれと言われていました。卒業証書を受け取った後は好きなことなんでもやっていいと。

――大学3,4年では周囲が就職活動をはじめますが、不安はなかったんですか。

むちゃくちゃ不安でしたね。同じ大学で俳優をやっている波岡一喜くんが友達なんですけど、波ちゃんもこのままでは食べていけないからすごく不安がっていましたね。私はまだ女なので、きっと男性の方がそういうプレッシャーや不安は強いと思うんですよね。

――しかし、ここまでやってこられた。

ただラッキーだっただけですよ(笑)。実力があっても消えていく人が8割くらいいるんですよね。歌はうまくて感動的な曲でも5年、10年残れないのがこの世界。そうやっていなくなってきた人をたくさん見てきたので…すごく悔しい思いがあります。私、歌は下手なんですよ。

――いや、それはない(笑)。

味としゃべりだけで残ってきたんで(笑)。私がデビューした2005年前後はシンガーがすごく多い時期でした。今はアイドルやグループブームですけど。

――そこで生き残る秘訣は運だと。

実力とか技術や能力はあって当たり前の世界。昔は人生は積み重ねるものだと思っていたんですけど、最近は「展開するもの」と思うようになって。目の前の景色ってトレンドやファッションもあるのですぐに変わっていくんですよね。10年後に消える職業をテーマにした本があるくらいですから。今の0歳って、iPadとかiPhoneのネイティブ世代。彼らの将来はどんな世界になっているんだろうと考えたら、今ある職業もなくなってしまうものもあるんじゃないかと思うんですね。

だから、自分を変えていく。変わることをかたくなに拒んで、周囲から学ぶこともなく展開していかないと自分の武器というものが減っていってしまう。周りとの折り合いを常に考えている人の方が、たぶん成長はできると思います。私は成長できているところとできていないところがあると思うんですけど…それでもリリックとフローは初年度よりも下手なりに進歩しています。今でも進化の途中。「パズドラ」でいうと究極進化前。

9thアルバム『tough Village』

――今のところ絶対に使います。

ハマってるんですみません(笑)。

――ゲームとかやられるんですね。

大好きです。もともとはファミコンとスーファミ世代。DSとPS3も持ってますが、子供が生まれてからはそういう大きいハードを使うことはなかなかできなくなりましたが。

――お子さんにも自由にやらせようという感じですか。

やらせないです。大人の理不尽な理屈(笑)。