経済キャスターの鈴木ともみです。連載『経済キャスター・鈴木ともみが惚れた、"珠玉"の一冊』では、私が読んで"これは"と思った書籍を、著者の方へのインタビューを交えながら紹介しています。第11回の今回は、小林照子さんの『人を美しくする魔法』(マキノ出版)を紹介します。
小林照子さんプロフィール
美容研究家・メイクアップーアーティスト。1935年、東京都生まれ。(株)コーセーにて、美容研究や商品開発、教育などを幅広く担当し、1985年には同社初の女性取締役となる。1991年、人の外見的な魅力(美)と心の輝き(ファイン)をテーマとした研究・創造を追求する「美・ファイン研究所」を設立、所長となる。美容に関する後進育成のために1994年に「フロムハンドメイクアップアカデミー」、2010年に「青山ビューティ学院高等部」を開校し、校長として就任。多岐にわたるビューティ・コンサルタントビジネスを展開しながら、現役のメイクアップアーティストとしても活躍している。
読者の皆さまもご存知の通り、この連載は、「私が惚れた!」をテーマに良書をご紹介するコラムです。しかしながら、この「惚れた!」は、なかなかわきおこる感情ではありません。昔から私が"惚れる"基準は、「答えをくれた!」ということに在りました。男女を問わず「答えをくれる人に"惚れてしまう"」体質はずっと変わっておらず、さらに正確に言えば、「答えのヒントをくれる人」に惚れてしまうのです。なぜなら、いつ、どこで、どんなときでも、答えを出すのは自分自身であるからです。
今回ご紹介する『人を美しくする魔法』は、まさに私がほしかった答えのヒントを与えてくれる一冊となりました。
著者の小林照子さんと言えば、女性の方であれば「あのTV通販・ショップチャンネルで"カリスマゲスト"として登場する、上品で賢明で若々しい美容家の先生」というイメージを抱くかもしれません。一方、男性であれば「あの大手化粧品会社コーセーで初の女性取締役になった人」とか、小売・サービス業界で働いてる方であれば、「確か1時間番組で7,200万円を売り上げた人」といったイメージでしょうか。それらは確かに、どれも小林照子さんそのものです。
ですが、今回の『人を美しくする魔法』を読み進めると、被写体として存在する日頃の印象とは程遠い、小林さんの本質が見えてきます。「なぜあんなにも、たおやかでしなやか、それでいて凛とした美しさを保つことができるのだろう?」。 普段から思っていた疑問の答えは、小林さんの特別で貴重な経験が詰まった、人生を刻んだ同書の中にありました。
まずは、34のエピソードのうち、生い立ちが記された(1)と(2)についてご紹介しましょう。
私は3人の母と2人の父で合計5人の親がいました。(中略)産みの母は、とても慈しみ深い、思いやりにあふれた人でした。父も優しく思いやりのある人でした。「2人はお互いを思いやりすぎて、疲れてしまったのかもしれない」。私は大人になってからそう思いました。別れるとき、母はとても真剣な表情で私にいいました。「何があっても、あなたの本当のお母さんは私よ。それを覚えておいてね」。私は母の目を見て、「はい」と返事をしたのを覚えています。
ところが、です。父の再婚相手である2番めの母は、初対面の私にいいました。「あなたの本当のお母さんは、私よ。お乳が出なくて、これまで乳母に預けていたの」。私は、なんと答えていいのかわからずに、「…はい」といいました。(中略)
しかし、戦争が激化し、父は再婚後まもなく体調を崩し、私が小学校1年生のときに他界したのです。(中略)大人たちの話し合いのうえ、私は子どものいなかった2番めの母の兄夫婦にもらわれることになったのです。(中略)
3番めの母もまた私にこういったのです。「あなたの本当のお母さんは私よ」。私は信じたふりをして、「はい」と答えました。でも、心の中では、「ああ、またか……」と、ため息をついていたのです。
(「(1)5人の個性的な親たちが教えてくれたこと」より抜粋)
昭和16年(1941年)、私が小学校1年生のときに第2次世界大戦が始まりました。ギンヤンマのようなアメリカの戦闘機がいくつも空に現れて、空襲警報のサイレンが鳴ると、大人も子どももすべてを放り出して防空壕に逃げ込みます。(中略)
昭和20年(1945年)春、東京は大空襲に遭い、日本橋にあった養父の店は全焼してしまいました。生まれ育った東京は、どこもかしこも焼け野原。華やかだった銀座も、見る影もありません。(中略)東京での暮らしが困難になった私たち一家は、養母の故郷である山形に疎開することになりました。(中略)
都会での生活が一変して、最初はずいぶん戸惑ったものです。(中略)昭和20年8月、戦争は終わりましたが、東京に戻ることはできませんでした。養母は結核菌が原因で起こる骨盤カリエスという病気にかかり、寝たきりになってしまったのです。でも、病院に入院させるお金はありません。父は私への感染を防ぐため、私に母の世話をさせずに、自分がつきっきりで看病をしていました。最初のうちは東京での貯えでしのいでいましたが、両親が働くことができなければ、お金は出ていく一方です。
父は、頭脳労働は得意でしたが、体を動かして働くことには向いていませんでした。父には、田舎でできる仕事がなかったのです。そのため、子どもである私が働いて家族を食べさせることになりました。学校から帰ると、近所の農家で農作業を手伝い、お米や野菜、お芋、味噌などを分けてもらいました。家の庭に、畑を作って野菜を育てました。(中略)
周囲の大人たちからは、「あんなに小さいのに、一家を支えて働いている照子ちゃんはかわいそう」と、思われていたと思います。みな、口にこそ出しませんでしたが、そんな思いはこちらにも伝わってきます。でも、体を動かし、お米や野菜を育てたり、山に入って食べるものを採ってきたりするのは、私にとっては楽しいことでした。私の10代はそんなふうに過ぎていきました。
(「(2)疎開体験が「へこたれない自分」を作った」より抜粋)
小林さんは、上記の章で、こんなメッセージも託しています。
今、つらい思いをしているあなた。その経験は、いつか必ず、あなたの人生に役立つときがやってきます。つらい経験も、楽しい経験も、すべて生きていくための大きな力になります。特に、子どものころの経験というのは、その人の一生の礎となり、その後の人生に大きく影響すると思います。
私の場合には、10代の大半を過ごした山形での疎開経験が、「何があってもへこたれない自分」を作ったと思うのです。
また、3人の母、2人の父、合計5人の個性的で価値観の異なる親のもとで育った環境から次の2つの土台が形成されたのだそうです。
一つは、「人と比べる生き方をしない」、二つ目は「自分の信念に従って生きる」。
小林さんは、「信じるものは、自分の中にある」とし、おなかの中に、信じるものが『芯』のようにピンッと立っているのだそうです。
その『芯』は10代後半ですでに固まっていたといいます。複雑で特別な幼少時代、その当時の経験が、小林さんの一生の礎(いしずえ)となり、その後の人生に大きな影響を及ぼしてきたのです。
ただ、今の時代、小林さんのような厳しい体験をする人は、少ないかもしれません。では、乏しくも安寧な人生経験のもとに育ってきた自分たちは、夢を実現し人生を楽しむための基礎を、どうやって固めていけばいいのでしょうか? その答えは17番目のエピソードに記されていました。
人生で出会うすべての人は、自分に何かを教えてくれます。76歳の今でも、若い人や小さな子どもから教えられること、見習いたいと思うことはたくさんあるものです。(中略)
尊敬できる人、「こうなりたい」と思える人をたくさん持つことは、自分を成長させるためにとても役立ちます。しかし中には、つらい思いをさせて去って行く人もいます。裏切った人、陥れようとした人、物やお金を盗った人など、気持ちをゆさぶっていく人もいます。でも、今となってはそういう人にもすべて感謝することができるのです。理由の一つは、「自分は絶対に、あの人のようにはしない」と思えることです。(中略)
世の中には、いい人も悪い人もいっぱいいます。もう少し詳しくいうと、だれの中にもいい面と悪い面があり、「いい面をどんどん伸ばして生きていく人」と、「悪い面ばかりを増大させて生きてる人」がいるということです。もちろん、私の中にもいい面と悪い面があります。だけど、いい面を伸ばすように生きていると、悪い面が出てくる暇がだんだんなくなってくるのです。
「類は友を呼ぶ」といいますが、人は同じ波長をもつ人と引き合うものです。自分が成長してレベルが上がると、どんどんいい人と出会い、いい人生を送ることができるようになります。私はそのことを、多くの教師と反面教師との出会いから学びました。だから今は、出会ったすべての人に心から「ありがとう」といえるのです。
(「(17)教師と反面教師。人にはその2種類しかいない」より抜粋)
とても胸に響く文章でした。教師でも反面教師でも、出会う人すべてが教師である! そう思えば、毎日が学びの場になります。
さらに、同書には、反面教師にまつわるエピソードも記されています。
これからするお話は何十年間も封印してきたものです。化粧品会社に入社して間もないころ、地方に1カ月の出張に行くことになり、偶然先輩のAさんと同じ列車に乗り合わせました。(中略)
そして事件は起こりました。トランクに入れていた出張旅費がまるまるなくなっていたのです。当時の私のお給料の3カ月分もの大金でした。(中略)そういえば…私は列車の中でのAさんとのやりとりを思い出しました。私が降りる駅に近づくと、彼女は私にトイレに行くよう促しました。トイレから戻ってくると、Aさんが荷台に上げておいた私のトランクを下ろしてふたを閉めていたのです。「おかしいな」と一瞬思ったけれど、私はそのまま列車を降りました。彼女は私よりも先の目的地。そのまま列車で行ってしまいました。(中略)すぐに鉄道公安室に行きました。そのいきさつを話すと、それはもう、その人が盗ったとしか考えられない…」私は会社に連絡を入れました。そして結局は会社の判断で、Aさんを追求しないということになりました。(中略)
責任は私が負うことになりました。事情を知った人は私の代わりに怒ってくれました。しかし、産みの母だけは、まったく反応が違いました。母は私を抱きしめて、こういって泣いたのです。『よかった、あなたがスリじゃなくて、本当によかった。盗まれる側でよかった…』私は強く、母の愛を感じました。
(「(10)「あなたがスリじゃなくてよかった」と泣いた母」より抜粋)
あまりに衝撃的なエピソードです。その後、小林さんは盗まれた出張旅費を2年かけてお給料のなかから天引きされ、会社に返済したそうです。
普通であればこのAさんに対して、恨み、少なくとも嫌悪感は抱くはずです。しかし、小林さんはAさんに対してさえも、感謝の気持ちがあると言います。その理由とは? 小林さんに伺いました。
「Aさんとの一件は、私に人生のテーマを投げかけてくれました。当時、お金がなくなった後、私は口外せず、Aさんにも伝えていませんでした。ですが、Aさんの出張の報告書には、私について「あの子はぼんやりしているから心配だ」という不自然な表記があったのです。その後、私は教育部門に異動し、何の因果かAさんを含めたスタッフに研修する立場になりました。Aさんとも何度か顔を合わせることになりましたが、もちろん、こちらもあちらも、あの時の話は一切しません。そうした中、何年かして、Aさんが退職することになりました」
「その時、彼女は私の手を強く握って、涙ぐみながら「さようなら」と言ったのです。あの時のAさんの悲しそうな表情は今でもよく覚えています。ずっと後ろめたい気持ちを抱えていたのでしょう。その時にやはり、彼女が犯人だったのだと確信しました。ただ、何十年も封印してきたこのAさんとのエピソードは、『自分がどんな人間として生きていくのか』というテーマを突きつけてくれたのです。反面教師との出会い、2年間かけて返済した出張旅費も、自分の人生のテーマと向き合うための授業料だったと思えば、決して無駄ではありません。むしろ、感謝の気持ちにつながるものなのです」
すごい。人はここまで強く優しくなれるものなのでしょうか? 私はその答えを小林さんに直接求めました。
「人は、ただダラダラと年をとれば、いい人になれるわけではありませんよね。良心に従えるかどうか。自分で決めて自分で責任を取れるかどうか。その積み重ねがこれからの人生を大きく変えていきます。自分の『芯』は必ず自分のことを見ているものです」
「さらに成長してレベルを上げていくためには、ささやかなことでも良いので、「小さな夢」を実現させていくことが大切です。いきなり大きな野望を抱いても、それは遠すぎてなかなか達成するのは難しい。でも、目の前の小さな目標や夢をひとつひとつ達成していけば、『実現癖』というものが自然についてくるものなのです。成功体験が増えれば、いつのまにか大きな夢の実現も近づいてきます。若い方々には、ぜひともその『実現癖』を意識して過ごしてもらいたいと思います」
『実現癖』。目標や夢に向かう上で、とても身近でわかりやすいコツだと思います。さらに、巻末には小林さんが実践してきた「夢をかなえるコツ」「人生を楽しむためのコツ」が『人を美しくする魔法34』として標語形式でまとめられています。ぜひ何度も読み返していただきたいフレーズ集です。
まるで長編の大河ドラマを観たかのような充足感と爽快感を味わうことのできる小林照子さんの人生物語。老若男女問わず、多くの方々の心に響くであろうメッセージが詰まった珠玉の一冊です!
『人を美しくする魔法~夢は持ち続ければ必ずかなう~』
◆はじめに | 夢を引き寄せる |
(1) | 5人の個性的な親たちが教えてくれたこと |
(2) | 疎開体験が「へこたれない自分」を作った |
(3) | 19歳、「演劇のメイクアップをする!」と上京 |
(4) | いつ、どこでも、フルネームで生きる |
(5) | 夢を持っていれば、どんな仕事も楽しくなる |
(6) | 外見から新しい世界に入る |
(7) | 自己愛を満たすことで、人は美しくなる |
(8) | ぶつかり合いの中で成長する |
(9) | 自分に聞いて、自分で決める |
(10) | 「あなたがスリじゃなくてよかった」と泣いた母 |
(11) | 家事と子育ては「死なないこと」が基準 |
(12) | 子どもと過ごす時間は「量より質」 |
(13) | いざというときに応援し合える仲間を作る |
(14) | 30歳、自動車事故が教えてくれたこと |
(15) | 言葉にする、文字に書く。五感が夢を引き寄せる |
(16) | 更年期は再び自分らしく生きるチャンス |
(17) | 教師と反面教師。人にはその2種類しかいない |
(18) | 個性の強い人が団結してこそ大きな力となる |
(19) | 55歳、「巨万の富を作ります」と独立宣言 |
(20) | お金は気持ちよく受け取り、気持ちよく手放す |
(21) | 1時間に7,200万円の化粧品を売る方法 |
(22) | ポジティブな言葉のシャワーで心は洗われる |
(23) | 小さな愛情でも行動に移すことで伝わっていく |
(24) | 企業にいても気分はフリーランスで |
(25) | 教育は夢を伝承する仕事 |
(26) | 人は楽しむために生まれてくる |
(27) | 小さな達成感が大きな夢実現の第一歩 |
(28) | つらい体験が若いあなたに教えてくれること |
(29) | 「知っていること」より「できること」をふやす |
(30) | 思春期の自分クリエイトは能力開発につながる |
(31) | 「いえいえ、私なんて…」の謙遜グセが夢を遠ざける |
(32) | 混迷の時代、「使命」を自覚して生きる |
(33) | 先が見えないときは、過去を振り返る |
(34) | 始めるのに遅すぎることはない |
◆おわりに | 私のこれからの夢 |
◆人を美しくする魔法34 |
執筆者プロフィール : 鈴木 ともみ(すずき ともみ)
経済キャスター、ファィナンシャルプランナー、DC(確定拠出年金)プランナー。 中央大学経済学部国際経済学科卒業後、ラジオNIKKEIに入社し、民間放送連盟賞受賞番組のディレクター、記者を担当。独立後はTV、ラジオへの出演、雑誌連載の他、各種経済セミナーのMC・コーディネーター等を務める。現在は株式市況番組のキャスター。その他、映画情報番組にて、数多くの監督やハリウッドスターへのインタビューも担当している。