――おそらく多くの方が、新海監督のこれまでの作品に対して持っているイメージと、今回の『星を追う子ども』とでは、少し違った印象を持たれるのではないかと思います

新海監督「そうですね。ただ、手触りは違うと思いますが、そこは意図的に変えた部分であって、本質的な部分はそんなに変わっていないのではないかと思います。それがどのように伝わるかはまだわかりませんが」

――観せ方を変えてみたという感じでしょうか?

新海監督「フォーマットも変えましたが、もちろん、今までのやり方が良くないと思っていたわけではなく、ちょっと気が済んだとか、飽きたといった気持ちのほうが大きいかもしれません」

――すこし違う方向に進んでみようと?

新海監督「こういう方向に進まなければいけないという決まりがあるわけではないですしね。まだ手探りをしているような感覚なのですが、今回2時間の長編アニメーションを作ってみて、何か今回の作品が初監督だったという気持ちがするぐらい、学ぶことも多く、楽しかったことも多く、アニメーションというのはこうやって作るんだというのがあらためてわかったような感覚もあります」

――今回の作品の鍵でもある「アガルタ」は、地下世界ではありませんが『ほしのこえ』にも出てきますよね

新海監督「そうですね(笑)」

――ということは、今回の作品の着想を得た本の印象は、監督の中ではかなり大きなものだったんですね

新海監督「本当にすごく好きな本だったので、その印象がずっと残っているんですよ。『ほしのこえ』に出てきたアガルタも、まさにその本からのイメージです。実は、今回の長編映画を作ろうと思ったとき、その本そのものをアニメーションにできないかと思って、読み直してみたりもしたんですよ。でも、やっぱり古い物語なので、なかなかストレートに今の自分が言いたいことを言っているわけではなく、アニメーションにするのは少し難しかったので、お話を書いていくうちに、完全に違う話になってしまいました」

――新海監督の作品といえば、やはり風景描写にも注目が集まりますが、『星を追う子ども』の舞台背景はだいたいいつ頃の時代を念頭に置いて描かれていますか?

新海監督「想定しているのは1970年代ですね。実際のところ、何年の作品だと思って観てもらってもいいのですが、一応、形としては地球空洞説の話なわけですよ。地球の中が空洞で、そこにもう一つ別の世界があるよっていう。言葉そのものは劇中に出てこないですけど、設定的には地球空洞説なんです。で、その地球空洞説というのがリアリティを保っていたのは、ギリギリ70年代かなって。ノストラダムスを信じていたような時代。それぐらいの感覚なんですよ。劇中で、モリサキという教師が、アスナに向かってアガルタ世界の話をするシーンがあるのですが、それを今風の絵で描くと、ちょっとおかしいというか、説得力がない。でも、黒電話があったりする、インターネットもないような世界であれば、少しはリアリティを感じられるのではないか、ということで70年代にしています」

――鉱石ラジオの描写などは、子どもや若い人にはなかなかわかってもらえないかもしれませんね

新海監督「ちょっとわからないかもしれませんね。ただ、鉱石ラジオも本当にアイテムのひとつでしかないわけで、細かいところがわからなくても楽しんでもらえるようにはしています」

――70年代にしては、女の子のスカートがちょっと短いかなという印象もありますが……

新海監督「そうですね(笑)。ただ、リアルに70年代を再現しているわけではなく、実際によく観てみるとかなり違うところもたくさんあります。舞台は70年代の絵になっていますが、特に登場人物の心情や行動パターンなどは現在に近いかもしれません。何年代のお話ということではなく、あくまでも架空の世界ということで描いています」

(次ページへ続く)