──本書を読むと、現代のゲームが実はファミコン時代のゲーム様式をなかなか超えられないままでいる、むしろ縛られているような印象すら抱いてしまいます

松浦 ええ、そのような点は執筆時に意識した要素のひとつです。たとえばRPGに登場する主人公のパーティーは、4人編成のケースが多いように感じませんか? これは、ファミコンのハードウェア的な制限……要はグラフィック性能との兼ね合いでキャラクターを最大4人までしか同時に描写できなかったことが大いに影響しています。ファミコンのRPGに先行する作品として、6人パーティの『ウィザードリィ』、4人パーティの『ウルティマ』もありますが、やはりファミコンの存在は大きかったと思います。現在のゲームで当たり前のように用いられている「文法」が、実はファミコンゲームを起源にしているなんてことも少なくありません。

ファミコンは、現代の最新ゲーム機と比べて、技術的にさまざまな制限がありました。だからこそ、ゲームの開発者たちはいろいろな工夫をしたわけですが、翻って、ファミコン時代のゲームは限界があるがゆえに、いわば苦肉の策を積み重ねた産物でもあるんですね。いまは、それらの技術的な制約がほぼ解消しているのだから、もっと自由にゲームを作ってもいいはずです。ゲームの開発者やプレイヤーが、無自覚のうちにファミコン時代のゲーム「文法」に縛られていると感じることがときどきあります。

実際、最近のゲームのグラフィックやサウンドは、ファミコン当時と比べものにならないくらいハイクオリティになり、ゲーム自体も格段にレベルアップしたように感じます。でも、つぶさに見てみると本質的な部分はファミコンのころからあまり変わっていないような作品も多いんです。

この本ではファミコン時代のゲームの背景にある事柄をたくさん取り上げましたが、それらを意識しながら新旧を問わずゲームを遊んでみると、改めて見えてくることが数多くあるはず。ファミコンゲームの「文法」を超えて、新しいゲームの可能性を追求するためのヒントとしても、本書が役立ってくれることを願っています。

──いま指摘されたような「文法」をいかに超えるか、がこれからのゲームの進化のカギになる、ということでしょうか

松浦 はい。そのためにも、「このゲームって売れてるけど、なぜ面白いんだろう?」と常に考える姿勢が大切になる。その判断材料になるのが、たとえばファミコン時代の良作の面白さだったりするわけです。だからこそ、新旧のゲームを先入観なく、もっともっと遊んでみることが重要なんだと思います。ゲーム制作者にもプレイヤーにも、もっとゲームを遊んでほしいと感じることがあります。もちろん自分たちも、もっともっとゲームを遊びたいです。

 面白いゲーム体験が過去にあって、それをもとにゲームを作ろうとなったとき、そのゲームの面白さがどこにあったのかを突き詰めて考えず、わかりやすい様式や技法を取り入れるところから入ってしまうケースをときどき見かけます。だから、見た目は似ているけどなぜか面白くない、なんてことが起こってしまう。作るときも遊ぶときも「このゲームはどこが面白いのか」という点がより注目されるようになると、楽しいゲームがたくさん生まれて育っていくんじゃないかと期待しています。……つづきを読む