横浜線100周年を小机駅で祝う

米沢から首都圏に帰ってきたら、なになに、横浜線(通称: ハマ線)が100周年だって?? その昔、C-58が走り、あるいはチョコレート色の4両電車が走っていた単線(小机 - 八王子間ね)の横浜線もめでたく100周年だそうだ。しかし、横浜線は、東神奈川駅(横浜駅からひとつ東京駅寄りの駅)と八王子を結んでいるわけで、横浜駅を通らないのに、横浜線。うーん、訳がわからないが世の中にはこういうことがたくさんあったりもする。

それはともかく、小机駅に急ぐ。小机駅といえば、日産スタジアムの最寄り駅だから読者の中には降りたことのある方もいるかもしれない。到着すると……ありゃ、家族連れがいっぱい。駅に停まっている「横濱ものがたり」号(「いろどり」の車両を使用)の前で記念撮影をしている。「横濱ものがたり」号の中は、お弁当を食べている家族連れでいっぱいだ。

「横濱ものがたり」号は「いろどり」を使用。リクライニングシートが配置された1号車をはじめ、他目的ルームや簡易コンパートメントなどの車両と、車両内もいろどり! (オヤジギャグ)。車両内は見学の人でいっぱいだった

目立っていたのは、チビッコ鉄ちゃん。おじさんたちを尻目に、写真をパシャパシャ。どうやらチビッコ鉄ちゃんたちは、新しい車両が大好きらしい。「君って撮り鉄? 乗り鉄? 」というのは、見たところ中学生の鉄ちゃん同士の会話。ここ小机駅で知り合ったらしい。「東西線の新車両って」「小田急の新しいロマンスカー乗った? 」「『いろどり』ってJRの長野支社所属なんだぜ」など、最新車両の話ばかり。う~ん、おじさんついていけません。

「横濱線100周年」号がやってきた。鉄ちゃんもそうでない人も、デジカメでパシャパシャ。車両は1999年製の485系「やまなみ」。ジョイフルトレインとして使用されている。小机駅には横浜線100周年の垂れ幕が

新車両はチビッコにまかせて廃線めぐり

こんな日は、気をとりなおして(?)、廃線・廃墟めぐりにレッツゴー! である。やはり私にはこちらのほうがしっくりとくるようだ。まずは、横浜線に乗って菊名へ。そして横浜方面行きの各駅列車に乗る。座るのは、進行方向左側の窓側の席がおすすめ。妙蓮寺、白楽を経て、東白楽駅を出るとすぐ、左手に幅広の空き地が見える。ここは2004年前まで東急東横線の高架があった場所。2004年1月30日、横浜駅 - 高島町駅 - 桜木町駅間の営業終了とともに翌31日、東白楽から横浜までが地下線になったのだ。

横浜駅ひとつ手前の反町駅で下車。長いエスカレーターを2基乗り継いでいくと、地上に出る。改札を出て右手を見ると、向かいの道路(国道1号線)をまたぐ鉄道橋だけが3年経った今も残っている。歩道橋を渡って向かい側へ行くと。途中で橋は切れている。国道と反対方向を見ると、幅広い公園が。この下には地下線になった東急東横線が通っている。今年のはじめまでは5mほど鉄筋コンクリートの橋梁があったのだが、8月に行ったときには、鉄筋コンクリートの部分がすでに壊されていた。

東白楽駅を出て進行方向左側に空き地が見える。これが高架のあと。写真は、高架廃線直後の2004年2月の写真。高架が分断されて撤去されつつある

鉄道の橋がまだ残る反町駅。写真右は高架廃止直後(2004年2月)。周辺の店も変わったようだ

横浜というのは、意外に山が多い。そのため、反町・横浜間はトンネルで通じていた。さて、そのトンネルはどうなっているか……。反町駅を旧線路沿いに横浜方面まで坂を上っていく。左手には青木小学校という歴史のある小学校が見えてくる。目指すは「桐畑橋」。横浜側を見ると、トンネルはまだ残っていた。「高島隧道(高島山トンネル)」である。線路はすっかり片付けられており、整地されていた。実はこの東横線の高架からトンネル跡にかけては、「東横フラワー緑道」になるそうで、先の反町駅の鉄道が通っていた橋も利用するとのこと。トンネルの穴は地上ルート廃線後長らく開いたままだったが、この夏に改修工事が行われて一旦閉じ、しかし何故か今はまたトンネルの穴が通じている状態だ。

高島隧道(高島山トンネル)の反町側(左から順に2008年1月、8月、9月撮影)

高島隧道の横浜側(左から順に2008年8月、9月撮影)

そして、トンネルの上はどのようになっているのか。それを確かめるためにいったん南側へ向かい、第2京浜国道に降りる。横浜側に道を下っていき、青木橋のところで本覚寺への参道を上る。ちなみに本覚寺は江戸時代にアメリカ領事館となっていたところ。かの有名なタウンゼント・ハリスさんがいたそうである。

しかし、本覚寺には入らずお寺沿いに道を上っていく。横浜方面を見下ろすと、幅広い更地が見える。かつてここは東横線の線路があったところ。実はこのあたりには、東横線旧神奈川駅があったそうである(1950年廃止)。だが、今は何もない。

本覚寺付近の丘から横浜方面を見下ろす。高架のあとは更地になっている

そして、今来た道を戻っていき、最初の道を右手に曲がる。駐車場脇を通って右手を見ると、先ほどのトンネルの出入口に。見ると、土嚢が脇に重ねられている。線路跡には昨年までは敷石が残っていたが、今は更地である。その先は、線路跡の一区画がすでに公園になっている。「台町入口」と書かれた第2京浜国道の横断歩道あたりには東横線の鉄橋があったが、かなり前に撤去(シャレか!? )されて、今は遮るものがなにもない。

「台町入口」。かつて東急・東横線の鉄橋がこの道路(環状1号)を跨いでいた。写真右は高架廃止直後の模様(2004年2月撮影)

このように、私は猫のようにトボトボと歩き、しかしながらまだまだ廃線の旅は続くのであった。