風邪を引きました。熱をおして外出したら階段から転げ落ちて捻挫をし、歩けないわ、炭火のような高熱は出るわ、マジ泣きしようかというクリスマスでした。こういうときにかいがいしく面倒を見てくれる男性がいたら、コロッと惚れると思う。

が、この「看病」が上手な男って、結構少なそうだ。以前、熱を出したら「ご飯作ってあげるね」と言われて、ありがたくて涙が出そうになってたら、出てきたのは唐揚げだった。「何か食べる物買っていくね」と言って、たこ焼き買ってきたヤツもいた。うちに来て、漫画読んで菓子食って帰って「看病した」と抜かした野郎も。どうして男というのは、病人にうどんだのおかゆだのの病人食を作って、ちょいと家事をやって帰るという、当たり前のことができないのだろう。

ちなみに少女漫画の男子キャラたちが熱烈に女から支持を受けるのは、「ここぞ」というポイントを絶対に外さないからである。つまり、女が困っているときに、ピンポイントで助けになる行動を選択できるのだ。決して、唐揚げだのたこ焼きだのを病人に買ってきたり、遊びに来ただけで「看病した」などと勘違いを言わないのである。

逆のパターンはどうか。女が男の世話をする。そしてそういう欲求は女にあるか。間違いなく、あると思う。『神様はじめました』の2巻に、巴衛が妖術をかけられて、小さな子どもになってしまうという話がある。子どもになっただけならともかく、そのために高熱を出して動けなくなってしまうのだ。さあ、最上級萌え話の始まりだ。

通常、女は好きになった男の赤ん坊時代を知ることはできない。だけど、赤ん坊にとって世話をしてくれる人というのは、絶対無二の存在である。もしそれに自分がなれたら……浮気の心配ゼロである。弱って困っている男を助けられたら、自分も絶対無二の存在になれそうだ。そういうわけで、『ときめきトゥナイト』では真壁くんが途中で赤ん坊に退行したりしている。世話をするのはもちろん蘭世だ。

『神様はじめました』では、熱を出して寝込んでいる小さな巴衛を抱いて、奈々生は必死に駆け回る。「笹餅が食べたい」と言われれば、大喜びで作ってあげる。とにかく必死に巴衛の世話をするのである。そしてそれが、ものすごく楽しそうなのだ。もちろん読者も「いいなあ」と思いながら読む。

しかし男性たちは、それを安易に喜んではいけない。つまり女は、結婚とかして、毎日甲斐甲斐しく面倒を見てあげたい、とは思っていないのである。小さな巴衛の面倒を見るのが萌えなのは、それが「痛いところに手が届いてる気がする」からである。自分がすごく役に立つ人間のように思えるじゃないか。これこそ「自分の存在価値」ってヤツで、誰もが欲しいものである。しかも永遠に続くわけじゃなくて、短期間だし。

なぜならこの作品で、元気なときにご飯作って掃除して、甲斐甲斐しく家事やってるのは巴衛のほうなのである。奈々生はむしろ毎日、上げ膳据え膳の生活をしている。ろくに感謝もしない男の世話を毎日やるのは、決して女の萌えではないのだ。

ところで、小さな巴衛が、奈々生に笹餅を作ってもらって「美味しい?」と聞かれて「普通。」と答えるシーンがある。話のノリ的には「まずい」と言ってもおかしくないんだけど、出された飯に文句を決して言わせないのは、少女漫画的気遣いである。少女漫画の男子キャラは、どんな奇っ怪な飯が出てきても、決して文句を言わないのである。「作ってやった飯は喜んで食え」がセオリーなのだ。このあたりも現実では、偉そうに料理の批評をしたりして、女のツボを押さえられない男が多そうだよな。
<つづく>