ザ・キラーズのブランドン・フラワーズが語るカントリー・アルバム、バンドの未来、「Mr. Brightside」の記憶

2024年のフジロックで圧巻のステージを見せたザ・キラーズ(The Killers)のブランドン・フラワーズ(Brandon Flowers)が、10年以上ぶりのソロ・アルバム『THRASHER』を完成させた。長年の盟友ショーン・エヴェレットとジョナサン・ラドーをプロデューサーに迎え、ナッシュビルで制作された本作の制作背景から、ザ・キラーズとしての次作の行方まで、現在地をじっくりと語る。

ブランドン・フラワーズはふと物思いにふけると、「もうひとつの人生」をよく想像するという。そこでの彼はザ・キラーズを結成せず、「Mr. Brightside」も書かず、この四半世紀を世界最大級のバンドのひとつのフロントマンとして過ごしてもいない。

「昔の僕の目標は、(ラスベガスの高級ホテル)ベラージオかウィンでバレー・パーキングの係員になることだったんだ」と彼は言う。「自分の前には、そういう道が敷かれていると思っていた。今45歳になって、腰も痛いし膝も痛いから、一日中走り回って車を追いかけるような生活をしていたら、いったいどうなっていただろうって考えずにはいられないんだ」

「こんなことを言ったら、みんなにボロクソに言われるだろうけど」と彼は言い、一瞬間を置いてから、その考えを最後まで口にする。「でも、たとえば整備士なんかを見かけると、僕の中のどこかに……そういう人生をロマンチックに捉えて、憧れてしまう部分があるんだ。自分もそういう人生を送りたいと思っている部分がある」

だからといって、ザ・キラーズを解散し、車を停めたり修理したりして生計を立てようとしているわけではない。だが、ザ・キラーズ以外では11年ぶりとなる新たなソロ・アルバム『THRASHER』では、実の兄弟を含め、彼にとって非常に身近な人々と、彼らが長年にわたって歩んできた困難な人生に光が当てられている。ほんの少し違う世界線に生まれていれば、ブランドン自身も容易に歩んでいたかもしれない道だ。

ブランドンは、長年タッグを組んできたプロデューサーのジョナサン・ラドーとショーン・エヴェレットとともに、ナッシュビルでこのアルバムをレコーディングした。現代的なカントリー・アルバムとはそれほど似ていないかもしれないが、多くの楽曲にはジョージ・ジョーンズやウェイロン・ジェニングスといったカントリー界の巨匠を思わせるムードが漂っている。

「僕がカントリーに少し足を踏み入れるかもしれないと聞いて、みんな最悪のものを想像したんじゃないかな」と彼は言う。「モーガン・ウォレンみたいな曲を書くんだろうとか、そういうふうに思ったみたいだ」

ブランドンは『THRASHER』を引っ提げ、8月28日のソルトレイクシティ公演を皮切りにツアーを行う。また、この作品と対になるソロ・アルバムも来年リリースされる予定だ。その一方で、ザ・キラーズも新作アルバムの制作を進めており、9月26日にはカリフォルニア州サンタモニカで開催されるOcean Way Festivalへの単発出演も控えている。

今、ブランドンはロウアー・マンハッタンにあるトレンディなホテルの、人目につきにくいレストランのテーブルに座っている。ランチタイムだが、彼が注文したのは一杯のブラックコーヒーだけ。このあと1時間にわたって『THRASHER』、すでに完成している次作、ソロ・ツアー、ザ・キラーズの未来、ギタリストのデイヴ・キューニングとベーシストのマーク・ストーマーの現在の立ち位置、そして「Mr. Brightside」が今なお驚異的な生命力を保ち続けていることについて話を聞いた。

ザ・キラーズとソロ、その狭間で

―2010年に初めてソロ・アルバムを作ったとき、それはバンドが休みたがっていたからだったのでしょうか? それとも、ザ・キラーズには少し合わないと感じる音楽をやりたかったからですか?

ブランドン:100%、バンドが休みたがっていたからだよ。あのとき初めて「hiatus(活動休止)」って言葉を耳にしたんだ。周りでもその言葉が飛び交うようになっていた。なんだか深刻そうには聞こえたけど、解散するとは思っていなかった。ただ、「なるほど、これだけツアーを続けていたら、バンドにも負担が出始めるよな」とはわかっていた。あれだけの勢いで世界に自分たちを知ってもらおうとすると、それくらいツアーをやる必要があるからね。

でも僕はほかのメンバーより5歳くらい若くて、自分の中ではまだ……とにかく創作意欲が燃えていて、まだまだ進み続けたかった。だから、その勢いを止めたくなかったんだ。

―その経験はいかがでしたか? ファンにとって、バンドを離れて活動するボーカリストを受け入れるのは難しいことも多いですよね。ミック・ジャガーほど有名な人でさえ、ソロでは苦戦しました。

ブランドン:そこはあまり気にしていなかった。僕は本当にただ、自分の技術を磨いていたんだし、その延長線上にあるものとして捉えていた。あれからこんなに時間が経ったなんて信じられないけど、僕にとってはすごく実りの多い時期だった。

ブレンダン・オブライエンとも仕事ができたし、ダニエル・ラノワ、スチュアート・プライスとも一緒にやれた。面白い組み合わせだったよ。まさに陰と陽だよね。スチュアート・プライスとダニエル・ラノワなんて、本当にすごい組み合わせだ。それから最後の数曲をブレンダン・オブライエンと仕上げたんだけど、彼にはとても感銘を受けた。当時はもちろん、その少し前に[ブルース・スプリングスティーンの]『The Rising』を手がけていて、引く手あまたのプロデューサーだったからね。

とにかくすごく楽しかったし、それらのプロデューサーたちからたくさん学んだ。今でも懐かしく振り返る時期だし、[シングルの]「Crossfire」についてもそう思う。あれはザ・キラーズでやっていたら、もっと大きな曲になっていたはずだ。それだけが唯一の心残りだね。

―当時はソロ・ツアーも行いました。ほかのメンバーがいない状態で初めてステージに立ったときは、どんな感覚でしたか?

ブランドン:そもそもステージに立つこと自体、ある種の無防備さを伴うものなんだ。でも、いつもの仲間たちがいなくなると、本当に自分ひとりが矢面に立っているような感覚があった。曲のタイプも違っていた。そこまでフィジカルな曲ではなかったし、熱量もそれほど高くなかった。でも、そこにはそれならではの美しさがあった。

もっとスローな曲だったから、観客とその場を共有しながら、じっくり曲を届けるとはどういうことなのかを体感しなければならなかった。それは興味深い経験だったね。

―この10年間は、すべての活動をザ・キラーズとして行ってきました。バンドを前に進めるために、必ずしも4人全員が常に揃っている必要はないと、やがて気づいたのでしょうか?

ブランドン:そうだね。グループの中で、うまく機能する形を見つけられたんだと思う。そうすれば、アルバムとアルバムの間に長い休止期間を置く必要もなさそうだった。そしてその後、僕は少し不思議な場所にたどり着いた。『Pressure Machine』(キラーズの2021年作)を作り上げて、僕自身が変わったんだ。

―どう変わったのでしょうか?

ブランドン:あんなものを書いたことは、それまで一度もなかった。僕たちは大きな成功を収めてきたし、いわゆる「ユニコーンが部屋に入ってくる」ような、雷に打たれるような魔法の瞬間も経験してきた。それは素晴らしいことだよ。

でも『Pressure Machine』は、とにかくそれまでとは違った。僕にとって、創作の熱が静かに煮え続けているような時期で、そこから離れたくなかったんだ。

―あのアルバムを初めて聴いたときは衝撃を受けました。あまりにも大胆な方向転換だったし、とても映画的でもあった。でも同時に、「これをどうやってツアーで演奏するんだ?」とも思いました。

ブランドン:そうなんだ。無理なんだよ。

―ブルースも『Nebraska』ではツアーをやろうとすらしませんでした。

ブランドン:知ってる。彼は僕より賢いよ。僕はこの曲のいくつかならライブでもうまくいくんじゃないかと期待していたからね。でも、大きな会場で演奏するための音楽じゃないんだ。

―もどかしくありませんでしたか? マディソン・スクエア・ガーデンを何公演もソールドアウトできる一方で、素晴らしい新曲が揃っているのに、実際にライブで披露できるのは1、2曲程度しかない。

ブランドン:そうだね。間違いなくジレンマだよ。僕はもっと多くの人にこの作品のことを知ってほしいし、ザ・キラーズをライトに聴いているファンの中には、『Pressure Machine』が存在することすら知らない人がまだいるかもしれないからね。

―小さな会場を押さえて、このアルバムを演奏することは考えませんでしたか?

ブランドン:考えてるよ。[ドラマーの]ロニー[・ヴァヌッチ]ともその話はしているし、本当にやるべきだと思う。

―ビーコン・シアターをはじめ、素晴らしい劇場をいくつも回れますよね。アルバムを最初から最後まで通して演奏する公演にもできる。

ブランドン:いいアイデアだね。ただ、実際にはこういう流れになったんだ。コロナ禍のあと、みんなでコンサートを体験することへの鬱積していた欲求が一気に噴き出した。だから2022年、2023年はツアーをしていて、それがそのまま『Hot Fuss』とバンドの20周年にぶつかった。それで[コンピレーション・アルバムの]『Rebel Diamonds』があって、次にラスベガスでのレジデンシー公演があった。そして2025年になり、まだライブもいくつかあるし、曲作りも進んでいる。そうしているうちに、なかなかその機会が巡ってこなかったんだ。でも、いつかやるよ。いつの日か、小さな劇場を回る『Pressure Machine』ツアーをやると思う。

―3年ほど前、自分は「危機(crisis)」の中にいると話して、多くのファンを不安にさせました。

ブランドン:そうだね。今なら「難しい局面(quandary)」って言うかな。

―詳しく聞かせてください。

ブランドン:まず、イギリスのメディアには多少センセーショナルに仕立てるところがある。別に秘密でも何でもないよね。それで、あるフォトシュートをやったんだ。すごくいい写真が撮れて、僕も何枚か見せてもらって満足していた。でも彼らは、その中からあまり出来のよくない一枚を選んで、僕の周りを真っ赤にしたんだ。

まあ、とにかく……少し話しづらいことではあるんだと思う。かなり個人的なことだから。でも、自分もそういう年齢に差しかかって、いろんなことが現実として迫ってくるようになったんだ。子供たちは家を出る準備をしている。父はもうすぐ82歳になる。母が亡くなってからかなり長い時間が経っているし、周りの人たちも少しずついなくなっていく。

今は、自分が何に目を向けるべきなのかも変わってきたし、僕たちがこの地球で過ごせる時間がどれほど短いのかも、以前とは違う形で理解するようになった。そのことで少ししんどい思いもしてきたというか、まだ完全には自分の中で受け止めきれていないんだ。

[新曲の]「An American Dream」では、エルヴィスに、すべてにそれだけの価値があったのかと問いかけている。でも僕自身、その答えはわからない。このレベルで、さらにあと25年間も同じことを続けるかと言われたら、わからないんだ。実際にそれをやっている人たちもいる。U2やローリング・ストーンズみたいにね。

―3年前には、ザ・キラーズの新曲「Your Side of Town」をリリースしました。

ブランドン:完全に過小評価されてるシンセポップ・ソングだね。

―同感です。でもその後、もうああいう曲を作り続けたいとは思わないとも話していました。

ブランドン:そうなんだ。これも結局、『Pressure Machine』に行き着く。進んでいける道はいくらでもあるし、僕はシンセポップという音楽も、その曲作りの技法も心から評価している。ああいう曲を作るのも楽しかった。でも、[『Pressure Machine』収録の]「In Another Life」みたいな曲ほど、深いところでは僕を満たしてくれなかったんだ。

―かなり特殊なジレンマですよね。ビリー・ジョエルのように、新しいことを何もしなくても、すでにあるヒット曲だけで延々とアリーナを回れるだけの曲があるわけですから。

ブランドン:そうだね。

―ほとんどのバンドなら、その状況を手に入れるために魂だって売るでしょう。でも、そうなると今度は「じゃあ次は何をする?」という問いが生まれる。

ブランドン:そうなんだ。難しいよ。やっぱり成長し続けたいという欲求があるんだと思う。それに今の僕は、その感覚がどういうものなのかを知ってしまった。

というか、また『Pressure Machine』の話に戻ってしまうんだけど、あのアルバムには一語たりとも場違いな言葉がない。だから今では、聴き手をごまかしているとき、少なくともごまかそうとしているときがどういうものなのかもわかってしまうんだ。バンドの初期には、かなりのことをごまかしたまま切り抜けられた。でも今はもう、ほとんど後戻りできない。血の味を覚えてしまったんだよ。その感覚を知ってしまった。いい作品だと批評家に言ってもらう必要はない。自分で、これはいいとわかるから。そんなふうに感じたことは、それまで一度もなかったんだ。

ナッシュビルとカントリーの記憶

―では『THRASHER』の話に移りましょう。子供の頃はどんなカントリー・ミュージックを聴いていましたか?

ブランドン:面白いんだけど、父は自分が聴いている音楽を「カントリー・ウェスタン」と呼んでいたんだ。ウェイロン・ジェニングス、ウィリー・ネルソン、マール・ハガード、ジョニー・キャッシュとかね。ジョン・コンリー(John Conlee)もよく聴いていた。みんなにもぜひ、ジョン・コンリーを何曲か聴いてみてほしいよ。父から聞かされていたのは、そういう音楽だった。

それから90年代になると、もっとメインストリームのカントリーも耳にするようになった。単純に僕がユタ州ニーファイに住んでいて、ラジオから流れてくるのがそういう音楽だったからね。昼食に出かける車の中で、みんながステレオから流していたのもそうだったし、学校のダンス・パーティーでもかかっていた。当時は気づいていなかったけど、僕はそういう音楽のストーリーテリングや曲作りの巧みさをちゃんと味わっていたんだと思う。ただ、自分自身は別の道を選んでいただけなんだ。

―これらがソロ用の曲になると最初からわかっていましたか? それとも一時は、『Pressure Machine』のようなザ・キラーズのアルバムになる可能性も考えていましたか?

ブランドン:『Pressure Machine』を書いた直後、その延長線上で始まったんだ。みんなをユタ州ニーファイに連れて行って、そこで曲を書くことが本当に楽しかったから、その感覚から離れたくなかった。「Tigers Blood」という曲があるんだけど、これは『Pressure Machine』の一部と言ってもいいくらい、その世界に近い。

曲が形になっていく中で、[プロデューサーの]ショーン・エヴェレットとジョナサン・ラドーがずっとナッシュビルへ行こうという話をしていた。そのアイデアを頭に植えつけられたことで、曲作りにも少し変化が起きたんだと思う。「もしナッシュビルへ行って、そこでバンドを集めるなら……」ってね。そこから曲たちが、少しずつその世界に合う姿へと形を変えていったんだ。

―そして、これはソロ・アルバムになると感じた?

ブランドン:そうだね。ザ・キラーズはもうしばらく4人全員が揃ってアルバムを作っていないから、[次のアルバムでは]もう一度それをやることがずっと目標だった。だから、もし『Pressure Machine』に似たアルバムをもう一枚作るのであれば、それはザ・キラーズの4人全員でやるべきものではないとわかっていたんだ。

―『THRASHER』のクレジットを見る前、ナッシュビルでカントリー・アルバムを作っていると聞いた時点では、てっきりカントリー畑のプロデューサーを起用しているんだと思っていました。でも実際は違いましたね。

ブランドン:そうなんだ。信頼しているチームと仕事をすることで、自分なりのコントロールをある程度保てる。それはいいやり方だと思った。ショーンはとにかく……彼にとっては、どんなジャンルを手がけているかなんて関係ないんだと思う。音楽そのものに対するものすごい情熱と敬意がある。ラドーも同じだ。だから、あの2人が僕の軸になってくれた。

―ナッシュビルの有名なカントリー・スタジオでレコーディングするのは、どんな体験でしたか? そういう環境に身を置くことで、この音楽に向き合うモードにも入りやすくなりました?

ブランドン:そうだと思う。正直、自分が何に飛び込もうとしているのかまったくわかっていなかった。向こうのミュージシャンたちが、どれほど高いレベルで演奏に取り組んでいるのかも知らなかったし、ナッシュビル・ナンバー・システムのことも知らなかった。とにかく……演奏能力の高さだよね。ミュージシャンシップに圧倒されたよ。

―チャーリー・マッコイとの仕事について教えてください。

ブランドン:今回参加してくれた中では、間違いなく僕の一番のお気に入りだよ。ある意味、このアルバムのスターだ。彼の演奏は信じられないほど素晴らしい。曲を録る前には毎回、僕のスマートフォンにある歌詞を一緒に最初から読んだんだ。彼は、僕が歌っている内容を自分の演奏で補強したり、僕が言おうとしていることを後押ししたり、あるいは彼なりの方法でそれを表現したいと思っていた。それを見て、「僕のバンドじゃ、そんなこと誰も聞いてこないぞ」って思ったよ。

―(ボブ・ディランの)『Blonde on Blonde』や『John Wesley Harding』に参加している彼が、今なお現役だというのは驚異的ですよね。

ブランドン:本当にね。すごいよ。レナード・コーエンや、サイモン&ガーファンクルとも一緒にやっている。信じられないよ。

―デヴィッド・ローリングスも参加していますね。

ブランドン:ギリアン・ウェルチの名前は知っていたし、[コーエン兄弟が2018年に手がけた映画]『バスターのバラード』なんかも大好きだった。でも、そういう作品に関わっているこの人がいったい何者なのかは知らなかったんだ。彼は音楽そのものを体現しているような人で、その感じがダニエル・ラノワをすごく思い出させた。

『THRASHER』収録曲をみずから解説

―では「Angel」の話に移りましょう。〈どれだけ遠くまで来たかなんて関係ない/どれだけうまくレースを走り抜いたかも関係ない/いつか真正面から向き合わなければならない/ずっと真実だとわかっていたことに〉と歌っています。

ブランドン:『Pressure Machine』と同じ流れにあるんだ。そこに生きる人たちを映画的に描くストーリーテリングだね。この曲は、具体的には義理の兄について書いたものなんだ。

面白いのは、『Pressure Machine』がニーファイという町そのものにかなり焦点を当てた作品だったのに対して、今回はそこからさらに踏み込んで、僕があの町で過ごしていた頃の、ごく身近な人たちについて書いていることなんだ。だから「Miss America」は僕の姉についての曲だし、「One of Us」は姉と義理の兄についての曲なんだ。

―「Does It Ever Cross Your Mind?」になると、アルバムは少し明るい方向へ向かいます。

ブランドン:あれは「In Another Life」のある一節に対する答えなんだ。「In Another Life」で僕は、〈僕は君が望んでいた男なのか、それともただ君と同じ町で育っただけの男なのか?〉と歌っている。

あの問いは、僕が気づいた限りでは、多くの男性ファンにとってあまりにも身近で、かなり心に刺さったみたいなんだ。みんな自分たちの関係について考え始めた。「妻が僕と一緒にいるのは、ただ近所で生まれ育ったからなんじゃないか?」ってね。別れようかと話している人たちまでいて、僕はそれを何とかしたかった。それで、人生をともに歩んでいける誰かのすぐそばに生まれたこと、その美しさについてこの曲を書いたんだ。

―「In a Heartbeat」にはどんな物語があるのでしょうか?

ブランドン:あれだけは、実話じゃないと思う。

―何から着想したのでしょう?

ブランドン:基本的にはクリス・クリストファーソンだね。自分なりに精いっぱいクリス・クリストファーソンをやっている。それと、トム・ウェイツが完全に”トム・ウェイツ”になる前の頃もちょっと思い出す。

―「Miss America」は胸が張り裂けるような曲です。何がきっかけで書いたのでしょうか?

ブランドン:僕の姉、シェリーのことなんだ。昔、ショッピングモールで開かれるビューティー・コンテストに出ていた。姉のエイプリルも一緒にね。家のアルバムにはその写真が残っている。普通の家族写真や学校の写真が並んでいて、その中にシェリーとエイプリルがコンテストのステージに立っている写真があるんだ。

シェリーは若い頃、ある男と付き合うようになった。彼との間に娘が3人できた。でも虐待のある関係だった。それで両親が引っ越したんだ。まあ、単にちょうどいいタイミングだっただけかもしれないけど、ユタ州ペイソンに移った。その距離が、彼女が逃げ出すにはちょうどよかったんだ。

この曲は、彼女が彼に宛てて書いた手紙という形になっている。彼が仕事から帰ってくると、彼女たちはもういなくなっているんだ。

―自分について曲を書かれたことを、彼女はどう感じていますか?

ブランドン:まあ、彼女はもうその男とは一緒にいない。僕より14歳年上だから、かなり年が離れているんだ。それくらい離れていると、ときどき叔母と甥みたいな関係に感じることもある。でもこの曲を書いたことで、彼女の気持ちにすごく共感したし、それまで感じたことのなかったような近さを姉に感じたんだ。

―「One of Us」は義理のお兄さんについて書いた、もっと温かい曲ですね。

ブランドン:そう。彼は数年前、突然亡くなったんだ。カナダ出身だった。冒頭で彼が僕たちとは違う存在だったことを示すために、〈真の北から来た、強く自由な人〉と歌っているところがすごく好きなんだ。カナダ国歌に出てくる言葉だよ。

それから、〈でもそんなことは僕たちには関係なかった/彼はいつだって僕たちの仲間だった〉と続く。彼はずっとそこにいてくれた。僕が6歳か7歳のときに姉と結婚したから、本当に僕の人生のほとんどずっと、彼はそこにいたんだ。

―「Paradise」はラスベガスのバレー・パーキング係についての曲ですね。

ブランドン:そう。僕のいとこなんだ。

―「Plans」もまた、若い頃の夢についての曲ですね。

ブランドン:かなり自伝的な曲だと思う。僕たちはみんな、自分自身にいろいろな約束をするものだよね。そしてある時点まで来ると、自分にした約束の多くを果たせなかったことに気づく。そのことには、少し物悲しさが伴うんだと思う。

だから僕は〈僕をその腕で抱きしめてくれ〉と歌っている。一見するとロマンチックな一節に聞こえるけど、実際には助けを求めているんだ。

―「Red Ground」は、自分の人生を受け入れることについての曲ですね。

ブランドン:そうだね。家に帰りたいという気持ちについての曲だ。ほかの曲よりもロマンチックというか、恋愛寄りなんだと思う。

僕には人生についての曲を集めたアルバムと、愛についての曲を集めたアルバムがある。こっちは人生についての曲を集めたほう。そしてそこにラブソングが1曲だけ紛れ込んだ。それが「Red Ground」なんだ。このアルバムにあまりにも自然に馴染んだからね。

―「Tigers Blood」はかなり暗い曲です。

ブランドン:僕があの小さな町に引っ越して、周囲から浮いた存在だったことについての曲だ。でも、そこで友達ができていった。

そして今は、さっき話していたような年齢になってきて、かつて一緒にトランポリンで飛び跳ねていた子たちの何人かが、今ではあの町の墓地に眠っている。だから、ある意味では、ただ彼らのことを思い出すための試みなんだ。

―今はユタ州に住んでいますよね。あなたの立場なら、ハリウッド・ヒルズのようなもっと華やかな場所に住む人も多そうです。

ブランドン:やっぱり地元にいるときが、一番自分の居場所だと感じるんだと思う。年齢を重ねるにつれて、人に認めてもらいたいとか、評価されたいという欲求は少しずつ薄れていって、その代わりに静かな充足感や自信へと変わっていくんじゃないかな。今はもう、仕事そのものが報酬なんだ。

―この25年間で、十分すぎるほど評価されてきましたよね。

ブランドン:ピーター・バック(R.E.M.)の言葉を見たことがある。エゴについて話していて、「10回分の人生を送れるほど拍手を浴びた。もう何もいらない」みたいなことを言っていたんだ。

ザ・キラーズの新たなフェーズ

―もうすぐソロ・ツアーが始まります。どんなものになりそうですか?

ブランドン:これまでやってきたソロ・ツアーとかなり近いものになると思う。ただ、バンドの編成はもっと大きくなる。スライド・ギター奏者もいるし、ハーモニカ奏者もいる。この曲たちにふさわしい演奏をしたいし、本当に楽しみにしているよ。

―ザ・キラーズのツアー・バンドのメンバーも参加しますか?

ブランドン:何人かはね。ロビー・コノリーはサポート・ギターからリード・ギターに回る。ジェイク・ブラントンはベースだ。僕のソロではずっと彼がベースを弾いている。マークと一緒にやったライブより、ジェイクと一緒にやったライブのほうが多いくらいだよ。それから、ハウリング・ベルズのドラマーも参加する。

―新作以外には何を演奏する予定ですか?

ブランドン:ほかのソロ・アルバムからそれぞれ何曲か、それからザ・キラーズの曲を数曲と、カバーを数曲かな。

―カバーする曲はもう決まっていますか?

ブランドン:何曲かはもう仕上がっている。ランディ・トラヴィスの「Forever and Ever, Amen」もやるよ。本当に美しい曲だ。

―ザ・キラーズの曲は?

ブランドン:今回は小さな会場でやるから、『Pressure Machine』から普段より多めに選曲するつもりだ。それから……「Read My Mind」をちょこちょこ入れるかな。どうしても、ときどき「Read My Mind」を演奏したくなるんだ。

―ツアーの途中にはザ・キラーズとしてフェスにも出演します。突然、頭をザ・キラーズ・モードに切り替えるのは変な感じになりませんか?

ブランドン:いや、こういう異なる世界を行き来するのにはかなり慣れたからね。それほど難しくないと思う。

―今年はほかにもザ・キラーズのライブを入れる予定ですか? それとも、そのフェスだけ?

ブランドン:その公演はつい最近決まったんだ。たしかポール・マッカートニーが出演を取りやめたとかで、僕たちが代わりに入ることになったんだと思う。それ以外は、特に予定していない。シンガポールで1本、サンタモニカで1本あって、それくらいじゃないかな。

カレンダーを見て、「くそ、もう5年も経ってるじゃないか」って思ったんだ。もうライブを入れるのはやめないと。次のアルバムを作る時期だよ。それで今は、ショーン・エヴェレットとアリエル・レヒトシェイドと一緒にスタジオに入っている。

―4人全員で?

ブランドン:そう。

―どんなアルバムになりそうですか?

ブランドン:今のところ、すごくいいよ。まだ詳しく話すには少し早すぎるけど、とてもいい瞬間がいくつかあったし、いい突破口も見つかっている。目標は、とにかく全員が自分たちの作品だという意識を持って、しっかり手を動かして関わることなんだ。4人全員でやるのは『Battle Born』以来だよ。

―デイヴとマークも、今は完全にバンドに戻る気持ちになっているんですか?

ブランドン:そうだね。4人全員、それぞれものの見方が変わってきたんだと思う。100%というわけではないかもしれない。でも、4人全員が全曲のレコーディングに参加するアルバムになるのは、2012年以来初めてになる。それはかなり大きなことだよ。

―彼らにとっても、一度休んでリフレッシュしてから戻ってくるのは健全なことだったのでしょうね。

ブランドン:デイヴの息子はもう大学生になったし、マークは結婚した。だから彼らも、自分たちのキャリアやこれからについて、新鮮な視点を持つようになったんだと思う。

―彼らが参加したいときにはバンドに戻り、離れたいときには距離を置けるような体制を作りましたよね。それはかなり珍しいことだと思います。

ブランドン:そうだね。それは僕たちが大人になったことの証しなんじゃないかな。うまく機能させる方法を見つけたんだ。それに今の流れでいけば、これからライブでデイヴを見る機会はかなり増えると思う。マークも同じだよ。彼がやりたいと思ったときには、いつでも参加できる。それでちゃんと成立するんだ。

―年齢を重ねるにつれて、自分自身のツアーは減らしたいと思いますか? これまでのように毎年ツアーに出ることは好きですか?

ブランドン:どうなんだろう。ショーマンでいること、ツアーに出ることは自分のアイデンティティの一部ではある。でも、それをどれくらい必要としているのかはわからない。

まずは曲がどうなっていくのかを見たいし、それによって自分がどれくらい……やっぱり、曲からはものすごくエネルギーをもらえるし、そこから大きな決意も生まれると思う。今、かなりいい曲がいくつか育っているんだ。それだけで、またツアーに出ようという気持ちになるには十分かもしれない。

―スプリングスティーンのように、70代になってもツアーを続けていたいですか?

ブランドン:可能性はあると思う。でも面白いことに……ツアーから家に帰ってきたとき、僕が思い浮かべるのは彼でもボノでもなく、ミック・ジャガーなんだ。ふと考え込む瞬間があるんだよ。

自分がミック・ジャガーみたいだと言うつもりはないけど、ステージ上での動きという意味では、スプリングスティーンよりは彼に近いのかもしれない。それでツアーが終わるとベッドの端に座って、自分はいったい何を自分自身に課してきたんだろうって考える。そして、彼はどうやってこれを続けてきたんだろう、あるいはなぜ続けてきたんだろうって思うんだ。

―ジャガーは、今でもああいうライブを身体的にこなせるように、ステージを降りている時間のかなりの部分をコンディション維持に費やしているんだと思います。

ブランドン:そうだね。どうなるか見てみよう。それに僕は今、このカントリーの曲たちでもうひとつ別の道を切り拓いている。それが少し息をつける余地を与えてくれるような気がしているんだ。

―ラブソングのアルバムについて教えてください。こちらもカントリーなんですか?

ブランドン:同じバンドだけど、少し違う。もう少し……なんて言えばいいかな、アメリカーナ・ロック寄りだね。

―いつリリースされるのでしょう?

ブランドン:まだわからない。今ミックスしているところなんだ。録音自体はもう終わっている。

―2枚を同時にダブル・アルバムとして出すことは考えませんでしたか?

ブランドン:その話はしたよ。でも、さすがに多すぎると思った。

あそこ[ナッシュビル]でのやり方には本当に驚かされたんだ。だから、その後もカントリーの曲を書いている。たとえば10曲まとまっているとするよね。ナッシュビルに行けば、それを1週間でレコーディングできるんだ。1日に2曲ずつ録って、帰る頃にはこういうアルバムが完成している。

だから今も6、7曲くらい作りかけのものがあって、「11月に1週間くらい行こうかな」って思っている。本当に素晴らしいレコーディングのやり方だよ。

―今でも、ツアーで演奏できるようなシンセポップの曲を作らなければならない、という義務感のようなものはありますか?

ブランドン:そこまではないね。自分が作りたい音楽、バンドが作りたい音楽を作ればいいと思っている。曲の中に一定量のシンセサイザーを入れなきゃいけないとか、そういう義務感はないよ。

―自分ひとりで決断できる経験をしたあとに、バンドという民主的な環境に戻るのは大変ではありませんか?

ブランドン:難しいところはある。でも、バンドの中にあるそういう押し引きこそが、そのバンドを唯一無二のものにするんだ。ほかのメンバーから、自分ひとりでは思いつかなかったような視点が出てくることもある。それがザ・キラーズをザ・キラーズたらしめているんだと思う。

「Mr. Brightside」の記憶、この先の人生

―MSGのステージでブルースと一緒に「Badlands」を歌ったときは、どんな気分でしたか?

ブランドン:最高だったよ。その日、僕はホテルで準備をしていた。あの曲たちは、ほかの何よりも念入りにリハーサルしていたんだ。アンコールをやる準備は万全だった。

この話を知っているかわからないけど、その日に僕たちのツアー・マネージャーがコロナに感染したんだ。それでブルースは73歳だったから、僕はそのことを彼に伝えなきゃいけなかった。ホテルの部屋で目を覚ましたら、陽性反応が出た検査キットの写真が届いていた。「冗談だろ?」って思ったよ。何週間もリハーサルしてきたのに。

それでブルースにメッセージを送った。返信を打っているときに出るあの点々を見ながら、何て返してくるんだろうって待っていた。彼はメッセージを読んで、返信を打っている。その時間が永遠みたいに感じた。そして返ってきたのは、ただ「行くよ(Im coming)」だった。「ああ、神様、ありがとう」って思ったね。

それで本当に来てくれて、最高だった。彼もしばらく演奏していなかったと思う。コロナですべてが止まって以来、たぶんまったくライブをしていなかったんじゃないかな。でも、彼はすぐに戦闘態勢に入っていた。

僕はその時点ですでに少しツアーを回っていて、彼が来て、サウンドチェックで一緒に歌った。僕は普段、サウンドチェックでは声をかなりセーブするほうなんだけど、あのときは決闘みたいだった。サウンドチェックから全力で、お互いの顔に唾が飛ぶくらいだったよ。彼から「この曲を本当にわかってるってところを見せてみろ」と試されているような感じだった。でも本当に素晴らしかったし、それは本番でもすごくよく伝わったと思う。

―僕は数年前に結婚したんですが、DJには何をかけてほしいか一切伝えませんでした。来る人たちのおおよその年齢だけ聞かれたんです。そして最後に何が流れたと思います?

ブランドン:ああ、わかるよ。

―姉が一気に目を輝かせるのを見たんです。彼女はたぶんあなたの名前も、ザ・キラーズのこともほとんど知らないと思います。そもそも普段聴くタイプの音楽じゃない。でも、その曲の歌詞は全部知っていて、最初から最後まで叫ぶように一緒に歌っていた。会場中が同じことをしている光景は本当にすごかった。あの曲は、どういうわけか地球上のあらゆる人のDNAにまで染み込んでしまったように感じます。本当に驚異的です。

ブランドン:そうなんだよね。自分が書いた曲だってことを、もう忘れてしまうようなところがある。ただそこに存在しているんだ。

そういうことを話しているバンドのことを昔から覚えているよ。デペッシュ・モードが「Enjoy the Silence」についてそんなふうに語っていたり、デュラン・デュランが「Rio」について話していたり、ブルースなら「Born to Run」だよね。

ガレージでバンドを始める人たちは誰だって、いつかそういうことが起きるのを夢見ている。それが本当に起きたなんて、すごいことだよ。本当に起きたんだ。

―ブルースは10年間活動した末に「Born to Run」を書きました。あなたはバンドを結成してすぐに「Mr. Brightside」を書いた。

ブランドン:そう、かなりクレイジーだよね。当時の僕には、少しルー・リードっぽい歌い方があった。自分ではルー・リードをイメージしていたんだ。20歳だった。

抑揚を抑えて、ひたすら押し続けるような歌い方をほかの曲でもすでに試していて、それをそのままデイヴが作ったヴァースとプリコーラスに乗せた。それでコーラスを付けただけなんだ。本当にすごい話だよ。

―その曲はすでにあった。でも本当にブレイクするために、初期の頃は途方もない数のライブをやりましたよね。

ブランドン:それは確実に僕たちを消耗させた。でも、自分たちがこういう立場にいられることには感謝していたし、幸運だとも思っていた。

アーケイド・ファイアのウィン・バトラーが「ザ・キラーズのことは羨ましくない」と言っていたのを覚えている。あのとき初めて、彼に少し反感を覚えたんだ。でも彼は単に、僕たちがどれほど多くのライブをやっているか理解していたんだと思う。彼らだってかなりの本数をやっていただろうけど、それと比べても僕たちは多かった。

僕はずっと、これはこの仕事につきものなんだと思っていた。自分はいずれカジノで働くことになるんだと覚悟していた一方で、本当はそうなりたくなかった。だから、やるべきことをやっていたんだ。

―そろそろ締めに入りますが、先ほど今後について「難しい局面(quandary)」にあると話していました。もう少し詳しく説明してもらえますか?

ブランドン:わからないけど、今はちょっと物悲しさにとらわれている時期なんだと思う。妻を通して、本当のうつ状態がどういうものなのかは見てきたし、それとは違う。でも僕は今ちょっと……一番近い言い方をするなら、すべてのものに薄いフィルターがかかって見えているような感じなんだ。

―何がそうさせていると思いますか?

ブランドン:わからない。単にある年齢に差しかかった男だからなのか。それとも……『ザ・ソプラノズ』第1話のトニー・ソプラノみたいな気分なんだ。わかるかな? 子供たちは大きくなっていくし。

最近、家族と一緒に『ザ・ソプラノズ』を見始めたばかりだから、見ながら「今の自分、ものすごくトニーに共感してるな」って思ったのが面白くてね。今はそういうゾーンにいるんだと思う。

男性の人生にはU字型の曲線があるって言うよね。[フラワーズは指でU字を作り、その底を指す]こうやって進んで、40歳くらいで一番下まで落ちて、その後はまた上向きになっていく。だから僕は今、この辺りにいるんだと思う。そろそろまた上向きになってほしいなって待っているところだよ。

―あなたの「もうひとつの人生」の話に戻りますが、もしバンドが成功せず、ウィンでバレー・パーキングの仕事をして暮らしていたとしても、今と同じような気持ちになっていたと思いますか?

ブランドン:それは僕も考えるよ。いや、その場合はまったく別の問題を抱えていただろうね。僕の人生で最も素晴らしいことの多くは、自分が幸運にもできた選択に行き着くんだと思う。誰と結婚したか、どんな子供たちに恵まれたか、それから信仰によって得ている土台とかね。そういうものは、僕の人生にとって本当に大きな恵みだったと思う。

―バンドを始めて、この人生を選んだことを後悔したことはない?

ブランドン:ないよ。そういうことじゃない。もっと空想みたいなものなんだ。

―今住んでいる場所も、地に足をつけていられる理由になっていそうですね。

ブランドン:今はユタに戻っていて、あの町の近くにいる。姉も今でもニーファイに住んでいる。妻とちょっとしたドライブに出かけることもある。父もあの辺りに住んでいるから会いに行って、子供の頃に食べていた店で食事をしたりする。そういう小さなことが……今では何より楽しみなんだ。

―次のザ・キラーズのアルバムは、どんなスケジュールになりそうですか? 2027年に出ると思いますか?

ブランドン:もし2027年に出るとしても、かなり年末になると思う。でも、おそらく28年初頭のほうが可能性は高いね。

―そして大規模なツアーを?

ブランドン:そう。やるなら、本格的にやるよ。

―ザ・キラーズとして2027年にライブをする予定はありますか? それとも休む?

ブランドン:いや、休む必要があると思う。何公演もまとめてやることはないだろうね。単発で、ここかあそこに1公演入るくらいならあるかもしれない。でもアルバムが完成するまでは、ツアーの予定はない。

―ラブソングのソロ・アルバムはいつ出るのでしょう?

ブランドン:来年。

―そちらもツアーしますか?

ブランドン:するかもしれないけど、やるとしても数公演だけかもしれない。

―『Pressure Machine』のような曲はソロ・アルバムで発表しながら、ザ・キラーズのアルバムも作れる。両方を同時に走らせられる、いいバランスを見つけたように見えます。

ブランドン:そうだね。贅沢すぎるくらい恵まれてるよ。

From Rolling Stone US.

ブランドン・フラワーズ

『THRASHER』

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