5分前に待ち合わせ。これは一般的なマナーなのだが…

「5分前に待ち合わせるのが社会人としてのマナー」。新入社員になった時、誰しもが研修で学んだことだと思う。しかし名古屋では、少し勝手が違う。こちらがそのつもりでも、先方は平気で遅れてくることがあるのだ。

19時開始なら18時45分集合を呼びかける

集合の呼びかけは実際よりも15分早く設定

悪びれもせず「ごめんごめん、ちょっと道が混んでて」、「電車に乗り遅れちゃって」……。ビジネスならそれなりに気を遣うこともあるが、プライベートならこれが当たり前。宴会やパーティーとなると、定刻になっても半分も集まってないなんてことはザラ。これこそが日本に誇る(?)「名古屋時間」だ。

イベントを仕切る側も、その名古屋時間を見越しての時間設定を求められる。 かくいう筆者も、19時からの飲み会をセットする場合、必ず「18時45分集合ね」と声を掛けるようにしている。

結果、参加者が10人とすると、18時45分に集まる人は半分くらい。19時の数分前に駆け込む人が3人くらい。そして「ちょっと遅れるから先にやってて」と、連絡してくる人が2人くらい……。しかし、これくらいのことは「織り込みズミ」なのだ。そして人は言う。「やっぱり名古屋人は時間にルーズだよなぁ」。

名古屋時間という言葉のルーツは定かではない。というか、名古屋人は名古屋時間で動いているという自覚がない。つまり名古屋人によって作られた言葉ではなく、名古屋人の時間のルーズさを揶揄(やゆ)して他県人が言い出したことだと思われる。

しかも、きちんと説明しておきたいポイントがある。それは、「名古屋に出張に来た他県人が言い出した(であろう)ことであって、名古屋人が他の地方に行った時に言われるコトではない」ということだ。つまり、名古屋人は名古屋以外にいる時は、比較的時間通りに行動するのだ。

要するに、名古屋時間というのは名古屋人の体に染み付いているDNAではなく、どことなく確信犯でやっているのである。橋下徹風に言えば、名古屋という土地の「ふわっとした民意」なのだ。

しかし、こういったルーズな時間感覚は名古屋独特なものか? もちろん答えは「NO」だ。代表格は沖縄の「沖縄タイム」。そのルーズさは名古屋時間どころじゃない。プライベートな用事なら1時間くらいの遅刻は当たり前なばかりか、「定時」の意識がないとの説も聞いたこともある。

沖縄タイムほどではないが、地方都市なら大なり小なり時間はルーズなものだ。

名古屋時間は「ふわっとした民意」?

オフ時のルーズさは、きっちり時間管理された製造業の反動?

ではなぜ、名古屋ばかりがこうも言われるのか? それは名古屋が、日本では東京・大阪に続く「第3の大都市」に位置づけられている割に、仙台や博多といった(名古屋より規模が小さい)地方都市に比べて洗練度が低いという背景があるためと思われる。

「こんな大都市なのに……」。いい意味でおおらか、悪い意味でルーズ。まさに昔から言い古されてきた言葉、「大いなる田舎・名古屋」を実証するひとつの現象が、名古屋時間なのだ。

しかし、もうヒトコト言わせてほしい。製造業が多い名古屋(というより愛知)の労働環境は、名古屋時間のルーズさとは真逆の道を突っ走っている。言うまでもなくトヨタグループおよびその関連企業のことだ。

「カンバン方式」「ジャストインタイム」といったトヨタが生み出した生産方式は、いわば合理化の塊。そこには名古屋時間などという甘~い時間管理など存在しない。

次々とラインを流れてくる部品を一心に組み立てる社員たち。そこには常に時間と効率との戦いがある。しかも単純作業のストレスはハンパない。名古屋時間が存在するのは、ある意味その反動のしるしかもしれないとさえ思えるのだ。

名古屋時間を生きる人のおおらかな表情からは、「いつも仕事は時間に追われているんだから、オフの時くらいはゆっくりさせて」という心の声が読み取れると思えなくもなかろう。というわけで、名古屋に来る皆さん、時間のルーズさに怒ることなく「郷に従え」の気持ちでおおらかに接してみてください! 切にお願いします(笑)。