モテるためには、「男ウケ」を意識して、見た目から行動までをうまいことやらねばならない、という、強迫観念に近い何かが私にはあります。「モテないから、これだけはやってはならない」と思うこともいくつかありますし、好きな服であっても「これは、男ウケは悪そうだから、デートとかでは絶対に着るまい」と思うこともあります。

しかし、私の友人で、私の思う「これをやったら男にモテない」というルールを軽々と飛び越え、モテている女性がいます。彼女はのびのびしていて、楽しそうですし、私のように、言動に変な制約をかけることもしていないように見えます。

「あんなふうに、思うままに行動して、気持ちのままに男性にアプローチできたらいいだろうな……」。彼女のことをうらやましいと思い、自分もいったいどうすれば彼女のようになれるのだろう、と思ったとき、ふと、彼女のiPhoneケースが思い浮かびました。

男ウケなどまったく気にしていないiPhoneケース……。私は思わず自分のiPhoneケースを見、自分のこだわりのiPhoneケース(伊勢丹限定販売、クラウス・ハーパニエミのイラスト付きケース)がかなり薄汚れていることを発見し、そこから「私も、まずiPhoneケースを買い替えよう」と考えて、iPhoneケースを検索し始めたら、それだけで夜が明けていました。

本音はいったいどこにある?

iPhoneケースを変えたぐらいでモテないことはわかっているのですが、たかがiPhoneケースを選ぶときでさえ、「モテそうなiPhoneケース」と「そうでないiPhoneケース」に頭の中でせせこましく分類している自分に嫌気が差し、「モテようがモテまいが、私は本当に好きなiPhoneケースを買うんだ!」と心に決めてみたものの、「高くてもいいからこれが絶対欲しい」というものは見つかりませんでした。

そのときふと、恐ろしい考えが頭をよぎったのです。「私は本当に、『自分は誰に何を言われようと、これが好き』と言える何かがあるんだろうか」と……。iPhoneケースのようなせこい部分で「モテ」を意識しても、あまり意味はありません。そもそも恋愛は、服や小物よりも、言動がものを言う世界だからです。どんなにいい服を着て、素敵に装っていようが、ぐっと来るアプローチができなければ意味がない、というのが私の個人的な感想です。

ならば、そういう細かい部分は気にせず、のびのび好きなようにやっていけばいいや、と思った瞬間、今度は「本音の自分」とはいったいなんなのか、よくわからなくなってしまったのです。結局、薄汚れたiPhoneケースを買い替えたい一心で、43円というかわいそうなお値段の超どうでもいいiPhoneケースを、「気に入ったものに出会うまでのつなぎ」として購入する始末です。

このように「どうしたらモテるのか」を考えるあまり、「もっと自分を偽って、モテ方面にシフトしたほうがいいのでは」「いや、偽っても続かないのだし、自分らしくイキイキとがんばったほうがいいのでは」などと考えているうちに、「本当の自分とはいったい何なのか」という、人生でもっとも難しい部類の命題にたどり着き、哲学者でもおいそれとは解けない難問と格闘するはめになる瞬間が、私にはあります。

けれど、そんなことは考えてもわからないのです。少なくとも私にはわかりませんし、それがわかったからといって、それでモテるようになるかというと、はなはだ疑問です。それよりは、モテるために偽装しようが、自分の好きなものを選ぼうが、「こういう服を着たら、デートで喜んでもらえるかも」「やっぱり私、こういう服似合うし好き~」と、自分自身が盛り上がって楽しめれば、どちらでもいいのではないかと思うのです。

偽装であろうと本音であろうと、その行為を「楽しんでいる」ことこそ、「自分らしさ」だと思ってもいいのではないでしょうか。

<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。

イラスト: 野出木彩