明治維新以降、約100年間にわたって四日市の経済は工業化によって発展を遂げてきた。戦後、GHQによって石油関連産業が統制を受けたあおりもあり、四日市の工業化は一時的に停滞を余儀なくされる。それでも、戦後復興とともに段階的に規制は緩和された。
1955年には、海軍燃料廠の跡地が民間へと払い下げられ、その跡地および近隣には石油産業が立ち並んでいく。石油を中心とした重化学路線は四日市の発展に寄与したが、その一方で大気汚染・水質汚染という公害を引き起こした。これによって、工場が多く立地する四日市駅周辺と臨海部は人が住みにくいエリアへと変貌する。
そうした大気汚染・水質汚染とともに、四日市に大きな変化をもたらしたのが、近鉄四日市駅の移設だった。開業以来、四日市駅は街の中心としてにぎわいを牽引してきた。
ところが国鉄の四日市駅と並ぶように立っていた近鉄の四日市駅が、1956年に移設。約1.2km西側に新しい駅舎が誕生したことで、国鉄と近鉄の四日市駅が離れることになった。四日市の人の流れは、これを機に少しずつ変わっていく。
現在、四日市駅の北側には諏訪新道と呼ばれる東西に延びる道路があり、その諏訪新道には昭和30年代から商店街が形成されていた。諏訪新道は四日市駅と現在は廃止されている近鉄の諏訪町駅とを結ぶ線路跡で、線路の跡地は道路へと転用される。そして、その道路に商店街がつくられた。新しく誕生した商店街には、四日市市民が多く足を運ぶ。そして、四日市市民のみならず近隣からも買い物客が訪れて活況を呈した。
国内の自家用車普及率が50%を超えるのは1978年で、それまで多くの人がバスや自転車・徒歩で外出していた。四日市でも多くの人が自転車や徒歩、近隣の住民は電車やバスで四日市へとお出かけするのが一般的な休日の過ごし方で、国鉄の四日市駅と近鉄の四日市駅の間に所在する諏訪新道の商店街がにぎわう。諏訪新道の商店街は1985年頃まで人出が絶えなかった
特に国鉄の四日市駅と近鉄の四日市駅の間には、娯楽の王様としてもてはやされた映画館が多く軒を連ねる。1893年から営業していた老舗の弥生館・ぼたん劇場、1931年に泗水キネマとして創業し1941年に改称した四日市映画劇場、そのほか、四日市東映、四日市東宝、松竹映画劇場、三重劇場、四日市シネマ・四日市グランドなどがあった。
いまやショッピングモールとして不動の座を築くイオンは、その前身でもある岡田屋が四日市で産声をあげた。岡田屋も諏訪新道に店を構え、その後に近鉄四日市駅側へと拡張移転している。移設した近鉄四日市駅は、それまでとは比べものにならない大きな駅舎へと建て替えられた。駅にはレストラン・スーパーマーケットといった商業施設が併設されたほか、屋上には観覧車をはじめとする遊具が揃えられ、ミニ遊園地として人気を博していく。
また、諏訪新道の近くに鎮座する諏訪神社に併設して公園が整備された。園内には飛行塔や動物を飼育するゲージなどが設置されてレジャースポットとなり、多くの家族連れでにぎわった。重化学工業で発展してきた来歴を有しながらも、昭和40年代以降の四日市は少しずつ商業都市、そしてベッドタウンとしても趣を強めていく。
そうした街の変化は、動線の変化によるところも大きい。1964年には、三重交通が三重電気鉄道を設立。それに伴って、三重電鉄は湯の山線の軌間を762mmから近鉄と同じ1435mmへと改軌した。これで近鉄の電車が湯の山線へと乗り入れるようになる。
さらに、翌年には近鉄が三重電鉄を合併。内部線・八王子線・湯の山線は近鉄の路線となり、四日市駅は一大ターミナルへと発展を遂げていった。近鉄四日市駅が巨大化していくのと歩調を合わせるように、市街地のにぎわいも近鉄側へと移っていく。それまで四日市の繁華街は国鉄と近鉄の駅の間とされてきたが、それも高架化工事が完了した1974年以降には近鉄の駅周辺へと移っていった。
繁華街の中心軸が西へと移る中、1996年に市民公園の隣接地に四日市市環境学習センターがオープン。四日市公害の記録を後世に伝えるべく資料館などの建設を働きかけてきた市民運動が実り、2015年には四日市公害と環境未来館へ発展的にリニューアルされた。同館は、四日市の公害を後世に語り継ぐ役割を果たしている。
高度経済成長期以降、四日市市は周辺市町村と合併することなく独自に発展を遂げてきたが、2005年に楠町と合併。人口が増え、さらに市域も広がった。三重県内では人口30万人超の四日市市だが、近年は郊外化が進んでいる。四日市駅はもとより近鉄四日市駅の周辺も、往時のにぎわいは見られない。
沿線人口の減少なども相まって、内部線・八王子線の利用者低迷が続いた。鉄道網を維持するべく、近鉄は2路線の経営を分離。2015年より、四日市市が出資する四日市あすなろう鉄道として再出発している。
四日市市は県都・津市を上回る人口を擁するが、重化学路線から主要産業を転換してきたこともあって新たな成長分野を模索している。四日市の周辺は萬古焼の生産が盛んなことから、また三重県はお茶の生産量が全国3位であることから、地場産品の萬古焼と伊勢茶の振興に力を入れる。新しい産業を掘り起こしながら、名古屋から近い強味を活かしてベッドタウンとしての発展も期待されている。