世に溢れる「働く女性」

「働く女性」という表現が、世の中に溢れている。他でもない、私が監修した女性向け手帳「ルボンダイアリー」(ナカバヤシ)のプレスリリースにも、「はたらく女性のための……」という文句が入っている。

実は昨年モデルまでのプレスリリースでは、「はたらく女性のための……」はタイトルに入っていたのだが、私はタイトルからは外してもらった。ちょっと時代にそぐわない感じがしたからだ。

  • 「働く女性」という表現は世の中に溢れている

女性は働いている

なぜ私がこの表現を気にしたのかというと、まず第一に、そもそも女性は働いているからだ。総務省「労働力調査」(2019年)によると15歳~64歳の女性の約7割が働いていて、中でも「働く女性」という言葉が使われるときにターゲットの中心となるであろう、25~54歳の女性に至ってはほぼ8割が働いている。

つまり、わざわざ「働く女性」という言葉を使う理由がいまいちわからないのだ。もちろん、この言葉にわかりやすいポジティブなイメージが付きまとっていることは分かるし、だからこそプレスリリースにも残したわけだが、考えてみると不思議な話ではある。

男性に置き換えるとよくわかる。男性向けの文房具に、「働く男の……」というコピーが入るだろうか? 「そんな当たり前のことを言われても……」という感じがしないだろうか。でも、大半の女性だって男性と同じように働いているのだ。

「当たり前」はコピーにならない

よく見ると、女性向けの文房具すべての「女性の……」というキャッチコピーがつくわけではない。たとえば、育児をする人に向けた手帳やノート。デザインから一目で女性向けとわかるものが大半だが、わざわざ「女性の」と言うことはない。

「働く女性」はキャッチコピーになるのに、「育児する女性」はならない。それは、「育児する女性」が「働く男性」と同じように、社会の「当たり前」に合っているからではないだろうか。つまり、男は働くものであり、女は育児をするものである、という「当たり前」だ(もちろん、自分の意志に基づいた性的分業には何の問題もない)。

女性を分断してはいないか

その観点では、「働く女性」がやや時代遅れであることは否めないだろう。しかし問題は他にもあると私は思う。

「働く女性」という言葉は、その裏に「働かない女性」を隠している。「女性」だけならすべての女性に当てはまるが、「働く」という言葉を付けたとたんに、働く女性と働かない女性に二分されるのだ。

するとそこに、微妙ないがみ合いが生まれはしないか。「私は(彼女は)働いているのに/働きたいのに/働くべきなのに」……などなど。

ちょっと待った。たしかに3割の女性は働いていないのかもしれないが、彼女たちは遊んでいるわけではない。家事や育児に忙殺されている女性がほとんどではないか。彼女たちだって、広義の「働く女性」には違いないのだ。

そして何よりも、「働く女性のための文房具」は「働いていない」女性にも役に立つ。家事にも育児にも、時間管理やスケジュール作りは必要だからだ。普通の意味での仕事よりも厳しい場合すらあるだろう。少なくとも、私が監修したルボンダイアリーは、ハラスメントやお子さんの健康状態の相談窓口の電話番号を記載するなど、すべての女性にとって役立つように作ってある。

「働く女性」という言葉は、働く女性が少なかった時代には、女性たちの選択肢を増やすことに貢献したに違いない。しかし、もしかすると、もう歴史的な役割を終えつつあるのではないか。私はそう思う。