――会社を立ち上げられる前は、玩具メーカーにいらしたんですね。

「昔のタカラ、現タカラトミーですね。大学を出てそのままタカラに入って、最初に配属されたのがリカちゃんとかジェニーを担当している事業部です。その後はべつの事業部でオリジナルアニメを作ったり」

――はい。

「その後に、また男児玩具のほうの部門に移って。で、タカラの勇者シリーズの『勇者警察ジェイデッカー』ぐらいからですかね、企画の手伝いのほうに入りまして」

――どうやったらどういうものができる、というのはそのころ身につけられた?

「はい。特に好奇心が強いほうだったので、担当じゃないところも用もないのに見に行ったり。あと、入ったときに東京工場の研修っていうのがあって、実際に金型運んでバラしたりとか、プラスチックのインジェクションの実習をやったりとか。一通り分かってましたから」

――特撮ドラマもおやりになりますね。

「メインでやったのが、円谷プロの『電光超人グリッドマン』ですね。円谷さんも『ウルトラマン80』以降、『グリッドマン』まで13年ぐらい新作を作ってなかったんですよ。それで、なかなかそういう体制がすぐには整えられなくて。ですから、かなりの部分はこちらでやりましたね」

――具体的にどのようなことをおやりになったんでしょう?

「『電光超人グリッドマン』っていうタイトルは、僕の考えた名前です。怪獣はネーミング、それと設定と怪獣のデザイン……ていうところはやりました。もともと学生時代、18のときに成田亨さんに出会いまして、それから10年以上お付き合いをさせていただいていたんです」

――どのようなお付き合いだったんでしょう?

「『麻雀放浪記』とか『スケバン刑事』の映画とか、そういった特撮を成田さんがやってらっしゃいまして、そのお手伝いをやって。それで特撮のこととか、いろいろ勉強させてもらいました」

――そういう勉強の成果が仕事で役に立った……。

「ヒーロー番組をやるとなると、その知識が必要ですね。ヒーローのデザインでもそうなんですけど、オモチャ屋さんのほうでデザインを考えると、オモチャのことしか考えないんです」

――なるほど。

「テレビになったときにどうなるかっていうのは、もう思考停止してしまって考えてないんですね。それは円谷プロなり現場の人たちがなんとかしてくれるだろう、いいようにしてくれるだろう、というのがあって」

――現場に投げてしまう……。

「でもそうすると、やっぱり現場は非常にやりにくい。怪獣のデザインなんかもそうで、ホントに難しかったのは、ソフビにしやすい&ぬいぐるみとして人が入って動きやすい」

――当然、そうなりますよね。

「しかも、予算がなくて13体分の怪獣しか作れなかったので、最低3回は改造して使わなきゃいけない。改造を前提としなきゃいけないとか。そういったものを全部ひっくるめてやんなきゃいけなかったんです」

――すごいハードルですね。

「そういった意味では、オモチャのこともソフビのこともぬいぐるみのことも、ある程度分かってるってところで非常に重宝されました」

――時期的にいうと、『勇者王ガオガイガー』なんかも……。

「直接の担当ではなかったのですが、わたしは『ドリルばか』で、とにかくドリルをつけようと。わたしが関わると必ずドリルメカが出ます。グリッドマンもジェイデッカーもマイトガインもグラヴィオンも。それで、ガオガイガーにもドリルタンク出せって」

――(笑)。

「そうしたら、グリッドマンは肩につけて、勇者シリーズも胸につけて。あと、つま先がドリルもいるし、頭がドリルもいるし。赤松さん、もうドリルつけるとこないですよ。いや、まだ膝が空いてるから膝につけろ、って。で、膝にドリルつけて、膝蹴りでドリルだって。それで、ガオガイガーは膝にドリルがついてるんですよ(笑)」