――今後こういう番組を作っていきたいというものはありますか?
たまたま『SASUKE』で海外にいろいろ行かせてもらったりしたので、海外で番組を作ってみたいなと思いますね。日本の番組のフォーマットを海外にセールスするというのはたくさんありますけど、制作会社がまるごと違う国行って、現地のスタッフを集めて作るというのはなかなかないので、そういうケースを作ってもいいんじゃないかなと思うんです。『SASUKE』や『DOORS』というゲームアトラクション番組って言語が必要ないものなので、そういうコンテンツをこちらから持ち込んで制作するというのをやってみたいなと、ずっと思っています。
――NetflixやAmazonプライム・ビデオといった配信プラットフォームをイメージされていますか?
配信も当然あると思いますが、結局“日本バージョン”を作ることになるじゃないですか。そうではなく、現地のプロデューサー、美術さん、カメラマン、照明さんと一緒に、向こうの地上波のゴールデンタイムで放送する番組を作ってみたいというのがありますね。いつかそういうことができるように、準備しています。
――ご自身が影響を受けた番組を挙げるとすると、何ですか?
最初はドキュメンタリーをやりたいと思ってたんですけど、『100人に聞きました』のプロデューサーに「向いてない」と言われてやめちゃって(笑)。その後、テリー伊藤さんの下でやらせてもらったときに、やっちゃいけないことなんて何もないんだって衝撃を受けたんです。それは『花王名人劇場』(カンテレ)でやった『とんねるずの人生・歌のとおり生きてみました』という番組だったんですけど、規制がないところまで1回企画を考えてみるというやり方が衝撃でしたね。
あと、AD時代にくすぶっていて、この先どうしようと思っていたときに、フジテレビの深夜で『カノッサの屈辱』という番組を見て、これを作ってる総合演出の方はすごいなあと思ったら、当時作っていた田中経一さんと杉本達さんは、僕より1つ上だったんですよ。それを知って、自分にはなんて才能がないんだというのを思い知って、いつかあんなふうに世の中が「すごいぞ」ってなる番組を作りたいなと、焦らされた番組です。
――田中さんは後に『料理の鉄人』を当てられて、乾さんも『SASUKE』を作って、いずれも世界でヒットする番組になりました。
いやいや。お会いする機会があったので、ノウハウが欲しくて「下でディレクターをさせてください!」ってお願いしましたから。それくらい尊敬しています。
――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”をお伺いしたいのですが…
ジーヤマの水野達也さんです。有吉(弘行)さんと櫻井(翔)くんの『究極バトル“ゼウス”』という番組でご一緒したことがあったんですけど、素晴らしいディレクターです。有名なバラエティをいっぱいやっていて、ジーヤマの取締役でもいらっしゃるんですけど、ディレクターとして話を聞いてみたいですね。