FXの大相場の数々を目撃してきたマネックス証券、マネックス・ユニバーシティ FX学長の吉田恒氏がお届けする「そうだったのか! FX大相場の真実」。今回は「円高と日米秘密交渉」を解説します。
米クリントン政権が、ポスト冷戦での日米貿易不均衡是正のために求めた円高。しかし、金融市場なんていつまでもおとなしく言うことを聞くようなところではありません。間もなく、求めた以上の円高、米国の立場からすると「望まない米ドル安」になっていったのです。
さて、日本が望んでいなかった円高、それに加えて米国も「望まない米ドル安」となると、日米の利害は基本的に一致するので、日米交渉のテーブルにのる、米ドル/円はそんな状況となってきました。
「きっかけ」待ちだった超円高の反転
こういったことを受けて、いくつかの日米による「秘密交渉」が展開しました。たとえば、その一つは日本から米国に対して米ドル防衛策を求めるといったことでした。その交渉当事者から、私が直接聞いた説明は以下のようなことでした。
「1980年代前半に米ドル高・円安が問題になったことがありました。その時、米国側は日本に対して、円安阻止策、すなわち円防衛策を求めてきたのです。だったら、攻守逆転、今米ドル安が問題になっているわけだから、米ドル防衛策を検討するのが当然でしょう」
いかにも、前例をもとにアプローチする論理的な官僚的手法ですよね。官僚以外の人からすると、「それはそうだ」と思うのではないでしょうか(私もそうでした!!)。一方で、もう一人の日本政府からの「密使」は、それとはある意味真逆の、「恫喝外交」のようになったようです。
この「密使」は、自民党首脳からの「密書」を託されていました。その内容は、「米国が米ドル下落を止めるべく動く考えがないなら、日本は大量に保有している米ドル資産の処分に動くことも検討せざるをえない」というものでした。
私はその「密使」を務め、当時大手証券会社首脳だった方に直接質問したことがあるのですが、それに対していただいた回答が、むしろとても印象的でした。その「密使」は、「本当に日本は米ドルを売る気持ちがあったのですか?」といった私の質問に対して「いや」と答えたのです。
「政治家の方々の考え方とは別に、長く金融市場に関わってきた私からすると、こんなに大きく下がってきた米ドルが、果たしてあとどれだけ下がるのか。むしろ、こんなところで米ドルを売るのは、底値で売ることになりかねないと思っていた」
この当時、「超円高」といった金融市場の歴史的事態において、まだ若かりし私は、通貨外交に関わった複数のキーマンに直接アプローチし、貴重な証言の数々をお聞きしたのですが、その中で最も印象的な一言が、この大手証券会社首脳の言葉でした。
これまでもお話ししたように、米ドル危機とされた相場も、米ドル/円でいえば、5年MA(移動平均線)から3割以上も下回ると、やがて底入れとなり、5年MAから4割を大きく超えて下回ることはなかったのです。これは、相場の行き過ぎ、つまり物事には限度があるといった「真実」を教えているのではないでしょうか。
歴史に「if」はないので、意味はないかもしれません。しかし1995年4月、1米ドル=80円で「超円高」がピーク・アウトしたのは、歴史的事実として、米国が日本からのブラッフに怯え、米ドル防衛策をとったからではありませんでした。では、なぜ「超円高」は一巡したかといえば、米ドル安・円高が行き過ぎ圏に入り、止まる「きっかけ」待ちだったということではないでしょうか。
そして、そんな「きっかけ」、それも世界中の海千山千の投資家が「きっかけ」とすることに全く異論を差しはさむ気にならないような、いわば「千両役者」(濃いキャラ!?)といってもよい人物が登場しました。「ミスター円」と呼ばれた異色官僚が登場したのです。