昨年の販売台数、じつに31万7,000台。ぶっちぎりのトップを快走するプリウスはもはや「国民車」と言っても過言ではない状況だ。ちなみに昨年の販売台数2位はプリウスの弟分ともいえるアクアで、26万7,000台。この2車種だけで、軽自動車を含む国産車販売台数全体の約11%を占めるというからすごい。

プリウスは昨年、販売台数30万台以上を記録したという

斬新なハイブリッドシステムに、トヨタも当初は自信がなかった!?

筆者は初代プリウスの新車発表会に出席した思い出がある。もちろんプリウスがこんな人気車になるとは知らず、それどころかちょっと"キワモノ"扱いでさえあった。当時は従来のガソリンエンジンに代わる新たなパワーユニットが模索されていた時代で、燃料電池、電気自動車、水素エンジンの話題が毎日のようにニュースをにぎわせていた。そんな中、ハイブリッドシステムの印象はあまり華々しいものではなく、むしろ地味だったように思う。

そもそもハイブリッドは目新しい技術ではなく、プリウス以前にも試作レベルのハイブリッド乗用車は製造されていた。しかし、「電池とモーターで走行し、電池が消耗したらエンジンをかけて充電する」といった説明はどうにもインパクトに欠けた。とくに、「水素ガスから電気をつくり、排出するのは水だけ」という燃料電池車の明るい未来を想起させる説明とは、あまりに対照的だった。

そんなわけで、プリウスにはまったく期待せずに発表会に行ったのだが、だからこそ、発表会では度肝を抜かれたと認めざるをえない。

宇宙船のようなスタイリング、圧倒的な燃費性能、想像をはるかに超えるメカニズム。「トヨタさん、こんな"キワモノ"に本気出しちゃってる……」というのが偽らざる印象。中でもとくに目を奪われたのは、トヨタ独自のハイブリッドシステム「THS」だ。従来のシリーズ方式やパラレル方式とは根本的に違い、エンジンとモーターの出力を遊星ギアでミックスし、その割合を自由自在にコントロールするという。そのシステムが変速の役割を兼ね、従来の意味でのトランスミッションが存在しないというのは本当に画期的だった。

ここまで大胆なメカニズムをいきなり市販車に採用してくるとはまったく予想外で、少し興奮さえ感じたことを覚えている。メカニズムに興味のない新聞系などの記者も、「エンジン停止のまま発車し、その後でエンジンが始動する」という説明にはかなり驚いていた。発表会のプログラムがプリウスの試乗へ移っても、筆者は試乗そっちのけで開発部門のエンジニアを捕まえて質問攻めにした。

最も難しかったポイントを尋ねると、エンジン停止で発車してからエンジン始動するときに、ドライバーに気づかれないくらいスムーズに始動させることだったという。意外と細かいことで苦労するのだなと思ったが、意外な話は他にもたくさんあり、たとえば、開発部門としてはターボを付けたかったのだそうだ。しかし、日本ではターボに対して、「燃費が悪い」というイメージがあまりに強いため、営業的な判断で見送られたとか。「ターボを付けたらもっと燃費が良くなるんですけどね……」というエンジニアの言葉は、やはりターボに悪いイメージを抱いていた当時の筆者には衝撃的だった。

営業的判断といえば、プリウスのホイールは3本スポークのアルミ鍛造だが、スポーティな外観はファミリーユースでは敬遠されるとの理由で、わざと野暮ったく見える樹脂カバーを被せたという。その辺、良くも悪くもトヨタ的な発想だと思ったものだ。

あまりに斬新なので、販売的にはどうかという意見もあったプリウス。しかし、発売されると非常に好評で、たちまちバックオーダーを抱えた。ただ、バックオーダーが膨らんだのは生産台数が少ないせいもあった。世間では、「原価割れの価格なのであまり売りたくないのだろう」といわれたが、トヨタの人に聞いてみると、オフレコの話として、「ひと夏越すまでは怖くて生産を増やせない」と言っていた。斬新なハイブリッドシステムが日本の夏を無事に乗りきれるかどうか、トヨタでも自信がなかったらしい。

"キワモノ"を年間30万台売るトヨタ、「単に運が良かっただけ」なのか?

ところで、筆者はプリウスに関して、初期型からよく売れたと記憶しているのだが、販売台数を調べてみると、最も売れた1998年でも1万7,700台にすぎない。モデル末期の2002年など、たったの6,700台だ。それでもよく売れたように記憶しているのは、なんだかんだ言っても"キワモノ"というイメージがあり、そういうクルマにしてはよく売れた、という印象を持ったからかもしれない。

2003年に登場した2代目プリウスは、ボディ形状を変え、車格を1ランクアップさせ、ハイブリッドである以外は別のクルマというくらいに激変した。販売は好調だったが、そうはいってもやはり年間5~7万台で、本当にプリウスがブレイクするのは2009年に登場した3代目からだ。発売された年に20万台を突破し、翌年には30万台に乗せた。

2012年には「プリウスPHV」も発売された

当たり前のことだが、30万台も売れるクルマはもはや"キワモノ"ではない。筆者の認識がまったく間違っていた。いや、最初はたしかに"キワモノ"だったが、トヨタがそれを「国民車」にまで育てたというべきか。

それにしても、いまや世界中の自動車メーカーがこぞってハイブリッドを開発している。先を見通すトヨタの知見には脱帽……、と言いたいところだが、おそらくはトヨタにしても、こうなることを確信していたわけではないはずだ。単に運が良かっただけかもしれない。

そう思っていたら、トヨタが2015年にも燃料電池車を米国に投入するとのニュースが聞こえてきた。燃料電池車の国内販売は以前から決まっていたし、電気自動車も米国のテスラモーターズと組み、優れたものをつくっている。つまり運がいいのではなく、未来がどっちに転んでも天下を取れるように準備をしている。そこがトヨタのすごいところなのだろう。