新しいキャリア、新しい場所…。新しいことにトライするには、苦難や苦労がつきものです。ただ、その先には希望があります。本連載は、あなたの街の0123でおなじみの「アート引越センター」の提供でお送りする、新天地で活躍する人に密着した企画「NewLife - 新しい、スタート -」。第3回目は、元プロ野球選手の桧山泰浩さんにお話をうかがいました。
清原和博の「外れ1位」。今は“裏方”として依頼者のために奔走
福岡市・大濠公園のすぐそばに事務所を構え、今年で22年目を迎える司法書士の桧山泰浩さん。主に民事訴訟と不動産登記、財産管理業務を手がけ、いわば“裏方”として依頼者のために奔走しています。
そんな桧山さんは今から33年前の秋、表舞台に立ちスポットライトを浴びていました。「KKドラフト事件」と世間を騒がした、当時PL学園の清原和博さんと桑田真澄さんの運命を分けた1985年のプロ野球ドラフト会議。1位指名競合のすえ、清原さんを獲得できなかった近鉄バファローズの「外れ1位」に指名されたのが、東筑高校のエース、桧山さんでした。
プロ野球選手から異色の転身を果たしたその軌跡に迫りました。
6年間のプロ野球人生で、1軍登板はゼロ
「外れ1位」とはいえ、その年の「ドラフト1位」。全国で12人しかいない、選ばれた人材です。大きな期待を受けて入団した桧山さんでしたが、思うような成績を残せず苦悩の日々を送っていました。
投げては打たれの繰り返し。どうすればバッターを抑えられるのか、自分なりに試行錯誤を重ねて練習にも励みましたが、なかなか結果を出せずにいました。 |
同期の清原さんや桑田さんが華々しい活躍を見せる中、桧山さんは2軍暮らしが続きます。1年が経ち、2年が経ち、とうとう自分自身を信じられなくなってしまったそうです。
徐々に現状を悲観するようになり、入団5年目には糸が切れたかのように練習にも身が入らなくなっていました。自暴自棄になり、クビを宣告されるのを待つだけでしたね。 |
そして6年目のシーズンオフ、韓国球団からのオファーもあり自ら引退を表明。6年間の在籍で、1度も1軍マウンドに登ることはありませんでした。
そのあと韓国プロ野球に移籍したんですけど、肩と肘を故障してしまい、結果的に移籍1年目の6月には退団することになりました。 |
人生初の“社会人”を経て司法書士試験に挑戦
野球を辞める決心がつき、韓国から帰国。その翌月から、大阪の衣料品関係の会社で働き始めました。高校を卒業してプロ野球界に身を置いた桧山さんにとっては人生初の“社会人”。しかし、戸惑いやギャップを感じることはあまり無かったと言います。
野球だけをしておけばいいプロ野球選手というのは、どうしても学生の延長のような気分になりがちです。特に高卒や大卒の選手は社会の常識もろくに学びません。また、プロ野球選手というだけで、周囲の人々はチヤホヤしてくれます。 |
プロ野球人生終盤、やる気を失った桧山さんの姿勢にはネガティブな印象も持たれがちですが、それは自分自身や周りを冷静に客観視できていたからなのかもしれません。だからこそ、過去にすがりつかず、リスタートを切りやすかった側面もあるのでしょう。
2年にわたり、社会勉強を兼ねてサラリーマンを経験した桧山さんは、ここから本腰を入れてセカンドキャリアを模索し始めるようになります。
例えば、飲食店を開業しようと思えば、多額の資金が必要になります。しかし私にそんな資金はありませんでした。他に何かないかと考えているとき、浮かび上がったのが『士業』だったのです。 |
弁護士、公認会計士、税理士、それから司法書士。仕事内容や試験について調べていくと、ある壁が立ちはだかりました。
当時、司法書士以外の弁護士や公認会計士、税理士の資格を取得するには、大学の卒業資格が必要でした。私は高卒ですので、目指すなら大学に入学して教養課程を修了しなければなりません。そのため、今すぐにでも受験できる司法書士試験に挑もうと決めました。 |
それから勉強を開始した桧山さん。さぞ“勉強漬け”の生活を過ごしてきたのかと思いきや、勉強時間は1日たった2時間と聞いて驚きました。
試験の出題傾向を徹底的に分析し、長時間ダラダラと勉強するのではなく、短時間に集中する合理的な勉強法を採用しました。 |
1度目の挑戦は失敗に終わるも、2度目にして合格率約3%の難関を早くも突破。“元プロ野球選手の司法書士”は、こうして誕生したのでした。
野球は人生の縮図。負けから何を学び、次の勝ちにつなげていくか
プロ野球選手を引退して27年の月日が流れた今、桧山さんは「野球は人生の縮図」とつくづく実感するそうです。
バッターなら、3割打てば一流の証。それでも、3度のうち2度は抑えられています。3連戦も、まずは2勝1敗できれば御の字。負けることから逃れることはできないんです。 |
負けたときにこそ、人は反省します。勝ったときには意外と振り返らないものですから。人生は、いつも順風満帆というわけにはいきません。野球のように『負けはつきもの』と認識し、いかに次の勝ちにつなげていくかが大切です。 |
プロ野球選手時代には“負けた”桧山さんですが、その経験をバネにキャリアチェンジした今、依頼者の期待に応えようとフル回転の日々を送っています。
プロ野球選手のときに相当苦労しましたので、それに比べればたいていのことは乗り越えられます。野球には正解が無く、どんなに練習してもマイナスになることもありました。 |
司法書士として働く傍ら、桑田さんを会長に昭和42年生まれのプロ野球選手で構成する「絆の会」に参加して全国各地で野球教室を開催したり、地元中学生たちにピッチングの指導もしたりしている桧山さん。子どもたちには「毎日に一喜一憂せず、将来に向かって努力を続けていこう」と声をかけているそうです。
自分が何をしたいのか、そのために今は何をすべきなのか、それを考え抜いて行動することが、どんな環境においても求められるのではないでしょうか。現状に留まらず、扉を次々に開け続けてチャレンジしていく。そうすれば“生涯現役”でいられるはずです。 |
桧山さんの夢は、いつか高校野球の監督になってプロ野球選手を輩出すること。“生涯現役”を貫くその先に、そんな未来が待っているのかもしれません。
アート引越センターは、一件一件のお引越に思いをこめて、心のこもったサービスで新生活のスタートをサポート。お客さまの「あったらいいな」の気持ちを大切に、お客さまの視点に立ったサービスを提供していきます。
[PR]提供:アート引越センター(アートコーポレーション)