家庭、友人関係、仕事、趣味など…生活における読者の「お悩み」に寄り添う、さらには解決してくれるかもしれないドラマ、バラエティ、ドキュメンタリー、リアリティショーなど、配信サービスの映像コンテンツを、コラムニストの長谷川朋子が“処方箋”としておすすめする「長谷川朋子のエンタメ処方箋」。
第5回は、「役に立てない自分」に苦しむお悩みに、海外ドラマ『ブレイキング・バッド』(全5シーズン Huluをはじめ各種配信サービスで配信中)を紹介します。
「2年前に定年退職し、今は家でのんびりと過ごしています。出来たら仕事をしたいのですが、今はがんの治療中でなかなか身体が思うように動きません。蓄えは少しありますのでお金の心配はないのですが、自分は社会の役に立っていないという思いがあり毎日が憂鬱です。」(和歌山県在住・67歳男性)
このお悩みを読んだとき、私はある海外ドラマの主人公が、自然と重なりました。『ブレイキング・バッド』のウォルター・ホワイトです。
ウォルターは、余命宣告を受けた高校の化学教師です。若い頃は優秀な研究者でしたが、思うような評価は得られず、家族を養うために教師としての日々を送ってきました。突然「時間が限られている」と突きつけられ、彼は自分の人生を否応なく振り返ることになります。
そして、彼の胸にあったのもまた、「このまま何も残せずに終わるのか」「自分は、誰の役にも立っていなかったのではないか」という焦りでした。
このドラマで描かれるウォルターの選択は、決して肯定されるものではありません。家族のために蓄えを残したいと始めた危うい選択は、やがて暴走し、取り返しのつかない破滅へと向かいます。
今回この作品を勧めるのは、「同じ道を選べ」と言いたいからではありません。『ブレイキング・バッド』が鋭く描いているのは、「役に立たなければならない」「価値を証明しなければならない」という思いが、人をどこまで追い詰めるのか、という問いです。ウォルターが本当に恐れていたのは、死そのものではなかったと思うのです。無力な存在として忘れ去られることでした。
ゆがんだ関係が「生きている証し」を示す
ここで、物語をより人間的なものにしている存在が、相棒のジェシー・ピンクマンです。ジェシーは未熟で、感情的で、失敗ばかりを繰り返します。ウォルターにとっては、いら立ちの原因であり、足手まといであり、ときには見下す対象でもあります。
それでも彼は、ジェシーを切り捨てることができません。教え続け、叱り続け、ぶつかり続けるのです。突き放したと思っても、結局はジェシーのもとへ戻ってきてしまう。その関係性は、どこか親子や師弟のようでもあり、決して対等ではありませんが、確かに「人と人が本音で関わる」関係です。
不思議なことに、ウォルターが「まだ自分は終わっていない」と感じられた瞬間は、悪事で手に入れた派手な成功や金銭的な達成の場面ではありません。ジェシーに必要とされ、頼られ、関係を断ち切れなくなったときでした。社会的に見れば、ゆがんだ関係です。けれど、人が誰かの人生に関わり、影響を与えてしまうこと自体が、生きている証しでもあります。
ウォルターとジェシーの会話の中で、「この世は必然などない。すべてはカオスなんだ」という印象的な言葉が出てきます。それは、何かを正当化するための言葉であると同時に、人生には説明のつかない出来事があるのだと、静かに示しているようにも思えます。
「人の価値は、役に立つかどうかだけでは測れない」
あなたが抱える「社会の役に立っていない」という苦しさは、決して珍しいものではありません。長く働き、責任を果たしてきた人ほど、「何もしない時間」を自分が許せなくなってしまうのかもしれません。
治療を受けている今は、「何かを生み出す時期」ではないとも言えます。それは「無為」ではなく、自分のために生き延びるという、大切な仕事です。たとえ、働けなくても、稼がなくても、成果を出せなくても、誰かと話すことや今日をやり過ごすこと、過去を振り返り、自分の人生を思い返すこと。その一つひとつが、目に見えない形で社会とつながっています。
『ブレイキング・バッド』は、痛みを伴うドラマです。観ていて苦しくなる場面も多いでしょう。それでもウォルターとジェシーの関係を見つめていると、「人の価値は、役に立つかどうかだけでは測れない」という、当たり前でありながら忘れがちな事実が浮かび上がってきます。今は、何者かにならなくてもいい。何かを残そうとしなくてもいい。生きているだけで、すでに誰かの世界と接続しているのです。
憂鬱な夜に、このドラマを少しずつ観ながら、ウォルターに自分を重ね、そして距離を取ってみてください。彼が選び損ねたもう一つの道――「役に立たなくても、生きていていい」という可能性が、静かに見えてくるはずです。



