2009年12月、当連載第27回「寝台特急『北斗星』に……344回も乗った人がいる!」に驚き、うらやましく思った方も多かったと思う。それから4年あまり経過し、イラストレーター鈴木周作さんの乗車記録はさらに増えた。そして456回の節目に著書『「北斗星」乗車456回の記録』(小学館)を上梓された。

『「北斗星」乗車456回の記録』の著者、鈴木周作さん

その鈴木さんと「北斗星」に乗車。3月に定期列車の運行を終え、8月に臨時列車としても運行終了となる「北斗星」への想いを聞いた。

「じつはもう、北斗星に乗るつもりはなかったんです」と鈴木さん。意外な答えに筆者も驚いた。「北斗星」が好きなはず。きっと最終運行日もお別れ乗車をされると思っていた。そういえば前回も、「乗車回数にこだわらない、いまはただ見届けたいだけ」と語っておられた。鈴木さんにとって、「北斗星」はライフワークのイラスト題材であり、自宅のある札幌と本州への交通手段だった。筆者とは違い、「乗ることが目的」というより、実用的な乗り物。生活の一部だった。

朝食メニューのジュースが変わった! 「乗るたびに発見があります」

その「北斗星」とのお別れが近づいている。鈴木さんの想いは複雑なようだ。

「北斗星の廃止報道以降、本を出させていただいたこともあって、テレビや新聞など、いろいろなメディアから取材を受けています。でも、想いを言葉にすると、どれも何か違うような気がして……」

「北斗星」に400回以上も乗った人。「北斗星」をテーマにイラストを書いている人。そこからは、「北斗星が大好きな人だ」「北斗星廃止は悔しいだろう」「3月13日発の定期運行最終列車も乗るに違いない」「8月22日発の上野行最終列車も乗りたいはず」というイメージを持たれてしまう。しかし本人は、「どうしても乗りたい」という気持ちはないという。

いま、鈴木さんの新しいモチーフはえちぜん鉄道(福井県)などのローカル鉄道だ。気持ちはそちらに傾きつつある。東京や福井への出張も飛行機を使う機会が増えた。「先日も取材で、『北斗星への想いが伝わってきませんね』と言われてしまって」と苦笑いする。

「いまの気持ちは……、これも正確ではないかもしれないけれど、あえていうなら『満腹』と『潮時』でしょうか」と鈴木さんは言う。「北斗星」を嫌いになったわけではない。いまでも好きな列車のひとつ。好きだけどもう食べられない。あとはお好きな方へどうぞ、という気持ち。そして長距離夜行列車の運命をあるがままに受け止める気持ち。

もちろんいまでも、そしてこれからも鈴木さんは「北斗星」が好きだ。それは言葉にしなくてもわかる。「北斗星」の車内で、鈴木さんはとても生き生きとしていた。

「もうすぐ左の車窓から白河城のライトアップが見えますよ」「2時すぎに北斗星同士のすれ違いが見られます」「青森駅では車窓右側、青函トンネル用のED79がヘッドマークを付けて待機していて……」「急行はまなすとは5時10分くらいにすれ違います」

とにかく詳しい。筆者は0時を過ぎて青森駅の運転停車まで眠ってしまったけれど、鈴木さんは車窓から北斗七星の写真を撮ろうとして、結局、一睡もしなかったとのこと。

翌朝、北海道に上陸してからも、お気に入りの景色をたくさん教えてくれた。外は快晴。先頭の機関車が見える大カーブ区間、馬の放牧、駒ヶ岳と大沼国定公園、苫小牧付近ではティッシュペーパーの箱にそっくりな製紙工場の社員寮……。ぼんやりしていたら見過ごしてしまう景色のひとつひとつが、鈴木さんの頭に記録されている。まるで一流のガイドと同行しているようだ。

お気に入りの大カーブで機関車を撮る

鈴木さんの予告通り現れた「ネピアハウス」

筆者をはじめ、6号車のロビーに集まった人々はともに車窓を楽しんだ。「北斗星」ファンの乗客の中に、鈴木さんの著書を携えている人も見かけた。鈴木さん本人が乗車していると知って感激する人もいた。

しかし筆者には、鈴木さんがときどき戸惑った表情をしていたように見えた。後でこの旅を思い出して、その理由に思い当たった。

廃止間近の「北斗星」は、いままでの「北斗星」とはちょっと違う雰囲気かもしれない。満席は良いことだけど、食堂車のパブタイムに入店するまで隣の車両で1時間以上も並び、グッズ販売も行列。食堂車のスタッフやアテンダントも忙しく、鈴木さんの姿を見かけても、言葉を交わす余裕はなさそうだった。あえて例えると、行きつけのお気に入りの食堂がマスコミに紹介されて話題になり、普段と違う人で大混雑するような感じだろうか。にぎやかでうれしい反面、楽しそうな人々になじめず、身の置き所に困るような。

鈴木さんにとって、「北斗星」はどんな列車だったか? 初乗車は1988年春、16歳のとき。運行開始とほぼ同時期だ。当時は鉄道ファンとして、「北斗星」が好きだった。そして就職。当連載第27回でも紹介したように、1995年、激務の帰り道に「北斗星」に飛び乗ったことがきっかけで、日常から離れて旅をする列車として愛用するようになった。趣味のイラストを描くための旅でもあった。

2002年に会社を辞めてイラストレーターとして独立し、2003年に結婚して札幌に移住してからは、出版社と打ち合わせするための上京手段として、実用的な乗り物になっていく。2008年に減便してからは、寝台特急の終焉を感じ、イラストで「北斗星」を記録したいという気持ちが強くなっていった。「北斗星」によって仕事が変わり、帰る場所も変わった。鈴木さんにとって「北斗星」は生活、いや、人生の一部だ。

身の回りの小道具も「北斗星」グッズ

そんな鈴木さんに、456回の乗車の中から、印象に残った乗車を挙げていただいた。

「あえて挙げるなら、2011年5月20日の震災後再開一番列車でしょうか」

東日本大震災で「北斗星」が運休し、札幌駅から「上野行」の文字が消えた。その約2カ月後の「北斗星」に乗った。

「運転再開を喜ぶという気持ちよりも、見届けなければと思いました。震災の前後で、北斗星の何が変わったか、何が変わらなかったか。しっかり記録しておきたい、と」

この感情に至る理由も、著書に綴られている。震災の前日のエピソード。「北斗星」は乗客だけではなく、従業員の人生も乗せて走っている。

寝台特急「北斗星」の終焉を前に、鈴木さんの心は穏やかだ。最終運転日は「静かに、通り過ぎていく北斗星を見守りたい」という。その日、彼の眼差しには、言葉にも絵にも表せないくらい、万感の思いが込められていることだろう。そんな鈴木さんの姿と気持ちを想像したら、こちらまで目頭が熱くなってきた。