新しいキャリア、新しい場所…。新しいことにトライするには、苦難や苦労がつきものです。ただ、その先には希望があります。本連載は、あなたの街の0123でおなじみの「アート引越センター」の提供でお送りする、新天地で活躍する人に密着した企画「NewLife - 新しい、スタート -」。第2回目は、元俳優の小栗了さんにお話をうかがいました。

  • 元俳優 小栗了さん

    第2回目は、元俳優の小栗了さん

「演出家」と呼ばないでほしい

「僕は、演出家と呼ばれることに抵抗があるんです」

元俳優の小栗了さんは、株式会社NACの代表取締役社長として、企業の催しを中心に、アクロバットショーやクラシックコンサート、歌舞伎、格闘技といった幅広いジャンルのイベントを演出、プロデュースしています。

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記憶に新しいのは、「演出」を担当した千葉ロッテマリーンズの2018年シーズン開幕戦セレモニー。その壮大な光のエンターテイメントは、新生・井口マリーンズの船出を彩り、好評を博しました。

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    小栗さんが手がけてきたイベントの数々

にもかかわらず飛び出した、冒頭の言葉。そこから浮かび上がったのは、小栗さんが生きるうえで大切にしている思いでした。

弟・小栗旬の活躍に触発されて俳優の道へ

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父はオペラの舞台監督で、母は無類の映画好き。特に母の影響が色濃く、いつも自宅に平積みされていたレンタルビデオを親子で観ているうちに、映画の魅力に惹かれていったそうです。高校を卒業後、映画監督を目指してアメリカの大学へ留学。映画学部に所属し、エンターテインメントの本場の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、演出や演技を勉強しました。

はじめは映画監督を志していたのですが、次第に演技することの楽しさにハマっていきました。


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ちょうどその頃、日本では期待の若手俳優が大ブレイク前夜を迎えていました。実弟の小栗旬さんです。弟の活躍に刺激を受けた小栗さんは、帰国後、自身も俳優業をスタートさせます。しかし、現実は厳しいものでした。

弟が俳優をやれているし、自分もできるだろうと思っていたのですが、甘かったです。


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当時、オーディションには「21歳まで」などと年齢制限が設けられているのが一般的。すでに24歳だった小栗さんはなかなかチャンスを得られず、帰国して2年間ほどは所属事務所も見つからなかったそうです。ただ、小栗さんはあきらめませんでした。

フリーの“自称俳優”として営業活動を始めたんです。ときには「旬くんのスケジュールって空いているかな?」と弟のマネージャーのように扱われたこともありましたが(笑)、少しずつ俳優の仕事ができるようになりました。


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そんな中、故・蜷川幸雄さん演出の舞台に旬さんと共演を果たすことが決まりました。まさに大舞台。ここで小栗さんの人生を変える出来事が起きたのです。

初座長として主演を務めていた旬がインフルエンザにかかり、しばらく舞台の稽古を休むことになりました。そこで代役に指名されたのが僕だったんです。


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必死に台本を覚え、懸命に稽古に打ち込んだ小栗さん。けれど、残酷な通達が。

たった2日で代役を降ろされてしまいました。このとき、もう潮時なのかなと直感的に思いましたね。それに、弟の代役をしてみて、弟の凄さが身に染みてわかりました。あいつが舞台の真ん中に立つだけで、その場の雰囲気が一変するんです。「このまま同じ俳優業を続けていても、到底追いつけない」。そう感じたことで踏ん切りが付きました。


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眠れない日々、絶えない口論。「シルク・ドゥ・ソレイユ」日本常設劇場の立ち上げで得た学び

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そして、小栗さんは30歳を機に俳優業を引退。その後、父が経営する会社に正社員として入社すると、すぐさまビッグビジネスの話が舞い込みました。パフォーマンス集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」の日本常設劇場の立ち上げです。

英語が話せるというだけで父から担当者に任命され、プレゼンから契約の締結まで担当しました。俳優業からの転身でしたが、やることが明確でしたので、戸惑いは無かったです。コンペに勝てたのは、ひとつひとつの積み重ねの結果だと思います。


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しかし、ここからが大変でした。日本側の責任者として、NACを設立し劇場の立ち上げに臨んだ小栗さんは、まさしく眠れない日々を過ごすようになります。

目を閉じると、次の日にやるべきことや、その日にやり忘れたことを思い出してしまって眠れなくなるんです。当時は、始発で自宅を出て終電で帰る生活を続けていて、人生で最も働いた時期でしたね。


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さらに、追い打ちをかけるように小栗さんを悩ませたのが日米の文化の違い

アメリカ人はトップダウンで団結する傾向にありますが、日本人はそこに心が伴わないとなかなか動けません。また、日本人はアピールするのが苦手です。シルク・ドゥ・ソレイユ側のテクニカルディレクターからは「あの職人は、どうして言うことを聞かない。ちゃんと仕事をしているのか」などと苦言を呈されることもあり、よく口論になりました(笑)。僕より年上の腕の良い職人さんばかりでしたので、そんなふうに言われるのが悔しくて


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常態化した睡眠不足の影響もあり、現場では怒ることが絶えなかったそうですが、ある日、共に働くスペイン人から諭されたことで小栗さんは自身の振る舞いを見つめ直すようになったといいます。

その人はシルク・ドゥ・ソレイユ側のテクニカル分野の責任者でした。「言いたいことは論理的に相手に伝えないといけない。怒っていても何も進まないよ」と。それで目が覚めたというか、ハッとしましたね。


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小栗さんは、日米の文化の違いを理解したうえで、伝え方を工夫するようになりました。この結果、マネジメントやモチベーション管理のスキルが養われ、それは今の仕事にも大いに役立っているそうです。

完全燃焼すれば、また新しいことが始まる

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小栗さんたちが情熱を奉げた「シルク・ドゥ・ソレイユ」の日本常設劇場ですが、オープンから4年後の2011年、東日本大震災の影響もあり、あえなく閉鎖となりました。

NACは、当初このプロジェクトのためだけに設立した会社でしたので、シルク・ドゥ・ソレイユの撤退は死活問題でした


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倒産も覚悟したそのとき、某劇場からマスコミ向け内覧会のプロデュース依頼が届きました。初めての経験でしたが、小栗さんは果敢にチャレンジ。この成功が、現在のイベントプロデュースの礎を築くことになったのです。

思い返してみると、つくづく自分は運の良い人間だと思います。行き止まりになりそうになると、いつも必ず誰かが救いの手を差し伸べてくれました。


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    オリジナル公演「百傾繚乱」の終了後、スタッフの方と写真を撮る小栗さん

けれど、それは持って生まれた運の強さだけではないでしょう。例えば、冒頭の「演出家と呼ばれることに抵抗がある」との一言には、これまで出会った演出家へのリスペクトがありました。「自分は、まだその方々と肩を並べられる域に達していない」というのが小栗さんの本音なのです。

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また、自身が俳優として表舞台に立っていた人間だったからこそ「登壇者・出演者には鳥肌が立つほど輝いてもらいたい」との思いが人一倍強く、裏方としてステージを作るための創意工夫に一切の妥協はありません。それは、表彰式などの企業イベントであっても、オペラや歌舞伎といった舞台芸術であっても同じこと。

どんなときも他人を尊重し、何事にもがむしゃらに熱中する小栗さんだから、境遇運を含めた運を引き寄せることができているのでしょう。今も俳優時代の仲間や「シルク・ドゥ・ソレイユ」の劇場を共に立ち上げたメンバーとの縁が続いているのが、その証です。

  • 元俳優 小栗了さん

僕は、毎日がスタートだと考えています。ひとつのことに完全燃焼すれば次につながりますし、また新しいことが始まる。どんな環境に身を置いても、目の前のことに責任感を持って、貪欲に楽しみたいですね。


「まだ本当にやりたいことが見つかっていない」という小栗さん。それは、毎日に熱中している裏返しのような気がしました。

  • 元俳優 小栗了さん

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