アニキの愛称で知られ、アニメソング界の帝王とも称される水木一郎が、1971年に『原始少年リュウ』の主題歌でアニソンデビューをはたしてから、今年でちょうど40周年。そんな水木一郎が歌ったアニメ・特撮のオープニング・エンディング映像を集めた大全集DVDが2011年12月7日に発売される。
アニソンデビュー作『原始少年リュウ』はもちろん、不朽の名作『マジンガーZ』や『宇宙海賊キャプテンハーロック』などのアニメ主題歌、『超人バロム・1』『仮面ライダーX』『快傑ズバット』などの特撮主題歌など、計104曲を収録した、まさに永久保存版の「水木一郎 TV主題歌大全集」。その発売を前に、水木一郎が語ったメッセージを紹介しよう。
水木一郎が語る『水木一郎 TV主題歌大全集』
――水木さんのアニソンデビュー40周年を記念したDVDがリリースされます
水木一郎「もちろんこれは僕の歴史でもありますが、アニメ・特撮の資料としても本当に貴重なものだと思います。当時の監督の名前から出演者の名前から、全部出てきますからね。リアルタイムで観ていた方というのは、今では立派な大人ですが、当時、テレビの前に座って観ていた映像がそのまま再現されるわけですから、童心に返ってしまうでしょうね」
――水木さんが最初に歌ったアニソンは『原始少年リュウ』の主題歌になりますが、この曲を歌うことになったきっかけを教えていただけますか?
水木「アニソンでは僕より先に堀江美都子がデビューしていたのですが、当時僕が習っていた作曲家の先生が彼女の曲を書くということになって、ちょうどレッスンに通ってきていたんですよ。堀江がまだ12~3歳の頃ですね。それで、僕が先に堀江の歌う歌を覚えて、『こんな感じで歌うんだよ』って歌ってあげたんです。それを堀江に付いてきていたコロムビアのディレクターさんが聞いていて、アニソンにこんな声もほしいなって覚えていてくれて、後にオファーが来たんです。それがきっかけになりますね」
――アニソンというものに対しての抵抗のようなものはありましたか?
水木「僕は映画の主題歌歌手になりたかったので、これはいい機会だと思いました。映画の主題歌も、TVから流れるアニソンも、主題歌ということでは同じじゃないですか。だから、喜んでやらせていただきました」
――映画主題歌を歌うためのステップという感覚もあったのでしょうか?
水木「その当時はまさかここまでアニソンを歌い続けることになるとは思っていなかったので、ステップというよりも、歌う機会がもらえただけで嬉しかったですね。次々と歌わせてもらううちに、アニソンの魅力にハマって、気が付いたら40年経っていたという感じです(笑)」
――それまではいわゆるポップスを歌っていらっしゃった水木さんですが、アニソンということで何か苦労はありましたか?
水木「最初はとにかく、お手本にする先輩もいない状況でしたから、どう歌ったらいいのか悩みましたね。それで、今まで通り歌ってもダメだと。もっと、その作品の世界観を表現するように歌わないといけないなと思いました」
――これまでどおりの歌い方ではダメだと?
水木「ダメですね。それだとアニソンにならないんですよ。もし僕がそのままの歌唱法で、水木一郎を前面に出して歌っていたら、たぶんアニソンとは認めてもらえなかったでしょうね。アニメの歌だからって軽い気持ちでレコーディングしていた歌手もいるかもしれませんが、僕はむしろ、手を抜けないぞと思っていました。だって、レコーディングのときも常に、テレビの前にちょこんと座って楽しみにしている子どもたちの顔が浮かんでいましたから。なので、自分の声をどうやって作品とマッチさせるかというところで、すごく苦労しました」
――『原始少年リュウ』のあとは、立て続けにさまざまな作品を担当なさっていますね
水木「ちょうどそのころ、東映から出す作品の主題歌にマッチした歌手を探そうと、あちらこちらから、いろいろなジャンルの歌い手を呼んでいたんですよ。アニソンを専門的に歌える歌手のオーディションみたいなものがあって、歌謡曲から何から、いろいろなジャンルの歌手の方が連れてこられたのですが、なかなか思うような人材が見つからない。そんな中、最後の最後に堀江のディレクターさんが僕を紹介してくれたところ、プロデューサーさんが『よし、この人でいこう!』という話になりまして。それからですね、『超人バロム・1』から『変身忍者 嵐』、『マジンガーZ』にいたるまで、たくさんのお話をいただくようになりました」
――当時かなりの曲数を歌っていらっしゃいますが、現在のような認知のされ方ではなかったですよね
水木「そうですね。当時は顔を出すわけじゃなかったですし、水木一郎という名前も、子どもたちが読めればいいけれど、読めなければ覚えられないわけで。でも声はね、声だけは、ほかのどんな歌手よりも浸透していたと思います。ちょうど水戸黄門の印籠みたいなもので、姿を見ただけではわからなくても、印籠を見せれば黄門様だとわかる。そんな感じで、俺が歌えば、『ああ、あの番組の』ってわかってもらえるのではないかと思っていました」