1月7日は「七草」でした。朝、7種類の野菜(野草)が入ったおかゆを食べて祝う行事です。
そこで今回は七草にちなみ、「旧型国電七変化!?」と題して、筆者が撮影した写真の中から7種類のカラーリングをご紹介しましょう。
黄色&赤(新潟色)
新潟色は、降雪時でも目立つようにと、黄色と赤の派手な塗装でした。この色は、日本海側の冬の気候を払拭するよう、明るい色を好む地域性から採用されたといわれています。また、「ひまわりの花」をイメージしたという説もあるようです。
新潟地区での旧型国電の運転は、1962年に関西地区で活躍した、ぶどう(茶)色の70系が転属してきたことから始まります。新潟色への塗り替えは、投入の翌年(1963年)から始まりました。
ただ、同時期に運転を開始した181系(当初は161系)「とき」などに比べ、ぶどう色1色の旧型国電は不評だったかもしれません。1978年に新潟色の旧型国電は引退しましたが、独自の塗装を施す伝統は、現在も受け継がれているようです。
うぐいす色&オレンジ(可部線色)
うぐいす色に、前面のみオレンジの警戒色をまとった可部線色。女性のメイクにたとえるなら、赤いチークをボテッと厚塗りしたようなイメージでした。
可部線には、元々ぶどう色の戦前型17m旧型国電が走っていましたが、それらを淘汰するために、1976年、同じ広島管内の呉線から、ウグイス色の72系が転属してきました。転属当初はウグイス色1色でしたが、後にオレンジの警戒色が施されました。
1980年、首都圏から72系が消えると、富山港線とともに最後の72系運転線区となりましたが、1984年に105系に置き換えられました。富山港線よりほんの数カ月早い引退でした。
ぶどう色
インパクトの強いカラーが連続したので、この辺で落ち着いたカラーを……。
やはり、旧型国電といえばこの色、オリジナルカラーの「ぶどう色」です。戦前から、客車や電気機関車などに広く使用されていました。その理由は単純明快。蒸気機関車の煤煙によって車両が汚れるため、汚れが目立たないように明るい色を避けたためです。
1形式1両の珍車クモハユニ64000は、岡山地区や静岡地区で活躍した後、1978年にぶどう色のまま、伊那松島機関区に転属されて飯田線に入線しました。3年後の1981年にはスカ色に改められ、1983年の飯田線旧型国電全廃まで活躍しました。
ぶどう色&黄色
ぶどう色に黄色の警戒色の戦前型旧型国電が走っていたのが、宇部・小野田線です。1965年頃から、17m車置換えのため、戦前型20m車の転属が始まりました。当初はぶどう色1色でしたが、1974年より警戒色が入れられ、黄色が目立つ独特のカラーリングとなりました。
クモハ42006は、JR化後も生き残ったクモハ42のうちの1両です。最晩年はぶどう色1色に戻され、小野田線の宇部新川・雀田~長門本山間でのんびりと余生を送っていましたが、2000(平成12)年、盟友クモハ42001の部品確保用として廃車となりました。最後の旧型国電として、1両だけ残ったクモハ42001も2003年に引退し、旧型国電の有終の美を飾りました。
スカイブルー
京浜東北線のラインカラー、スカイブルー。この色と同じ色をまとっていたのが、大糸線を走る旧型国電でした。1968年、ぶどう色からの塗り替えが始まり、北アルプスの麓・安曇野を走るスカイブルーの電車は、信州名物となりました。
オレンジ&グリーン(湘南色)
皆さんご存知、オレンジとグリーンのツートンカラー湘南色、なのですが……。カラーの写真がないのでモノクロ写真でご勘弁を。
1950年、「湘南電車」と呼ばれた80系がデビューしました。同車両にデビュー当初より採用されたのが、静岡地方特産の「みかん」と「お茶の葉」にちなんだともいわれる湘南色です。
湘南色はその後、113系や急行形153系など、数々の新性能電車に受け継がれ、国鉄時代の代表的なカラーとなりました。現在も、東海道本線を走るE231系・E233系のステンレス車体に、湘南色の帯として受け継がれています。
「スカ色」
横須賀線のラインカラー「スカ色」。湘南色とともに代表的な国鉄カラーでした。じつは横須賀線の旧型国電(42・70系など)が置き換えられた際、スカ色のまま転属していったため、各線区にスカ色が広がって行きました。飯田線、身延線などがその例です。
写真10でスカ色のクモハユニ44802と並んだ115系2000番台は、当初、甲州ぶどうの「ワインレッド」に富士山の白い雪を「白帯」にして登場しました。身延線が走る地域をイメージした斬新なカラーでしたが、短期間のうちに湘南色に塗り替えられ、いまでは幻のカラーとなっています。
今回紹介した「鉄道懐古写真」
撮影時期 | 写真の説明 | |
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写真1 | 1976年9月26日 | 新潟色のクハ68092他4連。黄と赤のツートンカラーが強烈な印象を与える。 独特の形状の補助タイフォンやツララ切りが新潟ローカルの証。上越線長岡駅にて |
写真2 | クハ76を先頭に、6連の列車が長岡操車場の脇を走り抜ける。黒貨車が懐かしい | |
写真3 | 1981年3月17日 | 可部線色の73形4連が太田川を渡る。先頭はクモハ73041。上八木~中島間 |
写真4 | 1981年3月18日 | 可部駅に並んだクハ79。左側の79004は、戦時中に木造車の鋼体化改造で 登場した車両。右側は戦後に新製された79328 |
写真5 | 1981年7月22日 | ぶどう色のクモハユニ64000。その後ろにスカ色クハ68412を連結。 伊那松島機関区にて |
写真6 | 1981年3月15日 | ぶどう色に黄色の警戒色のクモハ41019(写真左)と41031(写真右)。 前面窓がHゴム化改造されていない"美人顔"の車両だった。 ともに首都圏で活躍した後、宇部電車区に転属してきた |
写真7 | 朝の通勤ラッシュを終え、早々にパンタを降ろし留置されるクモハ42006。 小野田線雀田駅にて |
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写真8 | 1981年5月2日 | スカイブルーの大糸線。右端がクモハ60022ほか4連。左端がクハ55432。 松本運転所北松本支所にて |
写真9 | 1976年3月 | 熱海駅に停車中の湘南色クハ86300番台 |
写真10 | 1981年7月23日 | 身延線を走った、スカ色のクモハユニ44802。 左奥は新製直後の置換え用115系2000番台 |
※写真は当時の許可を取って撮影されたものです
松尾かずと
1962年東京都生まれ。
1985年大学卒業後、映像関連の仕事に就き現在に至る。東急目蒲線(現在の目黒線)沿線で生まれ育つ。当時走っていた緑色の旧型電車に興味を持ったのが、鉄道趣味の始まり。その後、旧型つながりで、旧型国電や旧型電機を追う"撮り鉄"に。とくに73形が大好きで、南武線や鶴見線の撮影に足しげく通った