島根・松江「CAFFE VITA」(カフェ・ヴィータ)のオーナーバリスタ・門脇裕二さん最終回となる今回は、この連載の趣旨からは少々ずれてしまうが、バリスタを志した理由やこれまでの経歴を伺った。

父の姿を見て、兄弟共にコーヒーの世界へ

「CAFFE VITA」のオーナーバリスタ・門脇裕二さん。高校時代はヨット競技に熱中し、大学への推薦入学も決めていたのだとか。悩んだ末に高校卒業後、パティシエ修行の道に進んだ

前回紹介したスイーツ風ドリンク。一体何をヒントに考案したのか気になったので、質問をしてみた。「このドリンクに限らず、新メニューを考える時は、パティシエの修行経験も役立っていますね」。島根で育った門脇さんは、6年の間大阪のケーキ店でパティシエとしての研鑽を積んでいる。夜間は製菓学校にも通った。その後はチェーン系コーヒーショップで勤務、そしてイタリアに渡って本場のバールでも働いたとのことだった。

では、当初はパティシエ志望だったのだろうか。答えは違った。学生時代から漠然と「コーヒー屋をやりたい」という気持ちはあったそうだ。それは、門脇さんの父・美己さんの存在が大きく影響している。

美己さんは、島根・安来で自家焙煎のコーヒーショップ「サルビア珈琲」を営んでいる。門脇さんも兄の洋之さん(島根・安来「CAFE ROSSO」のオーナーバリスタ)も、そんな父の姿を見て育った。「自宅の一部分を店にしていて、店を通って家に入る構造になっていたんですよ。だから、毎日コーヒーを淹れる父の姿を見ていた。なので自然と私も兄もこの道に進んだのですが、もしかしたらそれは父の策略だったのかも」と笑う。

学生時代からコーヒーにたずさわる仕事をしたいと思うものの、当時、コーヒーがおいしい店はあっても、ケーキは添えもの的な存在。「コーヒーもケーキもおいしい! 」と思えるような店がなかったのだとか。それでまずは製菓の修行をしようと思い立ったのだそう。

料理書もヒントに

イタリアから帰国した後は、美己さんの店で働きながら、既に独立開業していた洋之さんの店でも手伝いをし、開店準備を進めていった。そして、25歳で独立。コーヒー豆は美己さんから仕入れるのではなく、自分で焙煎し、ブレンドしようと決めた。「自分の店だから、自分の味で勝負したかった」。

カウンターのタンパー写真。カウンターにはタンパー(エスプレッソマシンのホルダーにコーヒー粉を詰める際に使用)がずらりと並ぶ。門脇さんのオリジナルモデルもラッキーアイ クレマスから販売されている

自家焙煎の豆は店舗販売だけではなく、通信販売も。店で販売する際は、何種類かオススメを試飲してもらうよう心がけている

その後、門脇さんのコーヒーの世界は広がりを見せ、今ではパティシエ時代の経験だけではなく、「エル・ブジ」※1のレシピブックなど、料理からもインスピレーションを受けている。「バリスタがバリスタのみから影響を受けているのではよくない気がします。もっと先にいかないと」。そんなひたむきな向上心により、前編で紹介したように、数々のコンクールで入賞するなど優秀な成績を収めているのだろう。

※1「エル・ブジ(El Bulli)」
スペイン・バルセロナにある高級レストラン。イギリスの「レストランマガジン(Restaurant magazine)」誌が選ぶ2007年度「世界のレストラン・ベスト50」最優秀レストランにも輝いている。

「でもお客さんは、私の経歴なんて知らなくてもいいんです」。店に来る人には、おいしい一杯を提供するだけ。店名の「CAFFE VITA」はイタリア語で"コーヒーのある生活"を意味する。おいしいコーヒーがある日常。そんな毎日を人々に提供していくのが門脇さんの夢なのだ。

「CAFFE VITA」店内。店名は、イタリア語で"コーヒーのある生活"を指す