FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「米同時多発テロ事件と相場の動き」を解説します。
「セプテンバー・イレブン」、2001年9月11日の米同時多発テロ事件が起こるほんの数日前、私はあるFXの会社の企画した投資家との懇親会に参加していました。そこで1人の女性のお客様が、私にこんなふうにおっしゃったのです。
「先生は凄い円安になると予想して、『さよなら円高』という本も出しましたよね。ただ最近は円高になるとの予想に変わったのですか。それなら今度は『こんにちは円高』という新しい本を出されたらいいじゃないですか」。
(なるほど、この懇親会は僕が円高予想を言ったことに不満なお客様が、直接文句をいうという意味もあったのかもしれない)
そのように私は感じました。その上で、「相場は上がったり下がったりするものですから、目先少し円高になるリスクがあると言っているだけで、大きな円安の流れという予想を変えたわけではありません」と説明しました。
そして、懇親会終了後に笑顔で参加者一同記念撮影しました。ところが、その日から間もなく同時多発テロ事件が発生し、米ドル/円は急落、円高リスクがまさに現実になりました。すると、1米ドル=115円まで下落したところで、私の携帯に電話がかかってきたのです。
米ドルは115円で下げ止まり、130円へ向かった
電話の相手は、あの懇親会で「『こんにちは円高』という本も出しては」と、ちょっと嫌味な感じのことをおっしゃった女性でした。その方はこんなふうに聞いてきたのです。
「先生、私のチャートからすると、ここで米ドル/円は下げ止まると思うのですが、先生はどう思いますか?」
「僕もこれ以上はそんなに下がらないと思います。ただこれだけ荒っぽい値動きだから、ガッツ(勇気)がないと中々手を出しにくいでしょうね」
私がそう説明すると、電話の向こうの女性は「そうですか」と答えました。結果的に、同時多発テロ事件を受けた米ドル/円の急落は、115円で止まりました。そしてその後、上昇再開に向かっていったのです。
このように、「セプテンバー・イレブン」前後の米ドル/円が乱高下した局面で奇妙なやりとりをした女性は、その数年後「ミセス・ワタナベ」のモデルとなった方でした。
「ミセス・ワタナベ」、それは日本でFXがブームとなり、主婦でも積極的にFXの売買を行っていることを象徴的に示したネーミングでした。そして、「ミセス・ワタナベ」のモデルとなった人物こそが、この女性だったとされています。
さて、話を本題に戻します。ITバブル崩壊の主戦場、米ナスダック指数はこの「セプテンバー・イレブン」の頃にはどうなっていたのでしょうか。
米ナスダック指数は、2000年3月の5,000ポイント台から下落が始まりましたが、1年後の2001年3月に2,000ポイント割れ、そして同時多発テロのショックを受けて、2001年9月には1,500ポイント割れとなったのです。
株安局面が約1年半続く中で、すでに米ナスダック指数は、このテロ・ショックの頃までに最大7割もの下落となっていたのです。バブル崩壊とされた株暴落だけあって、凄い下落相場だったんですね。
しかし米国株の大暴落が続く中で、米ドル相場はむしろ上昇傾向が続いたのです。「セプテンバー・イレブン」での反落も1米ドル=115円で止まると、米ドル/円はやがて上昇再開へと向かいました。
そして、ITバブル崩壊局面では最後となる、また21世紀ではこれまでのところ(2020年5月現在)唯一となる1米ドル=130円を超える米ドル高・円安が始まるところとなったのです。それをもたらしたのは、すでに「アベノミクス編」で一度紹介した「あの話」だったのです。