2012年12月、私は就職留年をすることに決めました。

「就職留年」、最近では昔よりもよく聞かれるようになった言葉でしょうか。実際に、私の大学の先輩でも、就職留年をして内定をもらったという体験談を何人か聞いたことがあります。でも、それらは全て男性の話でした。差別をするつもりはありませんが、やっぱり女性で、留年してまで就活を続けるというのは、自分の中でなかなかにリスキーな決断でした。では、なぜそこまでして就活を続けようと思ったのか。私にとって就職活動とはどういうものだったのか。そんなことを書いてみようと思います。ちなみに、私は別に就職留年を勧めているわけではありません。もちろん1年目で行きたい会社から内定をもらえるように努力するのがベストですよ! ただ、こういう就活生もいるんだ、くらいに思ってもらえると嬉しいです。

東京に憧れた田舎のミーハー女子

まず、簡単な自己紹介から。平成元年、私は九州の田舎で産声をあげました。何の変哲もない平凡な女の子だった私ですが、人よりもほんの少しミーハーなところがありました。物心ついたときからマンガや小説、テレビドラマなどに多く触れ、中学生の頃から漠然と「将来はマスコミ関係の仕事がしたい。そのためには東京に出なければ。ここは私がとどまるべき場所ではない。私はもっとビッグになる女!!!」と、かなり厨二病を患った思考を持つようになりました。その気持ちは高校3年間でも変わらず、むしろもっと加速してゆき、東京の大学だけに絞って大学受験をしました。しかし、結果は惨敗。自分の力を過信しすぎていたのでしょう、浪人を余儀なくされてしまいました。一年の浪人の甲斐(かい)あって、翌年無事に第一志望の大学に合格。2009年の春、ついに憧れの東京進出を果たすことになります。

憧れの街・東京! しかし就職活動で…

東京でいろいろと考えた結果、大学3年生のときにはマスコミの中でも特に出版社に勤めたいと思うようになりました。しかしここでまた私の悪い癖、「過信」が顔を出します。大学3年生の私はなぜか自信満々で、「幼い頃からあんなに行きたかった業界なのだから、絶対どこかからは内定をもらえる」とタカをくくり、ただでさえ倍率が高いと言われている上に出版不況で採用人数も減っているこのご時勢に、出版社のみに絞って就職活動を始めたのです。しかし、結果は惨敗。どこからも内定をいただくことができませんでした。このときばかりは、浪人したとき以上に落ち込みました。地元の友人の中には、高校を卒業してすぐ働き出した人も、結婚して子供がいる人もいる。大学の友人もみな進路が決まっている。自分だけが周囲から取り残されてしまったような気持ちになりました。大学受験のときも過信で失敗しているのに馬鹿か、学習しないのか、と自分にあきれ返りもしました。

いよいよ2013卒の採用情報も減ってきた11月末、私は部屋で布団にくるまり内定のないまま卒業し実家に帰る自分を想像していました。「私はビッグになる!!!」と勢い勇んで出てきた東京で、思い通りの未来を描けなかったことがとても悔しかった。やっぱり自分は平凡な人間なんだ、と寝返りを打ったとき、目に飛び込んできたのは、マンガや雑誌の山でした。試しにそれらを手にとって読んでみると、やっぱりすごく面白く、読んでいる間だけは暗い気持ちを忘れることができました。そして、やっぱり私は出版社に入りたい、もう1年就活をしたい、と思いました。

そんな私に両親は「留年したいならしてもいい。大学院に進んだと思えば一浪一留にかかったお金も無駄じゃなかったと思えるし」と言ってくれました。母親に至っては、「いざというときのために取っておいたの」とへそくりを出してくれました。へそくりがあったことなんてもちろん知らなかったし、まだ下に弟もいるのにそんな大事なお金を私に使ってくれることに感謝してもしきれませんでした。両親の優しさを無駄にしないためにも、何としてでも就活を成功させなければ、と決意を新たにしました。

そして、2年目の就活に向けて私はひとつ目標を決めました。それは「とにかく面接で素を出す」ということ。背水の陣です、怖いものなんて何もありませんでした。もちろん、2度目は絶対に失敗できないというプレッシャーもありました。真夜中、ひとりで部屋にいると急に不安になってきて「もしこれで駄目だったら両親に死んで詫(わ)びるしかない…」と半ば本気で切腹の仕方をググってみたりもしました。でもやっぱり、「自分らしくノビノビやる」という気持ちの方が勝りました。大学の同期でマスコミ系の会社から内定をもらった友人が、みな一様に「面接では素を出すのが大事!」と言っていたからです。私はその友人たちをとても尊敬し信頼していたので、やっぱりキーポイントは「素の自分」なのだ、と思いました。そして、私の「素」って何だろう…と改めて考えたときに思いついたのが「アイドル」の存在だったのです。

私の個性は「アイドルヲタ」!?

私が初めてアイドルと出会ったのは小学校高学年のとき。テレビで『8時だJ』というバラエティ番組を見て、ジャニーズJr.の存在を知りました。その後、嵐やタッキー&翼、NEWSといったアイドルグループがJr.の中から羽ばたいてゆき、中でもNEWSが好きだった私は中学2年生のときにNEWSのコンサートでジャニーズコンサートデビューをします。それからはV6、Hey! Say! JUMP、Sexy Zoneと常にジャニーズアイドルが私の大部分を占めていました。

それと並行して、東京に来てからは女子アイドルにも興味を持つようになりました。平日の夜フラっと電機屋に足を運ぶと、かわいい女子アイドルたちが無料でライブをやっている。私が田舎にいたころは今話題の「ご当地アイドル」もそこまでメジャーな存在ではなかったので、これはかなりセンセーショナルな出来事でした。そんなこんなで、大学4年間で行ったアイドルの現場はゆうに200以上。使ったお金は……考えたくありません。「アイドル」は私の大部分を構成していたし、もはや私の個性は「アイドルヲタ」いや「アイドルDD」その一言で片付くのではないかというところまで来ていました。もう面接ではアイドルの話をするしかない! どうせ社会人になってもヲタ活動は続けるだろうし、だったら面接で全てをさらけ出しておいた方がいいに決まってる!!!

…こうして私は「アイドルDD」を武器に、2度目の就職活動に挑むことにしたのです。


<著者プロフィール>
ぽんず
都内の私立大学文学部に通い始めて5年目。一浪・一留・ジャニヲタという女として崖っぷちスペックの女子大生。中学生の時にデビューしたてのNEWSに一目惚れして以来、アイドルヲタ歴は約10年。現在はジャニーズ全般、また女子アイドルや若手俳優の現場にも年平均50~60回足を運ぶ。熱しやすく冷めやすく思い込みの激しい牡羊座のO型。

(イラスト:womi)