新潟・長岡市の酒造メーカーであるお福酒造は10日、新潟県中越地震で復興中の旧山古志村(現長岡市)にある自然棚田でとれる米から造った日本酒「特別純米酒・山古志」を本格発売する。発売に際し先月、東京・表参道にて記者発表会が行われた。震災により、同酒造の初年度被害総額は6,000万円にものぼったという。その後見事復活を遂げ、復興の象徴として発売されるこの日本酒は、いったいどのような味わいなのだろうか。
震災を振り返る
新潟は2004年、中越地震で大きな被害を受けた。震源地とされる中越地方の中でも、特に旧山古志村は震災の爪痕が深かった。村の様子が繰り返し報道されていたことから、この地名を覚えている方も多いだろう。あれから4年。新潟の人々は力を合わせ、元の生活に戻りつつあるという。まずはこれまでの道のりを振り返ろう。
2004年10月23日17時56分に、新潟県中越地震が起こった。最大震度7を記録し、人的被害は死者は68人、重軽傷者4,795人。住家被害は約12万棟となった。JA越後ながおか山古志支店長の佐藤幸夫さんは当時を振り返る。「私は生まれも育ちも山古志村です。あの地震から生活が大きく変わった。体育館での避難所生活は52日間に及び、その後2年間を仮設住宅で過ごしました。こんな経験は2度としたくない」。
現地では11月下旬に雪が降り、氷点下の夜には2~3mの積雪もあるそうだ。慣れない住まいで過ごす寒い冬を経て、住民達の生活は大きく変わった。「震災から丸4年が過ぎました。当時は、山古志村に帰ってこられるのか不安でした。しかし、今では502世帯(震災前は680世帯)が元の住まいに戻ってきています」。
長かった被災生活から、ようやく日常生活を送ることができるようになった。ただし、住民は減り、地域の過疎化が一気に進んでしまった。
創業明治30年のお福酒造
お福酒造の専務取締役・岸伸彦さん |
新潟県長岡市、旧山古志村の麓にお福酒造という酒蔵がある。創業は明治30年に遡る。創業者の岸五郎さんは酒母製造に乳酸を添加する「速醸もと」を発明した功績で、黄授褒章を受賞した。しかしここもまた、震災で大きな被害をうけた。専務取締役の岸伸彦さんは次のように述べた。
「震災の時、杜氏が蔵の中に閉じこめられました。扉が歪んでしまい、中に入れない。電話も通じない。無事が確認されるまでの1時間は大変に恐ろしい時間でした」。
震災後、山古志村に再び入れるようになるまで4カ月間がかかった。蔵元では貯蔵していた1升瓶の日本酒8,000本を失い、製造中であった日本酒の原料も廃棄することとなる。初年度被害総額は6,000万円になるという。倒壊は免れたものの、震災前と比較すると生産量は25~30%減少したそうだ。