1976年9月、黄色と赤に塗られた派手な旧型国電がそろそろ引退すると聞いた筆者は、上野発の列車に乗って長岡へ撮影に向かいました。その旧型国電とは、新潟・長岡地区を中心に、信越本線や上越線を走っていた、通称「新潟ローカル」3ドア近郊形の70系です。
70系電車は、戦前形3ドア狭窓の51系をベースに、湘南電車80系の正面2枚窓をドッキングしたような車両で、戦後の1951~1958年にかけて約280両を製造。おもに横須賀線や京阪神緩行線に投入されました。
新潟地区でのデビューは、信越本線長岡駅~新潟駅間の電化が完成した1962年の6月。関西地区から長岡運転所へ転属してきた、クハ68を含むぶどう色の10両でした。そして翌年から、黄色と赤の独特な新潟色への塗り替えが始まりました。このカラーリングは、雪中でも列車が目立つようにと採用されたものです。
最盛期には横須賀線などからの転属も含めて約100両となり、運転区間も拡大。高崎駅、村上駅、妙高高原駅へも足を伸ばし、1978年8月のさよなら運転まで活躍しました。
「新潟ローカル」70系の特徴は、日本で有数の豪雪・寒冷地帯を走行するため、全車に耐寒耐雪改造が施されたことです。それは車両内外の各所に及びましたが、外観上の最大の特徴が、タイフォンに取り付けられた"竹やり"のような独特の形状のカバーでした。
このカバーは、冬季の走行時にタイフォン内へ雪が入ってくることを防ぐために取り付けられたもの。当初はただの円筒形のカバーが試作されましたが、試行錯誤の結果、タイフォンの響きが良い"竹やり"の形状になったそうです。
「新潟ローカル」は先頭車にも特徴がありました。生粋の70系とも呼ぶべき2枚窓の先頭車クハ76に加え、改造車クハ75、異系列クハ68の3車種で編成されていました。中でもクハ68は、複雑な改造を重ね、「旧型国電ワンダーランド」にどっぷりと浸かった車両が多く見られました。ちょっとのぞいてみましょう。
クハ68211
この車両のルーツは付随車のサハ。1931年製の横須賀線用2ドア付随車サハ48から、運転室取り付け改造が行われてクハ47に。1963年、「新潟ローカル」用に3ドア化改造され、クハ68となった異端車です。
クハ68005
なんとも複雑な改造を繰り返した車両です。「時代に散々振り回された」と言っても過言ではないかもしれません。
オリジナルは1933年製の京阪神緩行用2ドアクロスシート2等・3等合造車クロハ59。その後、格下げされ、3ドア化セミクロス改造を受けてクハ68に。戦時中、輸送力増強のためにロングシート化されてクハ55となったものの、1951年、再びセミクロス化されてクハ68となりました。……いやはや、よくいじったものです。
クハ68092
この車両は元々、1940年製ロングシート車のクハ55でした。新製時は張り上げ屋根の旧型国電らしからぬ美しいスタイルだったようです。その後、更新修繕で屋根布を張り、雨どいを設置し、セミクロス化されてクハ68となりました。
ついでに70系の改造車であるクハ75についても紹介しましょう。
クハ75017
70系のサロとして、戦後の1951年に製造された車両で、登場時はサロ46を名乗り、後にサロ75に変更。1967年に格下げされ、運転室取り付け改造が行われてクハ75となりました。改造された前面は103系ATC車のような顔となり、新性能車と見間違うほどでした。
クハ75017ほか4連。高架の上越新幹線が工事中。クハ75017は、この車両のみ前面に屋根布押さえがある異端車だった。補助タイフォンではなく、運転席上の屋根にカバー付きのホイッスルが取り付けられていた |
あらためて旧型国電の改造を追うと、戦争や新性能化など時代の変化に即応しながら生き抜いたことがうかがえます。いぶし銀のような車両たちに拍手を送りたい気持ちです。
「鉄道懐古写真」撮影時期と撮影場所
撮影時期 | 撮影場所 | |
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写真1 | 1976年9月 | 上越線 長岡運転所 |
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写真4 | 上越線 長岡駅 | |
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※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った