「ナナナナ~」のギャグで一世を風靡したお笑いコンビ「ジョイマン」。その後風のようにお茶の間から姿を消した彼らだが、今もコツコツと笑いの世界で生きている。そんな山頂と地底の景色を見てきたジョイマンの高木晋哉が、日々の出来事を徒然なるままに語り、「あー人生つまんない」と思っているアナタにふっと生暖かい風を吹かせてくれる。


  • 飛べない風船

    絵:高木晋哉

昔から、誰かや何かを応援する楽しさがよく分かりませんでした。今でも野球やサッカーなどで応援するチームは特にありません。スポーツを真剣にやっていた時期がほぼないからでしょうか。ワールドカップやオリンピックなどをテレビで観て「すごい」と思ったり人並みに感動したり震えたりはするのですが、本気で応援しているかといったら少し違うような気がします。こんなことを言うと、他人に感情移入できない冷たい人間だと思われそうなので人にはあまり言わないようにしてきました。

そんな中、先日、営業でとあるイベントに出演させて頂きました。ネタをやらせて頂いた後、エンディングで沢山の風船を空に飛ばすという演出がありました。色とりどりの風船が快晴の空をふわりふわりと彩っていく様子はとても美しく楽しい光景でした。ただ、ひとつの風船だけ浮力が充分ではなかったのでしょうか、他の風船より高く飛べずに低空をさまよう風船がありました。仲間からはぐれたその風船は時折吹く風の力で少しだけ舞い上がっては、ゆらゆらと落ちていくのでした。

お客さんも気になっていたのでしょうか、どことなく重なる部分があったのでしょうか、誰からともなくその高く飛べない風船を"ジョイマン"と名付けて「頑張れジョイマン!」と皆で応援するという風潮が生まれました。

その場にいる誰もが「高く飛べジョイマン!」と応援していました。僕も背中を押されるように自然に「頑張れジョイマン!頑張れジョイマン!」と声援を送っていました。それはとても不思議な光景でした。大空を仰ぎながら群衆とジョイマンがジョイマンを応援している。しかもそれは単純にその場のノリだけではなく、なぜでしょう、ジョイマンを応援する皆の声、そしてとりわけ僕の声には祈りにも似たような真剣な力がこもっていたんです。

偶発的に起きた現象により生まれた、本人を筆頭にしたジョイマン応援団。最初は面白いという感情だけでしたが、途中から僕はその状況に健康的で爽やかな無限の喜びを感じるようになっていました。でもおそらくその爽やかな喜びは、単に自分で自分を応援しているだけでも、逆に皆さんからの応援だけでも、どちらかだけでは決して得られない特別な感覚だったような気がします。自分と皆さんの両方がジョイマンを応援していたからこそ気付けた、とても大切な感覚のような。

僕はその時初めて、自分を取り囲むこの世界と少しだけ溶け合えたような、そんな気がしたんです。あのイベントに関わってくれた人々、あの状況に居合わせてくれた全ての人々に「ありがとう オリゴ糖」の気持ちでいっぱいです。

"ジョイマン"と名付けられた高く飛べない風船のおかげで、僕は自分で自分を応援してあげられる健康な心の大切さと、自分以外の誰かと何かを分かち合うことの大切さを学びました。どうやら自分だけの小さな身体で感じられる喜びは上限が決められているようですが、誰かと一緒に共感して感じられる喜びは無限に高まっていくようです。

誰かと共に何かを応援するということの素晴らしさ。その対象というのはきっと何でもよくて、野球チームでもいいし、サッカーチームでもいいし、自分でもいい。そこには沢山の笑顔や涙があり「ありがとう オリゴ糖」がある。今まで37年間も気付けずにいたその人生の妙に衝撃を受けて感涙にむせぶ僕でしたが、その"ジョイマン"と名付けられ大きな声援を受けた風船は、最終的に近くの木に引っかかり身動きが取れなくなっていました。


筆者プロフィール: 高木晋哉

お笑い芸人。早稲田大学を中退後、2003年に相方の池谷と「ジョイマン」を結成。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。趣味は詩を書くことで、自身のTwitterでの詩的なツイートが話題となっている。