かけつけスライディング土下座

昨年10月から12月にかけて、『嫁へ行くつもりじゃなかった――私の新婚日記』というエッセイを書き連ねた。未婚の人、既婚の人、老若男女さまざまな反響をいただいてとても嬉しかったのだが、或る意味で最大級にインパクトのある感想は、連載が無事終了したその後に、突然やって来た。

「お姉ちゃん、あのブーケの押し花、業者じゃなくて私からのサプライズプレゼントだったんですけど……ぶっちゃけ大ショック……」

正月休みのある日、実妹から届いたメールである。何かと思えば、最終回の締めくくりに用いた一文についてだった。

「結婚パーティーで会場装飾に使った花が忘れた頃に業者から額装された押し花となって届き(ぶっちゃけ超要らない)、」 「(ぶっちゃけ超要らない)、」 「(ぶっちゃけ超要らない)、」

……ご、ご、ごめんなさい……!!!!!

もちろん土下座で平謝り。てっきり会場装飾プランに含まれるオマケと思い込み、夫婦二人で「へえ、こんなアフターサービスまでつくからあんなに高額なんだね。でも、うちに飾るとこないよねー」などと話していたのだった。

「違うよ、あれ、パーティーでお姉ちゃんが持ってて、お見送りのとき私に手渡してくれたブーケだよ……私が手配して、別に発注して額装してもらったんだよ……。昔、自分の結婚式のときにウエディングブーケをちゃんと保存しておかなかったの、後になってものすごく後悔したから、せめてお姉ちゃんのときには、って思ったの……。もういい!」

まさか、あの押し花が妹からのプレゼントだったとは。そして、妹があの連載を読んでいたとは。二重、三重の意味で、サプライズである。さらに「結婚式のときに、できれば自分のウエディングブーケを半永久的に取っておきたかった」という妹の想い、これもまた驚きだった。えー、だって、結婚式は済ませたら終わるものだし、切り花は枯れたら捨てるもんだろ……。

ちなみに昨秋、妹の二度目の出産祝いにマタニティクッションを贈ったのだが、こちらは届いてから即連絡が来て「これ、一人目を産んだときに私が自分で買ったのとまったく同じやつだよ! たしかに便利だけど、家にはもうあるよ!」と怒られた。向いてない、サプライズプレゼント、贈るのも受け取るのも、向いてない。結局、額装された押し花も二個目のマタニティクッションも、実家の空き部屋に安置されることになりそうである。

ユリはユリらしく、ケイはケイらしく

新連載一回目だというのに、いきなり盛大に話が逸れた。これから書いていきたいのは、この、四重目のサプライズにまつわる物語である。

1歳と11ヶ月差で妹が産まれたときから、私たち姉妹はいつもワンセット、二人で一対のものとして育てられてきた。幼稚園から高校まで同じ学校に通い、お出かけのときは揃いのよそゆきワンピースを着せられ、20歳を過ぎても同じ子供部屋の二段ベッドに寝起きして、実家を出て下宿したときも姉妹で二人暮らしをした。どこへ行っても私は彼女の姉であり、彼女は私の妹だった。

双子ほど対等でもないが、バラバラに扱われるほどの年齢差もない。いつでも二人並べて比較されるので、横にいるもう一人との差異に敏感で、それぞれに違う方向へ個性を伸ばそうとする力がはたらく。同じ道程で競い合えば、どちらかが勝者、どちらかが敗者、喧嘩して泣いて泣かれて両成敗で叱られる。二つに分かれた道のうち相手と違う方向を選べば、そちら側を総取りすることができるのだ。

この関係性を幼い私は、『ダーティペア』みたいだなと思っていた。わからない方はぐぐっていただくか、『ふたりはプリキュア』とでも置換していただきたい。一方が白ければ他方はより黒く光り、一方が黒ければ他方はより白く輝く。姉の私がケイでありなぎさ、妹のほうがユリでありほのか。年の離れた末弟をクローソーとした場合には、長女アトロポスと次女ラキシス、といった関係性である。

「私の将来の夢は、好きな人のお嫁さんになって子供を育てること。お姉ちゃんは私の分までバリバリ働いて、かっこいいキャリアウーマンになってね」
「私の将来の夢は、社会で活躍する人間になること。妹のあなたは私の分まで幸せなお嫁さんになって、パパとママに早く孫の顔を見せてあげてね」

どちらが先に言い出したかもわからないが、物心ついた頃からなんとなくそんな「棲み分け」がなされており、お互いにそれが一番の幸福だと考えていた、ように思う。好きな仕事に就いた私が未婚のプロ意識をこじらせたり、妹が育休明けの社会復帰に惑ったりするのは、何十年も後の話。当時の幼い私たちには、「あちらの道はあちらに任せ、こちらはこちらの道を行く」という、迷いのなさがあった。

「わたしとは違うあなた」の面白さ

「結婚式で手にしたウエディングブーケが、半永久的に手元で保存されればいい」……学生時代からの恋人と入社3年目でゴールイン、30歳前後までに二児の母となり、今や実家に帰るよりも婚家で過ごしているほうが落ち着く、という専業主婦の妹は、はずみとなりゆきで交際0日婚をした姉のために、そんなふうに心を尽くしてくれる。結婚に対する考え方、価値観、ポリシーや心構えに至るまで、ありとあらゆることが、姉の私とはずいぶん違っているように思われる。

しかし、違っているから分かり合えないかというと、まったくそんなことはない。得意科目から趣味嗜好まで何もかも重ならない私たちだが、つねにお互いへの畏敬の念があり、長所も短所も認め合っている。「結婚」はその最たるものだ。お互いにお互いの幸福を祝い、その選択に敬意を表し、それでもやっぱり内心では、私の選んだこちらのほうが、ずーっといいわよね、とも思っている。

自分とは異なる選択、自分とは異なる幸福、自分とは異なる物語に耳を傾けるのは、面白い。いたずらに同化したり、一方的に羨んだりするのではなく、「あなたの幸福」と「わたしの幸福」を、並べて眺めてあれこれ言い合うのは、面白い。揃いのよそゆきワンピースを着せられるのは窮屈で仕方なかったし、大きな私の隣で小さな妹ばかりがちやほや褒められるのには腹も立ったけれど、裾を詰めたり小物を足したり、髪をばっさり切ってみたり、「あなたとは違うわたし」について考えて行動するよいレッスンになった。

「結婚」は「結婚」、同じといえばどれでも同じだが、知れば知るほど、「あなたとは違うわたし」たちの多様性に気づかされる。妹に似合う洋服が私には似合わない、私の大事な宝物が妹にはガラクタに見える、誰にとってもそれぞれに「ぶっちゃけ超要らない」ものがあり、「離婚してでも守り抜きたい」ものがある。いや、ご、ご、ごめんなさい……。

かつて、世界中の人間を「未婚」と「既婚」の二種類に分けて、ガミガミ吠えていた時期が私にもあった。新婚を一段落させた現在は、「ま、ひとくちに夫婦といっても、いろいろなかたちがあるよね」という気持ちであるし、そんな結婚の個別具体的な多様性について、見聞きしたことを書いてみたいと思っている。結婚していたりしていなかったりする、「わたしではない誰か」に、いつか届くように。

<著者プロフィール>
岡田育
1980年東京生まれ。編集者、文筆家。主な生息地はTwitter。2012年まで老舗出版社に勤務、婦人雑誌や文芸書の編集に携わる。同人サークル「久谷女子」メンバーでもあり、紙媒体とインターネットをこよなく愛する文化系WEB女子。「cakes」にて『ハジの多い人生』連載中。CX系『とくダネ!』コメンテーターとして出演中。2013年春に結婚。

イラスト: 安海