残念ながら会社の人事は、必ずしも公平なものではありません。上司だからといって、仕事ができて部下の面倒見がいい人ばかりではないのが現実です。もし上司として尊敬に値しない人に出会った時には、次の言葉を思い出してください。

本日の論語

『子曰、居上不寛、為礼不敬、臨喪不哀、吾何以観之哉』(子いわく、上にいて寛ならず、礼を為してつつしまず、喪に臨みて哀しまずんば、吾何を以てかこれを観んや)

意味

高い地位にいるのに寛容の徳を持たないばかりか、礼制の実践をして敬虔な気持ちがなく、葬式に臨席して悲しまない人がいる。そんな人は、どのように評価すればよいのだろうか(いや、どこにも見るべきところなどはない)。

解説です!

位が高い位置にいる人が、他の人に対する寛容の精神を持たず、真心からの思いを込めずに形式だけの礼を実践して、葬式に赴いても哀悼の感情を表現しないのは、人としても権力者としても評価するのに値しません。大きな権力を持った人ほど、人は謙虚に寛容に振る舞って、他の人の幸福を願って行動する必要があります。

こんなシーンで役立ちます!

会社で出世するには、もちろん仕事ができることは大切ですが、必ずしも能力があれば出世するとは限りません。中には会社に長く勤めているというだけで出世する人もいます。そうした人は、自分の部下が優秀であっても、なかなかそれを認めようとはしません。もし、そんな上司に出会ってしまったら、孔子の時代から、世間とはそういうものだということを思って我慢してください。会社には人事異動もありますので、そんな上下関係は永遠には続きませんから。