人に気安く言ってはいけないこと、それは「あなたは運がいいね」ではないでしょうか。自分が「私って運がいいね」と思うことはよい。しかし、他人サマに「あなたって運がいいわね」と言ってしまうと、「実力がないけど、運はいい」という意味にとられかねないでしょう。

しかしながら、多くのレジェンドが自分の成功の理由に“運”を挙げているのです。ただし、ここで言う運とは、商店街主催のくじびきで一等賞はハワイ旅行が当たるというような「当たり」「はずれ」がはっきりしたものを指すのではなく、「時代の流れ」とか「人との巡り合わせ」という意味なのだと思います。

  • イラスト:井内愛

今回取り上げる、見城徹氏も時代に乗った人の一人でしょう。株式会社幻冬舎の代表取締役社長である氏は日本を代表する名物編集者です。今日は林真理子センセイとの対談「過剰な二人」(講談社文庫)に基づいて、見城氏の来し方を振り返ってみましょう。

血尿が出るほどの“圧倒的努力”で、角川春樹氏の信頼を勝ち得た

見城氏と言うと、KADOKAWAや幻冬舎というイメージが強いでしょうが、実は新卒で入ったのはビジネス書や実用書を違う出版社でした。文芸系の出版社に移りたいと思っていたところ、当時の角川書店の社長・角川春樹氏に会うことがあり、「角川書店に入れてください」とお願いするも「それは無理」と断られてしまいます。普通の人なら、ここであきらめるでしょう。しかし、見城氏は「明日、俺について淡路島に来ないか?」という春樹氏の提案を受け入れ、カバン持ちとして出向きます。

春樹氏は「魏志倭人伝」の記述通り、釜山から博多までかんなやノミさえ使わずに作られた船で移動する計画を立てており、見城氏は航海の許可を海上保安庁に出願したりと、およそ編集者とは思えない仕事に東奔西走させられることになります。しかし、春樹氏に信頼してもらうためには、ここで結果を出すしかない。血尿が出るほどの“圧倒的努力”の結果、見城氏は「これからはうちで社員として働いてくれないか?」と認めてもらうまでになります。

売れっ子・五木寛之センセイにせっせと手紙を書き、17通目でよやく返事が

たいていの人は、希望する会社に入れば、先輩の言うことを聞いて仕事をするでしょう。しかし、見城氏は文芸部門が弱いため「角川では書かない」と公言していた売れっ子に書いてもらうことを目標とします。ターゲットは五木寛之センセイ。連載はもちろん、小さなエッセイや対談など、センセイの名前がつくものは必ず読み、5日以内に手紙を書いて速達で出したそうです。

センセイ自身が気付いていないセンセイの魅力を編集者として見つけたいと、せっせと手紙を書き、17通目にしてようやくハガキで「いつもよく読んでくれて、ありがとう。いつか、お会いしましょう」と返事が来たそうです。

時代を代表する才能と出会い、付き合い、世に送り出す

見城氏の上司、春樹氏も多いなる才能の持ち主です。彼は角川書店を日本を代表する出版社に育て上げるため、小説の映画化とメディアミックスで売ることを思い立ちます。映画を作るのは、お金が途方もなくかかるといいますが、プランを考えるのは春樹氏で、詳細を詰めるのは見城氏。ここでも“圧倒的努力”をして、プロジェクトを成功に導いていきます。

見城氏の仕事術を見ていると、「恋するように働く」のだと思わされます。ここで言う恋とは交際していたとか、肉体関係があったという意味ではありません。春樹氏に限らず、この人ならばと見込んだ、時代を代表する才能の持ち主と出会い、その人たちのために母のように秘書のように働き、その才能を開花させて、世に送り出していきます。彼らと付き合いながら、編集者としての目算も忘れないのが、見城氏のすごいところ。仕事へのモチベーションが落ちないのは「惚れているから」なのでしょう。

見城徹の名言「これほどの努力を人は運と言う。」

見城氏は実業家としても、成功しています。出版界がすでに勢いをなくした時代の起業でしたが、石原慎太郎、村上龍、山田詠美、吉本ばなななど、見城氏と親しい有名作家の文芸書を一気に発売。彼らほどの売れっ子なら、先行きのわからない出版社で書く必要はない。にも関わらず、原稿を渡したところに、見城氏への信頼が垣間見える気がします。

そんな見城氏は成功の秘訣を「運が良かった」と言われることもあるそうで、「確かに運もある」と納得しつつも、「これほどの努力を人は運と言う」と書いており、単なる運で片づけられることには納得していないご様子。確かに、人と付き合うというのは手間がかかるものですし、ましてや天才と呼ばれる人というのは往々にして面倒くさいもの。見城氏は“圧倒的努力”と言いますが、私に言わせると、こういう人と付き合えること自体、努力というより稀有な才能なのだと思います。

もう一つ、「これほどの努力を人は運と言う」発言が含蓄深いのは、人は他人の上辺の成果しか見ようとしないことを言い当てているからではないでしょうか。他人がラクして成功しているように見えたら、注意したほうがいいのかもしれません。