連載『中東とエネルギー』では、日本エネルギー経済研究所 中東研究センターの研究員の方々が、日本がエネルギーの多くを依存している中東イスラム地域について、読者の方々にぜひ知っていただきたい同地域の基礎知識について解説します。
地域安全保障体制として生まれた湾岸協力会議(GCC)
中東の地域機構の一つに、湾岸協力会議がある。正式名称は「湾岸アラブ諸国の協力会議」(The Cooperation Council for the Arab States of the Gulf)であるが、通称GCC(Gulf Cooperation Council)と呼ばれる。ペルシア湾を取り巻くアラブ諸国のなかで、クウェート、サウジアラビア、バハレーン、カタル、アラブ首長国連邦(UAE)、オマーンの6カ国によって、1981年5月に設立された地域機構である。この6カ国はまとめてGCC諸国と呼ばれており、読者にとっても聞き覚えがあるかもしれない。
GCCが設立された1980年代、ペルシア湾岸地域は激動の時代を迎えていた。その前の1979年には、イランで王制が民衆によって倒されるイラン革命が発生し、勢いに乗ったイランは周辺国で抑圧されているシーア派市民や少数派への支援を軸とする「革命の輸出」を喧伝したのであった。1980年にイランに軍事進攻したイラクは、この脅威に対峙する「革命の防波堤」の役割を標榜した。1988年まで続いたイラン・イラク戦争は、その後1990年のイラクによるクウェート侵攻、そして1991年の湾岸戦争につながり、不安定な地域情勢が続いた。このような状況下で、湾岸の6カ国はGCCの設立を通じ、自らの安全を確保しようとしたのである。
GCC設立の背景と組織
GCCは加盟する6カ国が共通する基盤の上に成り立っている。まず、君主体制(王制・首長制)を敷いていることである。また、体制側の宗教(イスラーム教スンナ派。ただし、オマーンはイバード派)や言語(アラビア語)も共通しており、各国の歴史的な関係性も深い。GCCとは、国王たちが自国の安全保障の確保、ひいては君主体制の存続を目的にしたものでもある。
GCCの最高機関は、各国首脳が集まるGCC首脳会議(GCCサミット)である。首脳会議は毎年12月に開催され、GCC諸国を取り巻く国際・地域情勢や各国の関心を議論したり、事務局や委員会からの勧告が審議されたりする。本来は各国の国王が集まる場所であるが、国王自身の健康問題や外交的駆け引きから名代を派遣するケースも少なくない。これとは別に、5月にはGCC首脳諮問会議も開催される。
首脳会議の下には、定期的に開催されるGCC閣僚会議(外相会議)とGCC事務局が設置されている。また、内務・経済・労働・教育など各分野の担当大臣が集まる委員会もある。GCCの本部はサウジアラビアの首都リヤードに設置されており、各国政府から職員が派遣されている。GCCにおいて加盟国は平等であり、内政不干渉の原則や相互尊重の精神に基づいて運営されている。しかし、実際にはサウジアラビアの意向が長年強く反映されてきた。
EUのような広範囲にわたる統合を目指す
GCC設立の基本理念となる憲章では、あらゆる分野における統合・協力を通じた加盟国間の結束が謳われている。ヨーロッパ諸国が欧州連合(EU)の設立を通じて、市場や制度の統合を図ってきたように、GCCも加盟国間での議論や調整を通じさまざまな政策的課題に取り組んでいる。
代表的な例としては、1986年に創設された「半島の盾」(Peninsula Shield)と呼ばれる合同軍がある。各国からの兵力あわせて3~4万人で構成されており、加盟国の安全保障上の危機に際して出動している。1991年の湾岸戦争の際、「半島の盾」軍はクウェート解放作戦に参加したが、加盟国を外敵から防衛するという本来の目的を果たすことはできなかった。それから20年後の2011年、「半島の盾」軍はバハレーン政府の要請に応じ、「アラブの春」による混乱が広がりはじめた同国に展開した。「半島の盾軍」は、治安情勢の回復に貢献するとともに、GCC結集の象徴としてその存在感を示した。
また、最近では治安や人の移動の分野でも統合が進められている。現在、GCC諸国の国民はIDカードだけで自由に他の加盟国を訪問することができ、パスポートを持つ必要はない。ドバイやドーハを訪れたことのある読者のなかには、空港の出入国レーンの表示が「外国人」のほかに「GCC諸国民」というものがあることに気がついた方もいるだろう。
経済分野では2003年からGCC関税同盟が発足し、統一関税が導入された。また長らく統一通貨の導入も検討されているが、各国の通貨政策の違いや主導権争いから、UAEとオマーンが参加を見合わせている。このように、加盟国は必ずしも一枚岩ではないが、地域機構としてのGCCが各国の複雑な利害関係を調整している。
GCCは「中東王制クラブ」として再編されるのか?
2011年の「アラブの春」に際し、GCC諸国は君主体制崩壊の危機感を共有していた。それは、エジプトやリビアなど中東の強国が相次いで倒れたからである。サウジアラビアのアブドゥッラー国王(当時)はこの年、GCCは「協力の段階」から「統合の段階」へと進むべきであると呼び掛け、GCC諸国の結束を促した。また、2011年5月に開催されたGCC首脳諮問会議では、同じ君主体制のヨルダンとモロッコを招待し、両国の加盟に向けた議論が突然始まった。GCC諸国の危機感は、この時両国の支援のために設置された50億ドル規模の湾岸開発基金にあらわれていると言えよう。仮に両国のGCC加盟が実現すれば、地理的な名称が残る「湾岸」協力会議から、「中東王制協力会議」ないしは「中東王制クラブ」へと看板を掛け替えることになるのかもしれない。
また、GCC諸国と同じアラビア半島に位置するイエメンも、1996年からGCCへの加盟を希望している。実際、イエメンは2001年からGCCの教育・保健・労働など非政治的な委員会への出席が許されている。今日、武装勢力フーシー派によってイエメン内戦が激化するなかで、同国政府のGCCに対する期待が一段と高まっており、最近も再び加盟の意向が表明された。ただし、イエメンは非君主国であり、またテロ問題を抱えていたり、原加盟国との経済格差も著しい。そのため、ヨルダンやモロッコに比べると加盟へのハードルは一段と高いと言える。
<著者プロフィール>
堀拔功二(ほりぬき こうじ )
日本エネルギー経済研究所 中東研究センター研究員。立命館大学国際関係学部卒業後、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程に入学。2010年に(財)日本エネルギー経済研究所中東研究センターに入所。2011年に同大学院博士課程修了。博士(地域研究)。UAE・カタル・オマーンを中心とする湾岸諸国の政治・社会動向、および治安・安全保障問題が専門。最近の著作に「国際労働力移動のなかの湾岸アラブ諸国の位置づけ」(細田尚美[編]『湾岸アラブ諸国の移民労働者――「多外国人国家」の出現と生活実態』明石書店、2014年)、「カタル外交の戦略的可能性と脆弱性――『アラブの春』における外交政策を事例に――」(土屋一樹[編]『中東地域秩序の行方――「アラブの春」と中東諸国の対外政策』アジア経済研究所、2013年)などがある。