泰平の ねむりをさます 上気撰 たった四杯で よるもねられず-。この有名な狂歌からも分かるように、約200年間にわたる江戸幕府の鎖国を崩壊に導いたのは、アメリカ海軍提督マシュー・ガルブレイス・ペリー率いるたった4隻の蒸気船(黒船)だった。

そして、日米通商の道を切り開いたのが、日本総領事の任命を受けて、来日したタウンゼント・ハリスその人である。1858(安政5)年6月19日(洋暦7月29日)、ポーハタン号上で締結された日米修好通商条約は、日本に国内経済の混乱と攘夷の嵐を呼び起こし、時代は明治維新へと向かう。

ペリーとハリス、この2人にスポットを当てたのが、江戸東京博物館で開催中の特別展「ペリー&ハリス~泰平の眠りを覚ました男たち~」だ。そこで今回は、展示作品を紹介しながら、日米通商の道を切り開いた2人の男に迫ってみようと思う。

ペリー肖像画 ジョン・アービングJr. 1868年 アナポリス海軍兵学校博物館 横浜開港資料館画像提供

ハリス肖像画 ジェームズ・ボーグル 1855年 ニューヨーク市立大学シティカレッジ

開国。その理由の一つが捕鯨産業である。19世紀にはいると捕鯨産業は大いに繁栄。ニューイングランド地方では経済の基幹をなすまでに発展していた。そして、日本近海にも鯨を求めてアメリカ船が頻繁に出没し、飲料水や薪炭を補給する寄港地を求めるようになる。

そして、1853 (嘉永6)年6月(洋暦7月)、黒船来航。「絵入りロンドンニュース(The Illustrated London News)」では1852年11月24日バージニア州ノーフォーク号を日本に向けて出向したペリー艦隊について報じている。同紙には、ペリー提督の肖像と蒸気フリーゲート号ミシシッピ号の挿絵が掲載されており、東アジア海域まで到達したペリー艦隊の動向や、遠征の目的、ペリーの経歴が紹介されている。

ペリー来航を伝える新聞(「イラストレイテド・ロンドンニュース」より) 1853年(嘉永6)10月22日 江戸東京博物館

ペリー艦隊が来航した当時、その模様を記録として残すため幕府や大名のお抱え絵師達が活躍。彼らの描いた軍服姿のペリー肖像が残されている。ただし、実際にペリーを見た人間が極少数で、原画を下絵として書き写され、その過程で誇張が加わったり、浮世絵師が想像を加えて描くなど、その種類は実に多彩だ。

ペリー提督献上 エンボッシングモールス電信機 郵政資料館

閑話休題。話を元に戻すとしよう。江戸幕府は、アジア世界の潮流が開国の時代に向かっていることを既に知っていた。清国がアヘン戦争でイギリスに敗北するというショッキングなニュースが東アジア中を駆け巡っていたからである。幕府は翌1854(嘉永7)年、再び現れたペリーとぎりぎりの交渉を行い、3月3日(洋暦3月31日)、横浜にて、不平等条約と言われる日米和親条約が締結された。これにより、下田と函館の2港が開港された。

日米和親条約英文原本 1854年(嘉永7) 米国国立公文書館

なお日米和親条約交渉の裏側では、アメリカと日本の間で贈答品の交換と宴会が催されたという。その事実を伝える品が、同展で出品されている。たとえば「エンボッシング・モールス電信機」。米国大統領フィルモアからの将軍徳川家定へ対する贈答品の1つで、外箱に「For the Emperor of Japan」の刻印がある。ペリーは電線や電池などの装置一式を持参し、通信の実演を行ったとされる。

ペリー献上エンボッシングモールス電信機

ポーハタン号甲板上での宴会の様子(「ペリ-提督日本遠征記」 初版より) ハイネ 1856年 江戸東京博物館『ペリー艦隊日本遠征記』では、ペリー艦隊乗組員への催しの様子が想像して描かれた3色刷りの瓦版が残されている。最初の会談の後は、300人前の昼食料理が用意された

1856(安政3)年7月(洋暦8月)、ハリスは日本総領事の任命を受け、通訳のヒュースケンを連れて下田の地に到着した。その目的は、ペリーが果たせなかった日本との通商条約を結ぶことにあった。ハリスは江戸での交渉を求め、これを引き伸ばそうとする幕府を相手に孤軍奮闘した。そして来日から1年以上も経った1857(安政4)年10月、ハリスはようやく江戸に入場し、江戸城で将軍への謁見を遂げた。国内の意見調整は困難を極めたが、1858(安政5)年6月19日(洋暦7月29日)ポーハタン号上で日米通商条約が調印された。条約の締結は日本に国内経済の混乱と攘夷の嵐を呼び起こし、ヒュースケンが暗殺されるという事件まで発生。しかしハリスは、日本と諸外国との橋渡し役として働き、1862(文久2)年に帰国するまで、幕府との信頼関係を守った。

安政四年亜米利加使節ハリス登城の図 黒船館

条約交渉が終盤に近づいたとき、幕府全権委員の岩瀬と井上は、ハリスに条約批准のために日本から使節をワシントンDCへ送ることを提案した。ハリスは大いに喜び、批准を行う事項が盛り込まれた。こうして1860(万延元)年、日本初の遣外使節団が批准書を携え太平洋を渡ったのである。一行がアメリカで見たものは、豊かな生活とアメリカ国民の熱狂的な歓迎だった。初めて目にする異国で、彼らは自らの姿を写真に収め、珍しい品物を持ち帰った。その使節団の中に、加藤素毛の姿があった。加藤は飛騨出身の俳人で、見聞したことを書きとめ、様々な土産品を持ち帰ったという。同展では、素毛が残した渡米日記や書簡、持ち帰ったトランプやガラス瓶などが展示されている。

遣米使節へのホワイトハウスでのもてなし(「イラストレイテド・ロンドンニュース」より) 1860年(万延元)6月16日 江戸東京博物館

その他、ペリー艦隊に同行した画家、ウィリアム・ハイネが描いた幕末の情景の数々、ヒュースケン着用の洋服、ペリー提督着用の海軍軍帽、サスケハナ号・ミシシッピ号の模型などといった展示品によって、日米通商の歴史について分かりやすく学べる展示構成となっている。この機会に、是非江戸東京博物館へ足を運んでいただきたい。

加藤素毛肖像写真(アメリカで撮影) 1860年(万延元) 加藤素毛記念館

特別展「ペリー&ハリス ~泰平の眠りを覚ました男たち~」
開催期間 4月26日(土)~6月22日(日)
開催場所 江戸東京博物館 1階企画展示室
開館時間 午前9時30分~午後5時30分(土曜日は午後7時30分まで)※入館は閉館の30分前まで
休館日 毎週月曜日(ただし、5月5・12・19日は開館)、5月7日(水)
主催 財団法人東京都歴史文化財団、東京都江戸東京博物館、読売新聞社
観覧料金(当日券) 一般=1,300円 / 大学・専門学校生=1,040円 / 中学生(都外)・高校生・65歳以上=650円 / 小学生・中学生(都内=650円