独立・開業には勇気がいります。そして人それぞれの理由があります。もちろん稼ぐことを目的に開業する人もいるでしょう。しかし、それ以上に「思い」を持ってビジネスに取り組まれている人が大勢おられます。ここではそんな人々にスポットを当てて、独立・開業への思いや、新しい人生の価値観などを伺っていきます。

第5回は、離島を除くと日本で一番人口が少ないと言われる、奈良県吉野郡の野迫川村で「昭和食堂」と民宿「雲海の里の宿」を営む泉本勝代さんにお話を伺いました。

  • 泉本勝代さん

父のふるさとへ千葉から移住

――吉野郡野迫川村は、離島と福島の離村を除けば、日本一人口が少ない自治体と伺いました。千葉から移られたということですが、なぜ野迫川なのでしょう?

泉本さん:千葉から野迫川に移ったのは、実は2回目の離婚がきっかけなんです(笑)。野迫川村は父が生まれ育った村でして。単純に私が好きな淹れたてのコーヒーが飲めるお店があればいいなぁと思ったのが、開業のきっかけでした。

――でも、それほど人が少ない場所でお店を開かれて、軌道に乗るまでのご苦労などはなかったのでしょうか。

泉本さん:もともとはお料理教室の形式でスタートしたのです。それがやがて食堂に進化していくのですが、一番印象に残っているのは『違法営業じゃないのか』とクレームをいただいたことですね。

もちろん営業許可は取得していましたので違法ではないのですが、元がお料理教室であったことと、当初は路上にテーブルを置いて営業をしていたことがクレームの原因だったようです。でも保健所の方が「小さな村で頑張っているので何とか応援したかった」と、クレームを見越して許可を出してくださっていて、とてもありがたかったです。

  • 路上にテーブルを置いてのスタートだった

少しずつ進化する食堂の始まりは路上

――なんと、ありがたい対応ですね。それにしても路上にテーブルとは、まさに手作りのスタートだったのですね。

泉本さん:はい、やがてガレージを改装してその中での飲食、その後は屋内へと進化していきました。こんな限界集落でも村外からたくさんの方が来店してくれたのは、テレビ・新聞・雑誌など、たくさんの媒体で取り上げてくださったからだと思っています。宣伝広告費がゼロにもかかわらず、食堂を開いてから今年で7年目になり、感謝しております。

  • ガレージの中での飲食、その後屋内へと進化していった

――7年は素晴らしいですね。取材されることも凄いと思うのですが、その理由のひとつに『雲海』があるとお聞きしました。この辺りは1年を通して雲海を見ることができる素敵なスポットだそうですね。

泉本さん:ええ、条件さえ整えば、春夏秋冬『雲海』を見ることができます。それを目的に来られる方も多いですね。あと、やはり食堂の存在に気づいていただけるよう、沿道にメニュー名を書いた簡易看板を設置していることも効果があるのだと思います。山道に不自然な『シフォンケーキ』に始まり、『鹿カレー』や『雲海丼』など……次々に見えてくるメニューの看板が気になってお越しくださるお客様も多いんですよ(笑)。

  • 気になるメニューや看板が目をひく

  • ネット非公開の雲海丼

新たな夢はマダガスカル島

――それは確かに気になります(笑)。なるほど、人口の少ない村の食堂は、いろいろな工夫の上に成り立っているということですね。ちなみに今後の展望などありましたらお聞かせください。

泉本さん:そうですね、今後は全ての事業をどなたかに委託し、マダガスカル島で又同じようにお料理教室から始めて、日本食堂をオープンするのが夢です。ちなみにマダガスカル島を選ぶ理由は、中学校の頃からバオバブの木をいつか見たいと思っていたためです。このコロナの状況下で、これからも何が起こるかわかりませんので、いろいろ考えて、やりたいことをやろう! とますます思ったのです。この村でのことが全てではなく、マダガスカルを次の目標にして今を頑張って乗り切ろうと思っています。

――まさかのマダガスカル島に驚きました。ぜひ叶えていただきたいです。では最後に読者の皆様に何かメッセージをお願い致します。

泉本さん:好きなことは今の時代、仕事にできるし、確実な収入源になります。理由は好きであれば続けることができるから! そして、私のように資金がなくても、取り敢えずできることからスタートすることをお勧めします。その後、次にしたいことが増えていけば、資金はクラウドファンディングや国の補助金を活用して事業を少しずつ大きくしていくことで無理なく収入になります。なので、まずは見切り発車でGO~! ですね(笑)。

  • 昭和食堂外観