神話的であり、現代的な若者の世界でもある『蛇にピアス』

演出家として、世界中で高い評価を得ている蜷川幸雄の映画監督作品『蛇にピアス』が絶賛公開中だ。芥川賞作家・金原ひとみの同名小説を、吉高由里子主演で映画化した本作は、吉高の体当たりの演技や、ピアスやタトゥーなどの衝撃的な描写で話題を集めている。70歳を越えてなお、このような力に満ちた作品を監督した"世界の蜷川"が自身の演出への尽きることない情熱を語ってくれた。

蜷川幸雄
1935年生まれ。埼玉県出身。『真情あふるる軽薄さ』(1935年)で演出家デビュー。『ロミオとジュリエット』(1974年)で大劇場に進出し、話題作を連発。『王女メディア』(1983年)のヨーロッパ公演以降、毎年海外公演を行い、世界中で高い評価を得る。彩の国さいたま芸術劇場では、シェイクスピア全作品を上演するという『彩の国シェイクスピア・シリーズ』を継続中。2008年の演出作品に『リア王』、『道元の冒険』、『ガラスの仮面』など多数。映画監督作品に『青の炎』(20003年)、『嗤う伊右衛門』(2004年)、『蛇にピアス』(2008年)などがある

――映画『蛇にピアス』は、ストーリーはもちろん、セリフやモノローグまで、ほとんど原作のままでした。蜷川監督が原作に敬意を払っているという印象があったのですが。

蜷川幸雄(以下、蜷川)「あの小説の言葉って、日常的な言葉のようで、実は風俗的な用語というか現代的な若い子たちが使う言葉と、文学的な言葉を、作者が混ぜているという印象があったんです。それを変えてしまうと、ただの風俗映画になってしまうと思ったんですよ。元の脚本を書いた宮脇卓也君が、その言葉たちの中に、自分の言葉を入れていた。それを読んだときに『なんだ、風俗的だな』って、凄い違和感があったんです。それで、もう一回頭からすべて洗い直した。そのことについては僕が自覚的に、原作の言葉に忠実に戻したんです」

――確信犯的だったんですね。原作を読んだ時点から、蜷川監督は小説『蛇にピアス』の世界をそのまま映像化したいという意識が強かったんですか?

蜷川「そうです。もうひとつは、あの小説が出た当時の日本映画界は、風潮として『純愛』だとか『ノスタルジー』だとかそういう映画と、海外の映画祭向けの作品ばかりで『つまらないな』と思っていたんです。現代を描くときに、モノローグだとかディスコミュニケーションみたいなのが表に際立って出てる、つぶやくだけのような映画を嫌だと思っていたんです。だからもうちょっと原色に近いような物語を出来ないだろうかと……。今の若者を描くときに、ありがちなそういう世界から、ちょっと離れたいという想いがありました」

――原作も映画も表層的な見方をすると、風俗とかディスコミュニケーションに目が向かいます。でも作品の深層で描かれている世界は神話というか、かなりクラシカルで普遍的な世界です。『自分を相手の中に、どうやって存在させるか』とか、『この世界の中で、どうやって居場所を見つけるか』とか……。

蜷川「その通りです。僕も一見風俗的に見えるけれど、その底に流れているのは、もっと大きな物語ではないかという気がしたんです。神話的な物語の構造と考えてもいい。ピアスをしたり、タトゥーを入れたりということも、どこか土着的な感じがあるなと……。そういう部分と同時に、とことん他者と付き合わない。名前も知らない。本当の年齢も知らない。そこをあいまいにしながら同棲したりセックスしたりする若者が登場する。つまり本当の相手の核心に到達しないままやっていくという曖昧さ……。まぁ、それを僕は『普通名詞の世界』だと言っているのですが、普通名詞では収まりきれなくなって、やがて『固有名詞』になる。アマがいなくなると、初めてルイは固有名詞を探し始める。そういうところが神話的に思えるし、それが正しく現代的な今の若い子たちの世界であるとも思えるんです」

お互いの本名や年齢も知らないまま、ルイ(吉高由里子)とアマ(高良健吾)は暮らし始める