“ワンコインとちょっと”で味わえる、天国みたいな時間、それが銭湯だ――この連載では、毎週末の銭湯巡りを趣味とする街歩きライター・デヤブロウ氏が、都内&近郊の選りすぐり銭湯を訪ねて、湯の特徴や整うポイント、ちょい寄りスポットまでご紹介。今回は「佃・月島・勝どきの名湯3選」。
今回は東京都中央区の水辺エリアにあたる佃・月島・勝どきの銭湯3軒をピックアップ。それぞれ優れた個性を持つ店舗の概要やおすすめポイントを、料金やアクセスなど基本情報を添えて紹介する。
この3地域は徒歩でも一周できる圏内で隣接しつつ、華やかな再開発区域から「もんじゃ焼き」の観光地、昔ながらの下町や細い水路までが絡まる、都心部でもかなりユニークな一帯となっている。こうした街並みが成立したのは、かつては隅田川と運河に囲まれて外部交通が渡し船に限られていた環境や、狭い地域のなかで漁業・造船業・港湾業などが発展した経緯とも関係が深い。
こうした独特な地域は、その銭湯のあり方も独特である。まず立地が下町部だけでなく、商業地ど真ん中やタワーマンションの直近にもあり、地域内のどこからでもアクセスしやすい。客層も水辺エリアならではで、かつては水辺での仕事を終えた人々が普段使いしていた場所が、現在では仕事帰りのビジネスマンや水路沿いのランナーに愛用されている。店舗いずれもが、街の移り変わりと上手に寄り添ってきた湯処である。
かつての「造船業&漁業」の街・佃に残る下町銭湯『日の出湯』
23区東部を流れる隅田川は永代橋の先から、流路が築地方向(現在の隅田川本流)と豊洲方向(晴海運河)の二又に分かれる。その分岐点には中央区立石川島公園と、その奥にそびえる『リバーシティ21』のタワーマンション群がそびえ立っているが、そこの町名を佃(つくだ)という。
現在の佃は古くから隅田川河口部にあった「石川島」と、江戸時代前期に干潟の埋め立てで誕生した「佃島」、そして明治以降の埋立地が合わさっている。石川島は幕末から1979年(昭和54年)まで造船業・輸送機械製造が営まれた工業地帯であり、その跡地が再開発によって、現在は水と緑の豊かなリバーシティ21となった。一方の佃島は江戸幕府公認での漁業が栄えた土地で、現在でも昔の香りを残す一軒家が密集する。江戸時代の漁師達が船上食や保存食に用いた魚介類の煮物が、現在の「佃煮」のルーツなのだとか。
平成後期のタワマン群と昭和的で古めかしい住宅街が、運河一つ挟んで隣り合っている佃の街。なかでも「古い方」の気配を色濃く表すのが『日の出湯』だ。日の出湯があるのは赤い欄干の『佃小橋』からすぐ近く。煙突が建つ昭和レトロなマンションの、1階に構えるビル型銭湯である。創業は1951年(昭和26年)で、現在のマンションに移ったのは1976年(昭和51年)だという。
脱衣所や浴室も懐かしい雰囲気で、浴槽は「ぬるい」「中かん」「あつい」の3種類(※一部に電気風呂やジェットバスを設置)という、いたってコンパクトな作りである。佃の下町で長年親しまれてきた店舗であり、客層の大半は地元の高齢者だという。なお、以前は定休日無しで24時まで営業していたが、現在は木曜定休の23時半閉店となっている。
かつては漁師も頻繁に通っていたというが、現在ではその代わりに、仕事帰りに隅田川沿いでランニングをする人々が多く利用しているらしい。仕事の内容は大きく変われど、昔も今も「水辺で働く人々」のための銭湯だ。
『日の出湯』:東京都中央区佃1-6-7/最寄駅:東京メトロ有楽町線「月島」駅から徒歩4分/金~火14:30~23:30(木曜休)/料金:入浴550円、タオルレンタルなし/駐車場なし
「温泉」なのに「温泉じゃない」? もんじゃ観光地に直結の『軟水銭湯・月島温泉』
月島と勝どきは明治時代に行われた隅田川の浚渫(しゅんせつ/川底の土砂を撤去し、船舶運航などのため必要な水深を確保する工事)に伴い、撤去後の土砂を再利用して明治中期〜大正初期にかけて造成された。このうち、現在の月島にあたる土地が完成したのは1892年(明治25年)のことである。
そして月島といえば名物・もんじゃ焼き。とりわけ月島西仲通り商店街(月島もんじゃストリート)はもんじゃ焼き屋が何十軒もひしめく観光地となっており、うっかりノープランで訪れると店舗選びに迷ってしまうほどだ。そうしてストリート内をあちこち見回っている途中で、偶然に『軟水銭湯・月島温泉』を見つけた経験のある人もいるのではなかろうか。(※以下『月島温泉』と記載)
月島温泉の創業は1900年(明治33年)と言われており、月島地域自体の完成とほぼ同時期。店舗があるのは商店街に面したビルの2階で、かなり奥まった場所に入り口がある。1階部分のエレベーター横では、金文字で豪快に「月島温泉」と書かれた巨大な木製看板がお出迎え。その隣には1951年(昭和26年)に商店街有志の要望により建立されたという(※平成中期に現在地へ移転)、開運祈願の『月島観音』が鎮座している。手前には珍しくなった個人経営の精肉店が営業しているなど、銭湯に入る前から中々にインパクト抜群だ。
フロントや脱衣所は年季の入った公共施設のような雰囲気で、あちらこちらに注意書きの貼り紙がされている。浴室はタイル張りの爽やかな内装で、設備はジェット・バイブラ・電気風呂の付いた大浴槽に加えて、水風呂とサウナもある。店名に「温泉」と入ってはいるものの実際には温泉ではないらしいが、これは「お客様に温泉気分で楽しんでほしい」という店舗側の心遣いだそうだ。肌に優しい軟水を利用しているので、お湯の質自体を重視する利用者も満足できることだろう。
浴槽の温度は江戸っ子気質の若干高め設定で、サウナの室内は広々としてくつろぎやすい。サウナ目的や温冷交代浴でも利用しやすい店舗である。何より、風呂上がりにすぐ月島もんじゃストリートに直行できるという立地が魅力だろう。入浴前にストリート内を巡っていくつか店舗の見当を付けておき、風呂に浸かりながら「どの店にするかな……」とじっくり考えると丁度良さそうだ。
『軟水銭湯・月島温泉』:東京都中央区月島3-4-5-2F/最寄駅:東京メトロ有楽町線「月島」駅から徒歩4分/平日14:30~21:15、土日14:00~21:15(第1・第3・第5水曜休)/料金:入浴550円、サウナ料金450円、レンタルタオルセット200円(フェイスタオル・バスタオル)/駐車場なし
平成初期に誕生、最新タワマン一等地からも激近『勝どき湯』
勝どきは1905年(明治38年)の日露戦争勝利に際しての「勝鬨(かちどき、勝利の歓声)」が町名の由来であり、橋中央に船舶通過用の開閉部を持つ『勝どき橋』が有名だ(※現在は常時閉鎖)。2000年代以降は都営大江戸線・勝どき駅の開業や大規模再開発などで発展し、現在はリバーシティ21にも並ぶほどの高級タワマン街となったが、そこから至近距離に地元向け銭湯『勝どき湯』があるのだから何とも意外である。
多くの銭湯が昭和前期~中期の創業で、中には大正以前や江戸時代にまでルーツを持つ銭湯もあるなか、勝どき湯の創業は1989年(平成元年)の頃だという。店舗は平成チックな大型マンション『勝どきハイツ』の地下1階にあり、昭和レトロなマンション内にある日の出湯とは対照的である。
地下に進んだ先のフロントやロビーは所々にウッドテイストを取り入れており、公共浴場のような雰囲気は月島温泉にも近いが、脱衣所などはかなりスッキリかつ広々とした印象。浴室設備はジェット付き浴槽1つ・水風呂・サウナとシンプルでありながら、壁面に丸い額縁で囲まれた蓮の花の絵画が飾られている点はユニークである。
浴槽は熱めで水風呂はキンキンに冷やすタイプ、サウナもツラくはないもののかなり加熱する方と、大人しい見た目に反してガッツリ攻めてくる。なお、サウナ利用客はサウナマット代わりにバスタオルを渡されるので、サウナ室内では必ずタオルを敷こう。
銭湯業界では比較的「若手」と言ってもよい勝どき湯だが、現在ではすっかり地域に親しまれる存在だ。平日でも客入りは多く、開店からしばらくは常連の高齢者達で賑わうが、午後5時を過ぎると仕事終わりであろう若年メインに客層が大きく変化する。銭湯好き界隈の世代交代を如実に感じられる店舗である。
『軟水銭湯・月島温泉』:東京都中央区勝どき3-9-7/最寄駅:東京メトロ有楽町線「勝どき」駅から徒歩3分/15:30〜22:00(日曜・火曜休)/料金:入浴550円、サウナ込入浴料950円、レンタルタオル50円(フェイスタオル)100円(バスタオル)/駐車場なし
「複数産業が密集」「水路で周囲と隔絶」という埋立地が育んだ銭湯文化
佃・月島・勝どきの一帯は先述のとおり、地域の大半が明治以降の隅田川浚渫と埋立工事によって海上に生まれ、その当初は外界から水路で隔てられた地であった。こうした環境での街並みと人々、そして銭湯はどのような姿だっただろうか。多分に筆者の想像も混ざるが、月島温泉が開業したという1900年(明治33年)頃の街の風景に思いを馳せてみたい。
当時の石川島では『東京石川島造船所(後のIHI)』が現役操業中で、佃島では江戸時代からの漁業もいまだ営まれていた。現在でこそタワーマンションが林立している勝どき5〜6丁目の一帯は、明治後期頃はいまだ海の下であったので、そこの埋立工事も盛況であった。地域から外部へ唯一の交通手段として、『月島の渡し』『佃の渡し』等の水上交通手段が市民の足となっていた時代でもある。
外に出ること自体が少なからず面倒さを伴う、面積も限定された埋立地に、漁業・機械製造業・土木業・運送業などに従事する肉体労働者が大量に密集していたのである。また、当時の一般住居の大半は狭小なうえ、一般家庭に家風呂が普及する年代(昭和30年代)よりずっと以前。こうした環境下では、銭湯での入浴は身体の衛生と健康を保つため、生活に欠かせない心身のオアシスであった。
そして、こうした区域では地域コミュニティの親密度も現在よりずっと深かったと思われる。それは銭湯でも同じであり、造船所や工事現場でのハードな力仕事を終えた常連客同士が、汗を洗い落としながら友人や兄弟のごとくフランクに談笑していたことだろう。
それから120年以上の時が流れた、2026年の現代。東京湾の埋立地造成はとうの昔に完了し、造船所や漁業も街から姿を消した。月島はもんじゃ焼きの観光地に、石川島や勝どきはタワマンが並ぶウォーターフロントに変貌し、多くの橋や地下鉄のおかげで交通の便も良くなった。かつての下町的な面影は、旧佃島周辺にわずかに残るのみである。
そうしたなか、昼のオフィスワークを終えたビジネスマンがランニング後に入浴するなど、かつてここに根付いていた「仕事と銭湯」というライフスタイルは少しずつ復活の兆しだ。高齢の常連客が若年のサウナーに話しかけることも少なくなく(※筆者自身も経験あり)、銭湯を通じた地域文化継承にも要注目である。この水辺タウンでは明治以降の歴史と令和の文化が、銭湯を介してタイムトンネル風に繋がっているのかもしれない。



















