人体から見つかった、全長8.8mの日本海裂頭条虫

寄生虫―。そう聞くと、何を思い浮かべるだろう。「気持ち悪い」だろうか。それとも「自分には関係ない」だろうか。ただ、寄生虫は我々がふだん食べている食事やペットを媒介にして、我々の体内に侵入することがある。また、世界各国には、寄生虫によって命を脅かされているケースもある。今回は、いまだ謎のベールに包まれている部分が多い寄生虫を学べる、「目黒寄生虫館」を紹介する。

世界唯一の寄生虫の研究博物館。常陸宮殿下も御来館

隠れ家的要素を持つ、おしゃれなお店が多いことで人気のJR目黒駅界隈(かいわい)。駅から目黒川方面に向かい、目黒通りをおよそ15分ほど歩くと、あずき色のビルが見えてくる。寄生虫を専門に扱った、世界で唯一の研究博物館「目黒寄生虫館」だ。国内外で集めた資料や病院、動物園などから提供してもらったサンプルなど、およそ6万点のコレクションを有する。過去には皇族も御来館されたことがあるという、由緒ある博物館だ。

最近では、雑誌に取り上げられることも増えてきたという

館の入口には、貴重なサンプルがズラリと並ぶ

終戦後の騒乱時、満州(まんしゅう)から資料を持ち帰った初代館長

館の誕生は60年前にまで遡(さかのぼ)る。初代館長で医学博士でもあった亀谷(かめがい)了(さとる)氏は第2次世界大戦中、満鉄の衛生研究所にて、当時蔓(まん)延していた寄生虫症を研究していた。終戦時の騒乱で多くの貴重な資料は失われてしまったが、日本の敗戦後に現地から日本へと引き上げてくる際には、わずかに手元に残った資料を携え、海を渡った。

「衣類などを入れる竹や籐(とう)製の箱である行李(こうり)ひとつだけの資料をもって帰国したと聞いています」と、了氏の孫で現事務長でもある亀谷誓一氏は語る。

終戦間もない1948年(昭和23年)、目黒に診療所を構えた了氏は、寄生虫症に悩まされる人々や家畜の多さに衝撃を受けた。「何とか、この状況を打破したい―」。そう思い、これまでの研究活動やその成果を紹介し、寄生虫に関する知識の普及啓発に努めるべく、1953年(昭和28年)に博物館を創設した。

設立当時の目黒寄生虫館(画像提供/(公財)目黒寄生虫館)

設立当初は標本などが数十点ほどしかなかった。それから自身でも精力的に資料の収集に努める一方、了氏の考えに賛同した医学関係者・大学教授からのサンプル提供も次第に増えていった。研究者や専門家を中心に認知度は徐々に向上し、現在のビルに改築されると広く一般の見学者も目立つようになった。そして現在、収蔵アイテムは6万点にも及び、年間で5万人を超える来館者が訪れる博物館にまでなった。

そもそも寄生虫とは

寄生虫を何となくは知っていても、詳細に説明できる人は意外と少ないかもしれない。寄生虫は、宿主(しゅくしゅ)とよばれる他の種類の生物に環境と食物を依存している動物のことだ。一生涯あるいは一時期、宿主の体表や体内にとりついて、宿主から食物をいただく。その生涯で2つ以上の宿主を必要とするときに、成虫が寄生する宿主を終宿主、幼虫が寄生する宿主を中間宿主と呼ぶ。寄生虫は、宿主に害を与えないものがほとんどだ。

かつての日本では、風土病的に寄生中症が発生した

地域ごとの寄生虫症を把握することができる

寄生虫はバラエティーに富む。ヒトの血を吸うシラミや、刺身などからヒトの体内に入って腹痛を起こすアニサキスなどは、一般的にもなじみが深いだろう。その他にもクリイロコイタマダニ(ダニ類)、ヒトノミ(昆虫類)、鞭(べん)虫や回虫(ともに線形動物)、肥大吸虫やビルハルツ住血吸虫(ともに吸虫類)、日本海裂頭条虫や無鉤条虫(共に条虫類)、大鉤頭虫(鉤頭動物)などがある。

ヒトの体内に潜む寄生虫一覧

主にヒトを宿主とする人体寄生虫は、約20種類

ヒトを宿主とする寄生虫は約200種類ほどあるとされているが、そのうちの1割がヒトを主な宿主とする人体寄生虫。現在の日本では衛生状態の改善や予防対策が進み、寄生虫はほとんど見られなくなったが、世界レベルで見ると、まだ多くの寄生虫による発症や疾患が見られる。

人体寄生虫で比較的名前を知られているのは、蟯(ぎょう)虫だろう。成虫は夜間にこう門からはい出て周囲に産卵するため、お尻がかゆくなる。幼少の頃の蟯(ぎょう)虫検査は、多くの人が経験しているはずだ。

現在でも世界で8~12億人が感染しているとされている回虫は、生野菜などを経由して体内に寄生する。腹痛や胆石症、虫垂炎を患うことがある。ヒトの盲腸に寄生する鞭(べん)虫は、多数寄生すると腹痛、下痢、下血を引き起こす。

多くの人が一度は見たことがあるだろう蟯(ぎょう)虫検査(左)

野生動物を介して感染する人獣共通寄生虫

ヒトを宿主とする寄生虫のうち、本来、野生動物を最終的な宿主としておりヒトは偶発的に寄生を受けるものは人獣共通寄生虫と呼ばれる。

肝硬変を引き起こしたり、脳に寄生したり……吸虫

魚類から陸上脊椎動物まで、多くの動物を最終的な宿主とする吸虫(きゅうちゅう)。ヒトに寄生する吸虫は、これまでに40種類以上が確認されているが、すべて人獣共通寄生虫だ。

アジアに広く分布する肝(かん)吸虫は、コイ科の魚を中間宿主とするため、コイやフナの生食で感染する。多数寄生すれば、黄だんや貧血を起こし、肝硬変に至ることもあるという。ウシ・ヒツジなどの肝臓に寄生する肝蛭(かんてつ)は、感染すると発熱や胆石症に似た症状を引き起こす。他にも幼虫が動き回り、脳に寄生することもあるウェステルマン肺吸虫などがある。

年間500例の感染を起こすアニサキスなど…線虫

線虫類はヒトに約70種が寄生するという記録がある。うち12種がヒトを本来の宿主とする線虫で、残りが人獣共通寄生虫。回虫や蟯(ぎょう)虫も線虫に属する。

線虫の人獣共通寄生虫で最も有名なのはアニサキスだろう。成虫はクジラやイルカの胃に寄生するが、幼虫の中にはサケやサバ、サンマ、イカに寄生するものも。ヒトへの感染は、年間500例を超えると言われており、アレルギー反応による激痛を伴うのが特徴だ。感染を防ぐには、魚介類を十分に加熱するなどの対処法がある。

その他にはヒトやイヌの小腸に寄生し、重度感染の場合では下痢や腹痛、免疫不全を引き起こす糞(ふん)線虫やカニやカエルから感染し、頭痛を伴う広東(かんとん)住血線虫などがある。

ウシや魚から感染、通称「サナダムシ」…条虫

条虫類を総じてサナダムシと呼ぶ。脊椎(せきつい)動物の腸、まれに体腔(たいこう)に寄生する。30種のうち、5種がヒトを本来の宿主とし、残りは人獣共通寄生虫。生活は複雑で、2つないしは3つの宿主を必要とする。

日本海裂頭条虫はサケ、マス類の生食から感染する。下痢や腹痛になることもあるが、自覚症状のないケースも多く、排便時にひも状の体節が出て感染に気づくこともあるという。マス寿司(ずし)を食べたヒトの腸で、約9メートルまで成長した例も。

一方で、危険な種類もいる。調理不完全な牛肉・豚肉を食べることによって、腸に寄生する有鉤(ゆうこう)条虫は、卵が腸内でふ化すると体内の各部に幼虫が移動する(有鉤嚢(のう)虫症)。幼虫が体内各部に移動すると、体表に袋状の吹き出物が無数でき、脳に寄生すると最悪、命に関わるという。

この他にも数多くの寄生虫の種類やその生活史、さらには予防方法なども学べるなど、見所は満載だ。

今後も色あせることないコレクションの価値

目黒寄生虫館は今年4月、財団法人から公益財団法人へと変わった。世界で唯一の寄生虫博物館は、行政の税金や補助金で運営されていない。あくまで独立採算で経営され、基本財産の運用と来館者の寄附が主な収入源だ。財政面のやり繰りに神経を使い運営を行う中、最近はSNSの発達も手伝ってか、館の存在が以前にも増して世に知られるようになり、取材依頼も増えた。来館者も堅実に増やしている。

そういった現況も手伝い、研究機関や病院からの資料提供はやむことはない。それは、目黒寄生虫館の公益性の高さの証明にほかならない。

亀谷事務長も、館を盛り上げていく機運が熟しているのを感じている。一昨年には1階の展示パネルを、昨年には2階の展示パネルをそれぞれリニューアル。「フレキシブルに新しい展示ができ、いつでも情報更新がしやすいように、簡単に取り替えやすいパネルにしました。今後はタッチパネル式など動きのある展示も作っていけたらと考えています」。理想は尽きない。

「近年では研究者や専門家などに限らず、老若男女、海外からも様々な方がいらっしゃいます。海外に行く前に予備知識として知っておきたいとか、獣医師の道を志しているなど、非常に熱心に御覧になってくださいます。また、来館のきっかけは面白半分ということであっても、見学を通じて寄生虫の巧みな生き方に興味をもたれる方が多いです。設立当初とは日本の衛生状態は大きく様変わりしましたが、寄生虫について学べる場所としてこれからも啓発活動を続けてまいります」(亀谷事務長)

公衆衛生や医学が発達した現代の日本では、戦後直後のように寄生虫の被害に遭うことは確かに少ないかもしれない。だが、今でも館にある貴重な情報を欲している人は確実にいる。初代館長・亀谷了氏から受け継がれる系譜と、そのコレクションの価値は、どれだけ時代が変わっても色あせることはない。

「目黒寄生虫館」
開館時間:10~17時(最終退出時間が17時。16時45分前後より閉館準備)
休館日:月曜日(月曜が祝日の場合は開館、直近の平日に休館)
料金:無料。入り口横に募金箱あり
住所:東京都目黒区下目黒4-1-1

館の2階では、ユニークな寄生虫グッズも販売。どれも人気だ