2020年の発売以来、究極のタイパ食としてビジネスパーソンを中心に人気を集める「豆腐バー」。この大ヒット商品を生み出したのが、株式会社アサヒコの代表取締役社長である池田未央さんです。

これまでの概念を覆す豆腐製品を世に送り出し、今や業界に新風を呼ぶ存在に。彼女にアサヒコの"いま"をお聞きします。

業界を牽引する老舗豆腐メーカー「アサヒコ」

東京都新宿区に本社を構えるアサヒコ。1972年に埼玉県行田市で朝日食品株式会社としてスタートした歴史ある豆腐メーカーです。

主力商品の豆腐をはじめ、油揚や豆腐加工品の日配食品などを製造・販売。今ではスーパーで当たり前に見かけるようになったパック入りの豆腐(充填豆腐)を初めて量産したのも、実はこの会社なのです。

創業53年目を迎える現在、従業員数は441名。2014年に現在の社名に変更し、「すこやかに食べよう」をスローガンに掲げ、高品質で健康的な製品作りを目指しています。

2023年、そんなアサヒコの代表取締役社長に就任したのが、当時入社5年目だった池田未央さんです。

日本人の食生活の変化によって今、豆腐業界はとても厳しい状況に置かれています。

しかしアサヒコは固定観念に縛られない豆腐製品を生み出すことで、業界全体に旋風を巻き起こしました。そんな同社の歴史や社風、現在の歩みを池田さんにお聞きします。

食生活の変化でシュリンクする豆腐業界の今

冷奴に味噌汁にと、豆腐は日本の食卓には欠かせない食材です。しかし人々の食生活の変化や高齢化による消費量の減少で、豆腐市場は年々縮小傾向にあります。

豆腐は「物価の優等生」として、昔から卵やもやしと同様に日本の家計を支えてきました。消費者が豆腐を購入するときの選択基準は、主に価格。そのため、いかに時間あたりの生産性を上げ、利益をあげるかが重要視されてきたのです。それは老舗であるアサヒコも例外ではありません。

「豆腐業界全体に激しい価格競争が起こり、いかに安く豆腐を作るかに“勝ち筋”があるかのようになってしまったんです。大型の機械を入れて、1時間に何丁の豆腐を作れるか、製造原価が下げられるかの競い合いに、当社も巻き込まれていた時期があります。

50年以上続く老舗のため、豆腐を作る技術は十分備わっていましたが、ここ10年ほどは上手くアピールできていなかったというのが実情です」

豆腐はもともと日持ちがしない食材でしたが、アサヒコが量産型の充填豆腐を開発したことで大量生産が可能になりました。

業界のパイオニア的存在だった同社ですが、価格競争とともにその位置付けが薄れてきてしまったと池田さんは語ります。

入社5年でマーケティング部長から代表取締役社長に

池田さんがアサヒコに入社したのは、会社が分岐点を迎えていた2018年。

「価格競争に打ち勝つために新たな施策を練ってほしい」と前社長から誘われ、マーケティング部長として採用されました。その後、営業部門も兼務することとになり、2023年5月に代表取締役社長に就任しました。

彼女が長らく豆腐業界に身を置いてきたかというと、答えは否。東京農業大学卒業後、新卒でお菓子メーカー「三星食品」に就職。以来、商品企画を担当し、数々のヒット商品を生み出してきました。

「入社1年目に担当したのが、のど飴の新商品開発でした。私が新入社員だった30年前は、のど飴といえば"茶色くて苦いもの"が主流で、重要なのは何種類ハーブが入っていて喉にいいかということ。甘いのど飴は子供用くらいしかなくて、大人が味を楽しみながら舐めるという感覚はなかったんですね。"美味しいのど飴"があったらいいのに……と思っていたので企画書を出したんです。『売れるわけがない』と上司から怒られたのを覚えています(笑)」

紆余曲折あったものの、最終的に上司の計らいもあり、池田さんが企画した「マスカット味ののど飴」は商品化に成功。しかも発売すると、すぐにヒット商品に。

以降、キシリトール配合のノンシュガーのど飴「キシリクリスタル」や土産菓子、百貨店菓子の企画開発に携わり、ヒットメーカーとして名を馳せました。

「お菓子はもうやり切ったなと思っていた頃、前社長から声がかかりこの会社に入社しました。豆腐の知識はもちろんゼロ。だからこそ先入観はありませんでした。

入社当初は製造原価を抑えて価格競争で勝負できる新商品を開発することが私のミッションだったのですが、工場で豆腐を見ているうちに、なかなか差別化は難しいんじゃないかと……。そんな矢先アメリカに行く機会があり、現地のスーパーで売られていた豆腐を目にしたんです」

アメリカでも豆腐が愛されていることに感動を覚えた池田さんですが、それは日本の豆腐とはかけ離れたものだったといいます。

「日本で売っているように柔らかさはなく、ガチガチの硬い豆腐でした。アメリカのスーパーではTOFUとして普通に売られていますが、中身は私たちが食べているものとは別物。TOFUは焼いたり揚げたりしてお肉や魚の代わりにタンパク源として食べられていたんですよ」。

「プロテインバーのような豆腐を作ったら面白いかも」そう考えた池田さんは、帰国後早速硬い豆腐を作ることを社内で提案しますが、猛反対されたそうです。

「私は豆腐業界を知らない新参者ですから、最初は誰一人話を聞いてくれませんでしたね。豆腐作りも知らないのに何を言っているんだと。これまで職人さんたちは柔らかさや喉越しの良い豆腐を追求してきたのに、いきなり硬い豆腐を作りたいと言われたらそうなりますよね。最初はみんな遠巻きに見ていただけ。運悪く私とチームを組まされてしまった女性と二人で、ひたすら実験を繰り返し、なんとか豆腐バーのプロトタイプを完成させました」

転機が訪れたのは2019年。セブンイレブンに営業に行ったところ、担当者が豆腐バーに興味を示してくれたのです。

「豆腐バーを『面白い』と褒めてくれたんです。セブンイレブンは当時、サラダチキンやカニカマに次ぐ植物性のタンパク質食品を求めていたんですよね。ちょうど需要にマッチしたんだと思います。

ただ当時の豆腐バーはまだ試作品段階なので硬さはイマイチで、味付けはめんつゆに漬けた程度。弾力もないし、そもそもタンパク質の量も足りないと言われ、課題をたくさん出されてしまいました(苦笑)。だけどこれをクリアしたらセブンイレブンで商品化できるんだと思うと、とてもうれしかったですね。

セブンイレブンが興味を示してくれたことで、社内の風向きも大きく変わり始めました。『こうすれば硬くなるんじゃないか』『タンパク質を増やせるんじゃないか』とみんながアイデアを出してくれて、協力の輪が広がっていったんです」

固定観念を覆す「豆腐バー」が誕生! 職人魂を感じる新商品も

構想から2年、ついに2020年11月、セブンイレブンで「豆腐バー」の販売がスタートしました。

発売から半年で売上数300万本を突破。1年で1,000万本を超える大ヒット商品となり、現在は累計8,000万本を売り上げています。

「豆腐バーは忙しいビジネスパーソンをメインターゲットにした商品です。1本で2桁のタンパク質が摂取でき、満足感があって、かつ仕事中も気軽に食べられるように液ダレしない点にもこだわりました」。

当初はセブンイレブンでの販売だけでしたが、今ではスーパーでも当たり前に見かけるようになりました。しかし池田さんは、「まだまだ認知度は十分ではない」と語ります。

「コンビニには行くけれど、豆腐バーは知らないという方はたくさんいます。もっと多くの方に、手軽にタンパク質が摂れることを知ってもらいたいですね」

豆腐バーの認知拡大のため、新たな試みも行っています。それが2025年3月に発売した「スイーツ豆腐バー」です。

「タンパク質の量はそんなにいらないけれど、おやつとして食べたい人向けに開発した商品です。1本あたり120~130kcalで7~8gほどタンパク質が摂取できるので、罪悪感なく食べられると思います。

スイーツ豆腐バーの監修をしたのは埼玉県の人気パティスリー『アカシエ』の興野 燈さん。当社の工場も埼玉にあることから、一緒に美味しい物を作ろうと言ってくださり、開発中は、仕事終わりの興野さんが工場までバイクで駆けつけてくれ、2~3時間打ち合わせするなんてこともよくありました」

また、近年は豆腐バー以外の新商品開発にも力を注いでいます。2025年3月に発売されたのが「職人豆腐」という新商品です。

「職人豆腐と書いてクラフト豆腐と読み、国産大豆を100%使用しています。通常、充填豆腐は冷たい豆乳から作りますが、こちらは温かい搾りたての豆乳を使っているのが特徴。大豆の風味を損なわず、濃い味わいを感じていただけると思います」。

この新商品の発売と同時に、商品パッケージに大豆の産地と品種、作り手の名前を打刻するという試みもスタートしました。職人みなさんの力があってこその豆腐なので、彼らが培ってきた技や経験を"見える化"したいと考えたのです。

打刻制度の導入を機に、『大山阿夫利』や『大地と海の恵み』などの既存商品も、すべての工程や原料を見直し、職人豆腐としてリニューアルしました」

アサヒコの強みは"人"、職人や技術者が支える老舗のこれから

社長に就任してからまもなく2年。池田さんは現場主義。社員とともに率先して工場や営業先にも出向き、本社の社長室を使うことはほぼないといいます。そんな彼女に、アサヒコの企業としての強みをお聞きしました。

「当社の強みは、やはり働く人々の技術力です。私が入社した当初、硬い豆腐作りたいと言ったらみんな反対しましたが、豆腐バーの課題を解決しないといけなくなったとき、結局助けてくれたのは、技術者さんや職人さんたちでした。会社が歩んできた歴史とともに培われてきた職人魂や底力があると思っています。

例えば豆腐作りの工程でも、雨の日と晴れの日では大豆を浸水させる時間を変えていますし、すり潰すときにも大豆によって石臼を微調整しています。これは数値だけに裏付けられているわけではなく、職人さんたちの感覚も重要。経験によって身につけた力を駆使することで、どんな大豆であっても美味しい豆腐が作れるようになるのです。

今回、職人豆腐に作り手の名前を入れると決まったとき、最初職人さんたちからは反対されたんです。もともと表に立つのが得意ではない人が多いので『恥ずかしいよ』と。ですが、名前が載ることでもっと誇りを持ってもらいたいと思い、導入することにしました。職人歴が10年以上、かつ試験を通過した人という条件も設けています。名前が載った先輩に憧れ、背中を追うように後輩たちが育ってくれたらうれしいですね」

最後に、これから社会に出る若い世代に向けて、池田さんからメッセージをいただいたのでご紹介します。

「最近は、なるべく揉め事を避けたいと思う若い方も多いですよね。私ももちろん揉め事は好きではありませんが、仕事ではめんどくさいことや煩わしいことも含めて楽しんでしまった方が、避けて通るよりも面白いんじゃないかと思うんです。豆腐バーだって、最初は誰も応援してくれませんでしたが、そこで諦めていたら、この商品は生まれなかったでしょう。

自分の価値観でいいなと思ったら、反対されても追求することが大事。時には他人の意見を『気にしない』という鈍感力も必要です。続けていればそのうち賛同者が現れるはずです。豆腐バーを開発していたときも、続けることでどんどん仲間が増えていき、最終的にはいろんな方々に助けてもらい、完成しました。

会社の中で意見が合わないことがあっても、避けないで向き合ってみる。そこから学ぶことは多いと思います」

執筆:安藤茉耶
写真:佐藤登志雄
編集:学生の窓口編集部