テクノロジーが進化し、AIの導入などが現実のものとなった今、「働き方」が様変わりしてきています。終身雇用も崩れ始め、ライフプランに不安を感じている方も多いのではないでしょうか。
本連載では、法務・税務・起業コンサルタントのプロをはじめとする面々が、副業・複業、転職、起業、海外進出などをテーマに、「新時代の働き方」に関する情報をリレー形式で発信していきます。
今回は、インドネシアのバリ島でデベロッパー事業を、日本では経営戦略・戦術に関するアドバイザーも行っている中島宏明氏が、自身の実体験をベースに「海外進出」や「テレワーク」などについて語ります。
ストリートスマートであり続ける
私は、別稿「今からでも遅くない? 経験者が語る仮想通貨の現在とこれから」で仮想通貨に関する連載をさせていただいていますが、経済や金融が専門というわけではありません。
学生時代は、美術史やメディアアート、メディアリテラシーなどを主に学び、映画製作や映像作品、絵画制作などをしていました。ある意味、実学(経済・金融)とは真逆の位置にある虚学(芸術・表現)が私のベースになっています。また、小学生の頃は歌舞伎座の舞台に立つ機会をいただき、このときの光景は私の原風景になっていると思います。
そんな私ですが、現在は、インドネシアのバリ島ではデベロッパー事業を、日本では経営戦略・戦術に関するアドバイザーをしています。芸術・表現の世界にいた私が、なぜ今のような仕事をするようになったのか? 疑問に感じるかもしれませんが、すべては偶然や雑談がきっかけでした。
バリ島のデベロッパー事業は、妻からのリクエストに応えて移住したときに得た現地の友人関係を活かしただけですし、アドバイザー業は、偶然仕事で一緒になった経営者のみなさんに自分自身の経験を話したり人を紹介しただけのことです。特別なことはなにもしていませんが、実体験をガラス張りで伝えるので、信頼関係は比較的早く築けるような気がします。
やはり実体験を伝えることが重要で、机上の空論を語っても実践ではあまり役に立ちません。学歴などに重きを置くブックスマートよりも、私は実体験に重きを置くストリートスマートで在り続けたいと考えています。
「バリ島でアパート経営してます」の一言で世界が広がる
自己紹介が長くなりましたが、私が経営者や投資家、資産家との交友関係を広く持つようになったきっかけは、バリ島移住とバリ島でのデベロッパー事業です。きっかけの源泉は妻にありますから、今でも妻には感謝に堪えません。
バリ島に住んでいた頃は、現地で原稿を書くことで生計を立てていました。円で収入を得て現地通貨のルピアで生活に使うわけですから、物価比を考えるとレバレッジが利いて良いですよね。東南アジアの新興国とはいえ、経済成長の著しいバリ島で「月10万円で豪勢に暮らせる」とまではいきませんでしたが、それなりの生活はできていたと思います。
2014年の当時は、まだテレワークやリモートワークという言葉は定着しておらず、ノマドワークの方が主流だったはずです。カフェでパソコンを開いて仕事をしたことはないですが、海外で暮らしながら日本の仕事をするというのは良い経験になったと思っています。
その後、出産を機に日本へ戻り、ひょんなことから副業・複業としてバリ島でPMA(外資法人)を設立し、デベロッパー事業を始めることになりました。これは、日本の会計事務所の海外進出の一環でもあります。その経緯はゆくゆく本連載でお伝えするとして、「バリ島に住んでいました」「バリ島でアパート経営してます」という一言はインパクトがあるようで、すぐに覚えていただくことができます。私は名刺すら持っていないのですが、「あぁバリ島の人か」という感じで記憶に残るようです。なにかひとつでも記憶に残るエピソードを相手に伝えられると、その後のコミュニケーションに活かせますね。
日本でしか仕事をしていない日本人の方は多いのですが、少し海外に出るだけでも差はつけられるようです。「日本でアパート経営してます」というよりも、「バリ島でアパート経営してます」という方が断然インパクトはありますからね。
血は争えない? 父親は在宅ワークの走り的存在
バリ島移住をきっかけに、起業やテレワーク、海外進出、投資などを経験した私ですが、過去に「これはやめておこう」「無理だろう」と感じたことはほとんどありません。「たぶん大丈夫」「ダメ元でやってみてから考えよう」ということの方が多く、当然失敗もありますが多くは成功していると思います。この考え方のベースがどこにあるのかは自分でもわかりませんが、私はなにか新しいことを始めるとき、両親から否定されたことは一度もなかったはずです。事後報告がほとんどだったという理由もありそうですが。
私の父は、中小企業診断士・社会保険労務士ですが、エンジニアでもありました。資格マニアでいろいろな国家資格を取ったそうですが、「全部すぐに食えるようにはならないな」と感じたらしく、たまたま趣味でやっていたプログラミングが仕事になったそうです。今から40年近く前にパソコンひとつで仕事をしていたわけですから、結構な先駆者だと思います。私が小学生の頃には、父は事務所で仕事をすることをやめて、自宅で仕事をしていました。テレワークや在宅ワークの走りですね。
私は小さい頃から自宅で仕事をする父を見て育ちましたので、今のようなテレワークの生活スタイルや、それを海外で行うことにも抵抗がなかったのかもしれません。
次回以降も、実体験をベースに、起業や副業・複業、海外進出、テレワークなどをテーマに役立つ情報をご紹介します。
執筆者プロフィール : 中島 宏明
1986年、埼玉県生まれ。2012年より、大手人材会社のアウトソーシングプロジェクトに参加。プロジェクトが軌道に乗ったことから2014年に独立し、その後は主にフリーランスとして活動中。2014年、一時インドネシア・バリ島へ移住し、その前後から仮想通貨投資、不動産投資、事業投資を始める。
現在は、SAKURA United Solutions Group(ベンチャー企業や中小企業の支援家・士業集団)、しごとのプロ出版株式会社で経営戦略チームの一員を務めるほか、バリ島ではアパート開発と運営を行っている。
オフィシャルブログも運営中。