この連載では、2020年の東京、これからの都市と生活についての記事を「PLANETSチャンネル」から抜粋してご紹介しています。"東京2020"がテーマの文化批評誌『PLANETS vol.9』(編集長: 宇野常寛)は今冬発売予定。

様々なオリンピック都市計画を研究してきた建築家・白井宏昌氏が提案する、"失敗しないオリンピック"にするための、たったひとつの冴えたやり方とは? "「わかりにくい」オリンピック都市"である東京への提案をご紹介するインタビューです。【聞き手: 宇野常寛/構成: 真辺昂+PLANETS編集部】

白井宏昌(しらい・ひろまさ) 1971年生。1996年早稲田大学院卒業。2010年ロンドン政治経済学院博士課程満期修了。建築家、H2Rアーキテクツ(東京、台北)共同主宰。博士(学術)。明治大学兼任講師、東洋大学、滋賀県立大学非常勤講師。2001-2002年、文化庁派遣在外研修員としてOMA所属、その後、2006年までOMAロッテルダム、北京事務所にてシニア・アーキテクトとしてCCTVプロジェクト等を担当。2007-2008年ロンドン・オリンピック・パーク設計チームメンバー。2008年度国際オリンピック委員会助成研究員。現在も設計実務の傍ら、「オリンピックと都市」の研究を継続中。

「負の遺産」としてのオリンピック・レガシー問題

――まず、白井さんがなぜオリンピックにこれほどまでにこだわって研究しているのか、その理由を教えてください。

白井 最初は2008年の北京オリンピックがきっかけでした。中国には、CCTV(China Central Television=中国中央電視台)という国営のテレビ局があるんですが、北京オリンピックに合わせてCCTVの本社ビル立て替えプロジェクトが始まったんですね。その当時僕はオランダの設計事務所に勤めていたんですが、そのコンペに応募してみたら、たまたま一等になって、それから北京オリンピックに関わるようになったんです。

それで北京に引っ越して現場近くの27階のビルに住むようになったんです。最初はビルから現場がよく見えていたのですが、そのうちに超高層ビルがものすごい勢いで建ち始めて、半年後には現場がまったく見えなくなってしまった。街の風景がまるっきり変わる様をリアルタイムで目の当たりにして、オリンピックが都市を変える力の凄まじさを思い知らされましたね。それから「オリンピックと都市」というテーマに強く興味を持つようになって、今度はロンドンに移って、研究をするようになりました。

オリンピックの研究をやっていて何がいちばん面白いかっていうと、「成功例」じゃなくて「失敗例」なんですよ。ちなみに前回、1964年の東京オリンピックは「成功例」として位置付けられることが多いですよね。「オリンピックのおかげで東海道新幹線ができ、首都高が整備され、世界的にもオリンピックを契機に東京はファーストシティになった」、そう位置づけられています。これらの建造物は、成功例としての「オリンピック・レガシー(遺産)」です。

しかし、1970-80年代に開催された大会を中心として、失敗例もたくさん生まれた。2000年以降、そういった「負の遺産」としてのオリンピック・レガシーの問題が注目されるようになって、IOC(国際オリンピック委員会)もこの問題をすごく気にするようになっていったんです。

そんななかで、ロンドンの2012年のオリンピック招致戦略は、そのオリンピック・レガシーに初めてフォーカスしたものでした。ロンドンは「私たちは、IOCが気にしているレガシー問題に対して解決策を示せますよ」というプレゼンテーションを行って、見事に開催を勝ち取ったわけです。もちろん、ロンドンが開催を勝ち取った要因はそれだけではないですが、レガシーを考慮したプレゼンが与えた影響は大きかったと思います。

――なるほど。白井さんがそうやってオリンピックの歴史を研究していくなかで、特に面白いと思ったのはどんな部分なんでしょうか。

白井 一番は、いろんなことが表裏一体になっていることですね。オリンピックを開催するとなると、どの国もアイキャッチな建築物をつくったりして世界中をびっくりさせようとする。1936年にナチス・ドイツ政権下で行われたベルリン・オリンピックがまさにそうですね。最近だと2008年の北京五輪もそうだと思います。

そういうオリンピックの特定の期間中だけ花火のようにポンと上がるものって、その瞬間が派手であればあるほど、終わった後の悲惨さが際立ってしまう。その光と影の部分が本当に面白いなと思います。

もう一つは、建築や都市の設計・デザインの世界のセオリーが、オリンピックにかぎっては通用しない場合があるということですね。たとえば「ミクスト・ユース Mixed Use」というセオリーがあって、これは「ある都市や建築物をつくるときに、単一ではなく色んな機能を入れた方が持続する」というものなんですが、これがオリンピックでは効かなかったりするんです。

オリンピックではいろんな競技場が集まったオリンピックパークを造って、大会終了後はそこを一般の人も使えるスポーツ・コンプレックスにするのが一般的ですが、でも結局スポーツだけの機能だと長続きしない。機能が単一であるが故に持続させるのが難しいわけです。

そこで、持続的に使われる施設にするためにいろんな機能を詰め込んでいくのですが、スポーツという特殊な機能が他のどんな機能と組み合えば有効な都市空間がつくれるかいう実践がまだあまりないので、そういう視点から見ても今回の東京五輪は面白いと思います。

東京の都市構造は「分散型」で「わかりにくい」

――白井さんはこの2020年のオリンピックのプロジェクトに対して、どういう提案をしたいと考えていますか。

白井 今は「このオリンピックを機会に2020年の東京と日本をどういう方向に進んでいくのか」という部分が議論されていますよね。でも僕はちょっと違っていて、「オリンピック都市」の長い歴史の中で東京はどう位置付けられるのかを気にしているんです。

今度の東京オリンピックというのは、オリンピックの歴史上でもユニークなものだと思う。どういうことかというと、とても「わかりにくい」オリンピック都市なんですね。

2012年のロンドン五輪が一番良い例ですが、ロンドンという街は「リッチな西」「貧しい東」という経済格差がわかりやすい問題としてあったんです。だからオリンピックパークを東にドカンと造り、そこに政治的にも経済的にも力を入れて盛り上げることで都市を良くしていこうという、イギリス人にとっても外国人にとってもわかりやすい物語があったんです。

それに対して東京は、いま『PLANETS vol.9』をつくるなかでもずっと議論していますが、都市構造がすごくわかりにくいですよね。オリンピック組織委員会の会場構成図では山手線西側の「ヘリテージゾーン」と、湾岸部の「ベイゾーン」とに分けていますが、本当はそんなにわかりやすいものではない。ちょっと解像度を上げてみてみると、ひとつひとつの競技施設や、選手村やメディアセンターは、それぞれ別の敷地にあってバラバラなんですね。言わば「分散型」のオリンピックをやろうとしている。

実は、過去に分散型のオリンピックをやった例ってあまりなくて、1984年のロサンゼルス五輪や1996年のアトランタ五輪ぐらいで、この2つの都市は歴史上ある意味特異点と言えます。基本的にアメリカ型のオリンピックは税金を投入せず、民間資金で行うので、オリンピックのために大きなインフラ整備をしたり、その後維持費のかかる恒久施設を作ったりしません。既存施設を使いながら、イベントを行うので、結果的に分散型の配置となります。特にロサンゼルスの場合は他に立候補都市がなく、流通やセキュリティの面からもIOCがあまり望まない分散型を容認せざるを得なかったという経緯があります。東京は「分散型」のオリンピックシティという、コンセプトワークとして非常に難易度の高いものに取り組もうとしているわけです。だからこそ非常にチャレンジングだと思うんですね。

「ボーダー」と「バウンダリー」、2つの"境界"の違いに着目せよ

――そういう状態にある東京という都市を、具体的にどうしたらいいとお考えなんでしょうか。

白井 まず東京という都市が「分散型」であることを意識することと、「点を点で終わらせないようにする」ということが大事だと思っています。

たとえば今の新国立競技場に関する議論って、スタジアム単体の「点」の話題しかしていない。けれどももっと大事なのは、「スタジアムも含めたエリア一帯をどうするか」「長期的なスパンで見たときに、このエリア一帯を都市計画としてどう位置づけていくか」ということだと思います。

例えば、新国立競技場を市民が使うものにしたいのか、観光客を呼ぶための施設にしたいのか、それともその二つをミックスにしたいのか。各地に散らばった点を繋げて「線」にする、あるいはさらに「面」にする、そういったことを考えなくてはいけない。

――南後由和さんや門脇耕三さんと「P9」のBパートについて考えていくなかで、2通りの議論が出てきたんです。ひとつは「点どうしを繋ぐべきなのではないか」、というものです。たとえば僕は高田馬場に住んでいて、散歩が趣味だから明治通りをよく南下するんですが、千駄ヶ谷・代々木エリアを境に「新宿文化圏」と「渋谷文化圏」が完全に分かれてしまっている。今の千駄ヶ谷・代々木エリアって単にスポーツを見に行くだけの、目的に特化した「点」でしかない。せっかく新宿エリアと原宿・渋谷エリアをつなぐ明治通りという導線があるのに、ショッピング街としてのその2つのエリアを活用できていないんですよ。だから、ああいった「点」どうしをつなぐべきなのではないか、という議論をしていたんです。

それともうひとつの議論として、「点は点で仕方ないから、点ごとの施策をどううまく打っていくかを考えるべきなんじゃないか」という考え方もできるわけで、僕や南後さん・門脇さんはこの方向に傾いていた。でも今の白井さんのお話を聞いていて、もしかしたら「今までと違ったつなぎ方をする」という発想を深めていくことも大事なのではないかと思いました。

白井 「点」をつなぐ上で着目すべきは「境界」です。ロンドンにいたときによく議論されていたんですが、英語で「境界」をさす言葉に、「ボーダー」と「バウンダリー」という二つがあります。この二つの「境界」の意味するところはぜんぜん違うんですね。

まず、「バウンダリー」というのはAとBをスパッって切ってできる境界のことで、境目が明確なんです。一方「ボーダー」というのは、もう少し、いろいろなものが混じっているような状態のことを指します。どうやら自然界では、あんまり「バウンダリー」の状態はなくて、ほとんどが「ボーダー」な状態らしいんです。

ところが、都市計画において「ボーダー」をつくるのはかなり難しい。いま宇野さんがおっしゃっていた「明治通りが死んでいる」という話は、東京という都市がまさに「バウンダリー」ばかりをつくってきたことを象徴するエピソードなんじゃないかと思います。

スタジアムの機能が変われば、周辺のエリアの性格も変わっていく

――僕はエンタメ業界に近いところで仕事しているのでよくわかるんですが、代々木に8万人が入るハコがあるというのは大歓迎なんです。むしろ「なんで今までなかったんだよ」というぐらいの話で、そういった観点を一つ混ぜるだけでもだいぶ違うはずなんですよね。

白井 そうなんですよ。僕たちは「ひとつのハコにどんなものが入りうるのか」ということを、もっと柔軟に考えなくてはいけない。「新国立はスポーツスタジアムである」と思った瞬間に発想が固くなってしまい、それがひとつのバウンダリーをつくってしまう。

例えばスタジアムってすり鉢状になっていて、すり鉢の下のスペースは余っていますよね。実際に北京の工人体育場というスタジアムがそうなんですが、その余っているスペースを全部ホテルにしていたりします。もし新国立競技場が「スポーツにも使えて、エンターテイメントにも使えて、ホテルもある」という施設になったとしたら、周辺の利用の仕方もまるっきり変わってくる。

ひとつのハコに装備できる使い方がフレキシブルになると、その分だけ他の点へ接続していく可能性も広がります。もちろん規制や法的な解釈の問題もあるんだけど、そういうことまで含めてどこまで想像力と実行力を広げられるかが大事だと思います。

――今まで「壁」であったものを、むしろ「接続点」としてどう読み替え、作り替えていくのかということですね。

白井 とても具体的な案ですが、新国立競技場を民間に運営させるだけでも事態は大きく変わると思います。たとえば2000年のシドニー五輪でつくられたオリンピックスタジアムって、民間が運営に入ったことで使い方がどんどん変わり、今ではビジネス・カンファレンスが一番の収益の柱になっているんです。スタジアムをビジネス・センターとして活用する発想って我々にはあんまりないですよね。民間が入ることで、そういう今までになかった発想が生まれていく可能性が広がるわけです。

――最後に、白井さんが社会提案としてのこの「P9」に参加する上での意気込みを教えてください。

白井 やっぱり今の東京の都市計画に対して、本気で再考してみようという機会って実は少ないような気がするんですよね。特に、都が発信する東京のビジョンや将来像に対して、なんとなく受け取るだけで、それを具体的に解明しようとしている人ってほとんどいないと思うんです。そこに入っていけるのは非常にエキサイティングだなと思っていますし、あとは僕のような建築の分野の人間だけではなく、いろんな分野の人と東京のビジョンや施策について考えるという機会は非常に貴重だなと思っています。

――今日はありがとうございました。(了)