女の「美」に対するコンプレックスや執着心というのは、並々ならないものがあるな、と思う。その理由のひとつには断然、男が面食いだというのがある。きれいにしてりゃモテるわけだから、より多くの男の中からより良いのを選びたい女からすると、必死になって「美」を追求したくもなるだろう。美しくしていることで人から、とりわけ男から注目を得られる快感というのが、おそらく女のDNAにすり込まれているのだろうな。着飾ってメイクして、見違えるようになりたいと多くの女は思う。

けれども現実は悲しいかな、人が振り返るような美人に生まれつくよりも、フツーの容貌で生まれてくる女のほうが圧倒的に多い。ということはつまり、少女漫画の読者もフツーの容貌の人が多いということになるだろう。また、それがどういう意味を持つかというと、ストーリーに「美人迫害」と「美人と同列」という形になって現れる。これが『好きしか知らない』の大きな骨格を作っているのだ。

悠(はるか)と菜子は、登場した瞬間から「このふたりはくっつくに違いない」とわかるコンビである。何しろお互いが初恋の相手らしいのだ。しかし、菜子が6年ほどよそに転校している間に、悠には志穂ちゃんという、とても大人しくてかわいらしい彼女ができていたのであった。さあ、この志穂ちゃんの扱いが、少女漫画的には重要なのである。

志穂は、飲んだくれの父親から暴力を振るわれている、かわいそうな少女なのだ。働かない父親のおかげでバイトに行ったりしていて、高校を続けられるかも怪しい。これは大きなポイントである。大抵、美少女というのは、少女漫画でいい思いをしていないのだ。

現実では、女の間でボロクソ評判の悪い女が、男にメチャクチャモテたりしている。しかし、悲しいかな女には、そうした「美人優勢」「男の前では激しくブリッコ」女が大人気という状態をひっくり返すことはなかなかできないのである。「美人だけど性格悪いよね」とか、影で悪口を言うのが精一杯。「なんで男はこんなに見る目がないのだ」という思いを、沸々と心に抱えているわけである。そういう鬱屈した思いを、少女漫画は晴らしてくれる。美人は大変な苦労をしょっているのだ。ああ気持ちいい。

まあ、AV男優がメチャクチャイケメンじゃないのと同じような作りである。要は「美人(イケメン)がいい思いをするのなんか、当たり前じゃん!」なのである。

そうして、見るからに家庭に問題タップリの志穂を、学校や社会はまるで救おうとはしてくれないらしく、クラスメートだけが必死に彼女を見守っている。悠は、このかわいそうな志穂を見捨てることができない。心はすっかり菜子に傾いているにもかかわらずだ。ここがポイントのふたつ目。自分とライバルになる女は、絶対美人なのである。そりゃそうだ。男に新しい女ができたと聞いて、見てみたらものすごい不細工とか、結構ショックに違いない。ものすごい美人でも腹立つだろうが。

しかし、美人と自分の間で男が悩み、最終的には自分を選ぶなんていうのは、もう女からしたら最高潮に格が上がった気がするのである。女には、男のようにより多くを支配したい、自分の力を示したいという欲求はないけれど、その代わり、より価値のあるものを独占したいという欲望がある。妻子ある男を捨てさせて自分を選ばせたり、数ある女の中から自分が選ばれたり。そうなることで、自分や相手の価値がぐんと上がった気になるのだ。

かくして志穂は、Wham!(ワム!)みたいな髪型の男子とくっつくことになり(彼は高校を中退しているようだが、その後、海外に転勤になるくらいの仕事をするようになっているようだ。いったいどうやってリカバったのか)、悠と菜子を阻む障害はなくなった。何となく相手に幸せを与えておいて、自分が一番美味しいとこ持っていってるわけである。人生、こうだったら幸せだなあと思うよね。
<『好きしか知らない』編 FIN>