これまでのお話はこちら

「部下は上司の考えを察して動くべき」「教えなくても周りを観察して学ぶべき」……。具体的なことを言わずとも要求を察して仕事をすることが求められ、それができなければ「言われないとできない」「主体性がない」などと不当に評価が下げられがちな風潮もあります。

締切を指定せず「早めにやっておいて」とだけ伝えたり、問題点を明らかにせず「ダサいから作り直して」と要求したりするなど曖昧な指示を投げつけられるような出来事や、チームの中の誰かが動くのを待っているような姿勢でいられるようなことも、対応する側や周囲の人々には大きなストレスとなるものですよね。

言われていないことを多く「察する」ことのできる人がいることで、手間のないやりとりが成立し生産性が向上することもあります。ただ、それはあくまで付き合いが長く仕事上のやりとりの文脈が共有されている場合であったり、互いに担当している分野の経験が高いレベルで蓄積されていたりするといった特別な状況で成立するものであり、どんな人にもそのようなやりとりを求めるのは無理があるでしょう。

「言われなくても察する」ことに頼ったコミュニケーションは、認識違いによるミスの発生などのリスクを常にはらんでおり、正確な仕事をするうえで適した方法とは言えないのではないでしょうか。

「この人に頼むならどんな結果になっても文句はない」というような文脈でなければ、具体性のない指示を出すだけで「あとは察して動け」というのは仕事を振る側の責任を放棄しており、「自分は責任を負わない・果たさないが、あなたは私にとって都合の良いように振る舞え」と甘えているととらえられても仕方がありません。

もしそうした相手の言外の要求を察することができたとしても、曖昧なコミュニケーションから自分や仕事を守るためならば、その通りに動いて「何も詳しいことを言わなくても人が都合良く動いた」という成功体験を易々と相手に与えるべきかどうかは疑問です。

一方で、指示を受ける側も受ける側で「何も言わなくても教えてくれるでしょう」という姿勢でいたのでは、相手と同じことをしてしまっていることになります。忙しさのあまり詳しい指示が出せなかったり、伝えるべきことを忘れていたりというケースもあるでしょう。必要な情報が不足していたりわからないことがあったりすれば、それをしっかりと伝え認識をすり合わせていくことが 「察する」ことに頼るよりは正確な仕事への近道となるはずです。